鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

人生100年とは

2018年05月22日 | 議会活動

平成30年5月22日(火)

 

 富士商工会議所女性会の通常総会に合わせて開催された、一般公開講演会に参加してきました。

 講師は、今年93歳を迎える富士市元幹部職員や富士商工会議所元専務理事などを歴任した関政雄氏です。演題は「人生100年」でした。誕生日は大正14年ということで、私の父と同年齢ということになり、父が亡くなってから25年経過しているので、生きていればと思いながら講師と父の面影を重ねて聴講させていただきました。

 

 最初に驚かされたのは、配布された資料の多さで、これだけでも高年齢の大先輩が作成したのかと思うと感心させられました。

 演題は人生100年ですが、前段として宇宙の誕生から始まる歴史の中で、様々な出来事が走馬燈のように触れられ、講師が生きた時代が一瞬であるかのように語りかけます。

 しかし、昭和の時代はまさに激動の時代で、大東亜戦争や戦後の復興における高度成長期、特に明治維新に次ぐ戦後の大改革を第二の維新と位置付け、女性解放と婦人参政権、労働組合奨励、教育改革、政治的自由、経済民主化などが行われ、現在に至るまでにバブル崩壊や東日本大震災、地球温暖化など、その時代に生きてきた人間としての迫力は年齢を感じさせないものがあります。

 彼は冒頭の経緯歴でも触れたとおり、兵士として戦地に赴き、戦後は一貫して地方自治畑を歩み、退職後も地元経済団体の幹部などを経験していることから、その時代の全体像がよく見られる立場でもありました。地方自治の運営では行政と政治は一体であることから、政治についても精通しており、地方政治のみならず国政もよくご存知で、これまでも彼の豊富な経験の中から、私の立場にも大変参考となるお話を幾度も聞いたことがありました。数字にも強く、大変分かりやすいお話で感心することばかりでした。

 

 さて、演題の人生100年に絞ってみると、冒頭で「長生きして良かったと思う世の中になってほしい」という願いを投げかけています。

 100年の内訳で前半50年は、出生、成人、仕事(家庭)、定年が一括り。その後の50年は余生を送るなか、還暦、古希、喜寿、傘壽、米寿、卒寿、白寿の節目があって完結。これはかつて言われた人生50年が2回あるといいます。

 医師だった日野原重明先生は、100歳まで健康で生きるこつは、「新しいことを創る思いがある限り人はいつまでも若くいることができる」とおっしゃっていたことを紹介。健康寿命の延伸には日本食が一番適している食材の構成であること。いつもプラス発想していれば、脳内が気持ちよくなりホルモンが出て成人病を防いでくれる。脳が若ければ125歳まで生きられる。そして最後に、マーフィーの成功法則による「強く描いた夢や願望は必ず実現する」と紹介し、彼のこれまでの生き方を振り返っていました。

 

 彼が冒頭で語った「長生きして良かったと思う世の中になってほしい。」とは、本人の努力もさることながら、それを支える社会の責任も大きいと実感しました。古老のお話には敬服するばかりです。

コメント
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