GOVAP便り

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7号線でコンポンチャム

2012-01-13 23:20:08 | 旅行

コンポンチャム州に来ています。コンポンチャムの州都コンポンチャムまではプノンペンから124kmほど。日帰りできる距離ですが、この州の面積は広く9,799km²。ベトナムのメコンデルタで一番大きな省のキエンザン省とアンザン省を足した面積で、人口は168万人で210万を越えるアンザン省以下です。

東西に横長の面積を持つコンポンチャム州の東部へ行く前にコンポンチャムの町で1泊することにしました。先週走った国道8号に比べると国道6号と7号は背の高い街路樹が多く道路沿いの店も多いのでどことなく安心できました。もっともこの木々も田圃を吹き抜けてくる風を遮る効果は感じられませんでした。

知り合いのカンボジア人に「コンポンチャムに行く」と告げると「Kizona Bridgeのあるところだよ」とのこと。「きぞなとは何ぞや?」と聞き返すと日本語だそうで「橋を作った日本人技術者の名前らしい」との説明でした。



7号線の道路標識にも「KIZONA BURIDGE」と記されていました。昨夜ネットで検索したところ、日本のODAで建設された橋で「絆橋」だとわかったのですが、標識が「KIZONA」になっているので彼が間違えたのも仕方のないことと思えました。



すると次の標識には「KISANA」との表記。ZU→ZO→SOと変化しています。



橋の近くのロータリーにはモニュメントが建てられており、それにはしっかり「Spien KIZUNA」と刻まれていました。ぼくにはどうにも発音できないクメール語の音が多いわけですが、クメール語発音には「ZU」の音がないのかも知れません。



宿を探してウロチョロしていると蓮のある沼で人々の歓声が聞こえました。土手を下りて見るとドジョウか何かを獲っているようでした。子供よりも大人の方が興奮して叫び声を上げています。近づいて収穫物を目にしたかったのですが、泥の中に足を踏み入れるのには躊躇してしまい、実際何を捕まえていたのかは不明。



官庁街の一角に学校がありました。「リセ プレハ シーハヌーク」と書かれていました。リセと書かれていても生徒達は皆私服なので高校なのかどうかはわかりません。ネットで検索するとベトナム語のサイトに「ポルポトが通った学校」であると記されていました。今もLYCCEというフランス語が残っているとは意外でした。



「きずな橋」の上から大きな中州に架かる竹の橋が見えたので行ってみました。バイクどころか自動車も渡っています。バイクで満中を走っている場合は良いのですがすれ違う時に端に寄ると少々恐怖感がありました。



中州に渡って田畑の風景を眺めて来ました。アンザン省の国境近くのメコン河の中州とも景色は似ていますが、もっとのんびりした雰囲気でした。子供たちも犬も牛や馬も。

畦で小さく区切られた田圃でおばさんが緑豆を摘んでいました。アンザン省で見た時も緑豆は田圃に植えられていましたが。挨拶をして写真を撮っていると、クメール語を話せると勘違いされ「こっちのは良くないよ、あそこのが良いから」と教えてくれました。確かに写真を撮った緑豆はどうも貧弱でした。



おばさんの息子らしき少年が鎌を持っていたので稲刈りかと思い近づくと草取りでした。刈り取った草を牛か馬の餌にするようです。



歩き難い畦道をふらふらしながら歩き稲刈りをしている姿の所まで行ってみました。刈った稲はその場に置いたままにしてあります。乾いた田圃の土の上で干している様子。





この中州の農作業の風景は何百年も変わらぬままなのかも知れません。



聴こえるのは風の音と鳥の鳴き声だけでした。



砂地を馬が走りまわっていました。馬車を引く時と違って思いっきりのびのびと躍動していました。長い紐を引きずってはいましたが。