GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

コンポンスプー44号線

2012-01-31 18:38:49 | 交通

コンポンスプー州の州都コンポンスプーへはプノンペンから国道4号で48km。日本だと都心から八王子や川越に行く程度の距離です。

Kampon Speuのコンポンは船着場の意味らしいのですが、今は乾期でもあり、町の近くを流れる川は小さく、船が通るような川は見当たりませんでした。スプー(Speu)はスターフルーツのスプーと同じ発音です。「真臘風土記」にもこの果実、五歛子(ゴレンシ)の記述はありました。パパイアと同じように多くはサラダなど野菜料理に使われているようです。



4号線はコーコンやシーハヌークビルに続く道のためコンポンスプーの町までの交通量は多くバイクで走るのは快適ではありませんでした。対向車のトラックが追い越しを掛けてセンターラインを越え道幅いっぱいに向かって来るので路肩に落されたのも何度か。腹いせにパッシングしてもトラックにはます効果などありませんが。

国道4号は、カンダール州のプノンペン経済特区を過ぎても工場が多く続き、CPカンボジアの工場なども見えますが、ほぼコンポンスプーの町まで工場が続いていました。ハノイの近郊にはホアビンに、HCM市近郊ではビンユンにゴルフ場があるように、プノンペン近郊のコンポンスプーにも町の手前左手にゴルフ場が見えました。農機具販売店も州都に相応しい大きさというべきか、人口密度の低さ故なのかはわかりません。



町から国道を右手に逸れ、西北に向かう国道44号線があります。手持ちの10万分の1の地図に記されているのですが、その分岐点が何処なのか分からず4号線を何度か行ったり戻ったりしましたが、それらしき標識はありません。TERAのガソリンスタンドの角を曲ることにしました。大きな交差点には大体ガソリンスタンドがあるものだし。



44号線は、子供たちが水遊びするこの川に沿って左折しないとならないわけですが、標識がないので、そのまま直進してしまいました。

舗装路は直ぐに終わり、土埃の舞う道になってしまい、これは道を間違えたか?とは思いましたが、埃にまみれながら暫く直進することにしました。



下校する小・中学生の姿も少なくなり、道路は殆ど人通りがなくなりました。周達観もカンボジアのそ草木の種類の多さを指摘し、人々はその名を知らない・・などとも書いてありましたが、日本の草木の名も知らぬ自分にもカンボジアで見る植物は珍しいものばかりです。



道沿いに民家が少ないにも拘わらず大きな小学校があり、校門でアイスキャンディーを売る姿がありました。売ってる品は違っても下校時にこういう物売りの姿は、かつて自分も見たものです。

1時間ほど前には下校する姿を見たのに、ここにこれだけの生徒の姿があるのはかつてのベトナムのように学校が午前午後の二部制になっているからでしょうか?

ベトナムに居た時は、子供を見て可愛いと感じたことはなかった―少なくても記憶に残っていません。憎たらしいガキの印象はあっても。何でカンボジアの子供達を見ると可愛いと感じるのか不思議です。

田舎道を走っているとベトナムではバイクを止められ便乗させられることも少なくありませんでしたが、カンボジアではまだ一度もない-などと思っていたところ、ゴザを抱えたオジサンに呼び止められ、何やら言われました。言葉はまったく意味不明ですが、「乗っけてくれー」以外の要求とは考えられず、素振りで「どーぞ」と引き受けました。

どうせ2・3kmの距離だろう、と思っていたのに5km走っても何も言う気配がありません。この炎天下に一体どれだけ歩くつもりだったのか、と驚きでした。10kmほど過ぎた所で背中をつつかれバイクを止めました。丁寧に礼を言われました。小さな市場のある集落でした。

市場を過ぎると舗装路に出ることが出来ました。しかしコンパスを見ると南北に走る道で10万分の1の地図には載っていません。



仕方なく舗装路を南に下りコンポンスプーの町に一度戻り、再び44号線を探すことにしました。44号線はコーコン州との州堺あたりまで伸びていて地図ではその先がどうなっているかは不明。

44号線もまた数キロ走っただけで舗装はなくなり赤土の道路になりました。しかし暫くするとかつては舗装された道であったかのような痕跡もありました。しかしハンドルを握る手に力を入れねばならない悪路で、PCXやCBRなどのバイクで走るには適さない道路です。



4時を過ぎ、ガソリンスタンドもない道なので少し不安になりました。朝から200kmを超えて走りそろそろガソリンも底を着く頃。この先にゲストハウスがあるとは到底思えぬ風景です。ベトナムのカマウ岬に行って船の時間が終わり、見知らぬ民家に一晩お願いして泊めて貰った友人の話を思い出しました。他人の笑える失敗談ど面白がって聞いてましたが、今は言葉もできないのに泊めてくれなどと頼む訳にもいきません。



また来れば良いことだし・・・と諦め、明るい内にプノンペンに戻ることにしました。