GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

コンポンチャム州の東部

2012-01-16 20:37:50 | 交通

ベトナム国境から再び7号線に戻り、昼食をと思ったところ、国道との分岐点にはアンコール・ビールの看板を掲げた店は多いものの何故か昼時だというのに食事を出す店がありませんでした。

やっと一軒パンを売る小さな店を見付け、フランスパンのサンドイッチを作って貰いました。店の中のたった一つのテーブルで食べました。足元には犬が昼寝の最中で鶏がウロチョロしても目を覚ましません。



7号線をさらに東に進みクラチェ州との州境辺りまで走ることにしました。道路は次第に起伏が多くなり、道路沿いの景色も田圃がなくなってゴム林が多くなります。ベトナムのビンフック省や中部高原と似たような感じです。地理的には当たり前のことなのでしょうけど。

MEMOT RABBER PLANTATION という名のゴム会社があり、隣に小学校がありました。この前に見た小学校は、ECOLE PRIMAILEとフランス語表記の看板だったので、コンポンチャムでは学校名はフランス語で併記するものなのか気になりました。



しかし、今度はPLIMARY SCHOOLと併記されています。今までは外国語の併記がない学校が多く、その都度これは「学校なのだろうか」などと思うことも少なくありませんでした。



バイクを止めて校庭で遊んでいる放課後の風景を眺めていると好奇心旺盛な子供たちに取り囲まれました。



乗っているバイクや肘に付けたプロテクター姿が外国人ぽかったようです。思い出せる限りのクメール語で会話してみました。揚げ春巻きを売っている婦人が居て、何人かが手にしていました。一つ300リエル(6円)だそうです。生キャッサバ芋1kgの値段と思うと決して安いとは言えない値段にも思えて来ました。

「バラン」「アングレー」などと聞いてくる子がいました。フランス人かイギリス人かなどと問われて困惑しました。何でフランスを「バラン」と呼びイギリスが「アングレー」なのかカンボジアの外国の国名の呼び方も想像がつかないものがありますが、この自分がフランス人やイギリス人であるわけないだろうに、というところです。

しかし自分の子供のころを振り返ってみれば、外国人という概念は三多摩に住む自分にとっては、最初にアメリカ人というものと一体となって形成されたようにも思えてきました。当時、小金井市は人口流入が始まり小学校は新設校で鉄条網で囲われた校庭の石拾いなどをさせられた記憶があります。校門の向かいは馬糞置き場でした。今思えば、あれだけの馬糞を排出する馬が何処に居たのか不思議です。



ゴムの樹液を実際に採取しているところを見たのは今回が初めてです。実にゆっくりと垂れるのでこの器一杯に溜まるのにはかなりの日数が必要なようです。



苗木を育てている風景は午前中にありました。



去年植えられたものでしょうか。タイニン省では木が成長するまでは葉も茂らず日光が土に届くため木々の下に豆などを植えるとも聞きましたが、この辺では見かけませんでした。



ベトナムのタイニン省などでもゴムの作付け面積は毎年拡大しているようですが、ベトナム企業のカンボジアとラオスでの作付けも増大している状況です。植えてから収穫できるまでは5年ほど要するそうです。



ゴムの葉はこんな感じで、キャッサバの葉と似ています。



ゴムは常緑樹だと思っていましたが、葉を落としてしまった木々が連なる風景もありました。

ゴムの他には胡椒とキャッサバが植えられていました。



胡椒は「真臘風土記」にも登場します。ゴムとキャッサバは南米原産でカンボジアへは近代になってからの風景ということになります。胡椒は「つる」のたようめ、こういう支柱で栽培されるようになったのはやはり近代以降なのかも。



民家が少なくプランテーションのように畑が広がる地なので、収穫期になり庭先で胡椒を干しているような光景は見られそうにありません。



植えられたばかりのキャッサバ。こんなふうに挿し木されるようです。上に伸びるよう竹片で支えをしてありました。収穫までには10ヶ月ほどだそうです。



MEMOT区の東北部TONLUNG地区の国道沿い。クラチェ州との州境近くの集落のようです。



天日干しされたキャッサバのチップは水分が少なくなりかなり軽くなっていました。売値はキロ600リエル(12円)だそうです。