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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

パイリンの国境

2011-11-12 00:26:45 | 交通
バッタンバンの市場近くのゲストハウスに一泊し、翌朝パイリンに向かいました。ポルポト派の最後の拠点だったそうです。当時ポルポト派は婚姻関係とかを通じてタイ政府の比度を受けていたとかの情報もあったように思いだします。

時間もあるのでパイリンに向かう国道を通らず、川沿いに暫く南下してみることにしました。



プノンペン方向に向かう線路は草に覆われたままで補修はまだ先のことのようです。川は谷を流れるような低い位置にあり、道も川に沿っているという感じでもありませんでしたが、交通量も少なく長閑な風景が続いてました。



ところが、舗装道は長くは続かず黄土色の凸凹道に代わり、同時に牛の姿が多くなりました。



こんな道を行って果たしてパイリンに出れるのだろうか、と不安になり、分岐する道があったので尋ねてみました。が、パイリンの発音がどうも上手く伝わりません。PAILINの「N」の発音が微妙に異なるようです。それでもパイリンに出る道があることが分かったので一安心。

多少水田はあるものの道の悪さからして豊かな土地でないことは明らかです。雨期にはぬかるんでトラックが走ることもできないだろうし、建てられている家々も掘っ立て小屋程度のものです。



やや荒廃とした雰囲気は何処か以前ベトナムのフエ郊外で見たものと似ています。キャッサバ畑でバイクを止め、パイリンまでは後40km程だろうと思い、尋ねてみると何と示された方向は逆。直進すべき道を左折してしまったと分かりました。

30分ほど来た道を戻り、分岐点で再び確認してからパイリン方向に進んだものの10分ほど進んだところでドロドロに泥濘んでました。林の中なので日差しが通らないからのようです。轍の深さを見て諦めました。足を着いたらズッポリと靴が埋まってしまうことは確かだし、下手すれば転倒して泥まみれ。

結局、再びバッタンバンの町まで戻ることにしました。距離も時間も十分にパイリンに着けるだけ走ったことになりました。

バッタンバンとパイリンを結ぶ舗装路は快適でした。両側に田圃が広がり、空気も爽やかで晴れているのに暑さを感じることもありません。調子に乗ってスピードを上げていると急に細かな砂利が敷かれていて焦りました。舗装したての道路なのかも知れません。後輪が微妙に滑るし、ブレーキ掛けたりカーブでは特に危ない、と思って速度をゆっくり落とすと抜き去る四輪車が巻き上げる砂埃が首にビシビシ当ります。

パイリンは幾分標高もある高原という印象でした。



町の中心部はこれが「特別市」とは思えぬ規模です。町から10kmほど進むと再び町があり、そこが国境ゲートでした。国道沿いに見えるのはトウモロコシとキャッサバの畑。タイナンバーのトラックがトウモロコシを満載して走っていました。


バッタンバンとパイリン

2011-11-10 23:48:38 | 交通

カンボジア西北部のバッタンバンまではプノンペンから約300km。国道5号線を走って昨日の夕方着きました。50km/h平均で6時間、食事休憩を入れて7時間の計算で早朝発ってゆっくりするつもりが寝坊して出発したのは9時半。水祭り三連休の初日だけに5号線のプノンペンから20kmほどは比較的車の数も多めでした。

本来であればプノンペンの水祭(ボートレース)に全国から数十万人が集まるそうですが、今年は洪水のために中止。プノンペンから地方へ出掛ける車両の方が今年は多いようです。もっともベトナムの4月末の連休時のようなサイゴンからビエンホアまでの渋滞に比べれば混雑と呼ぶべきほどではありません。

国道5号はプノンペンからウドン近くまではトンレサップ川に沿い自然堤防の上を走るような位置にあります。コンポントムに向かう6号線は洪水の影響が予想されますが、ウドン手前の氾濫水の広がりも5月に見た時の記憶とは異なる光景でした。

プノンペンから100kmほどでコンポンチュナンに着きますが、その手前40kmで早くも休憩。最初の60kmを走るのに1時間半も費やしてしまいました。イスラム女性の服装を多く見掛ける地域でした。最近建てられたそれなりの規模の工場も幾つか点在しています。

コンポンチュナンの町に入ると国道が見分け難いのはプレイベンの町などと同じで一瞬不安になります。町を抜けてから国道沿いで昼食にしました。沿道の店は多くないので見つけたらそこに入るしかありません。チキンチャーハンと缶コーラで8,500リエル(約2ドル)。



コンポンチュナンから20kmほど走った頃から国道の舗装状況が悪くなっていました。アスファルト道路のあちこちに穴が無数にあり、穴を避けるため車もバイクもスピードを出せず路肩を走る車もありました。その状況が延々20-30kmも続きます。どうすればこれだけの穴が開くのかが不思議に思えます。元々道路は補修をしなければこうなってしまうものなのか、あるいは1998年のフンセン派とラナリット派の武装衝突の際に敗走するラナリット派軍を追って撃ち込まれた砲弾の跡・・・などと妄想が頭を駆け巡ります。

プーサットの手前20km位前からは道路状態は改善されていました。州堺がこの道路状況の違いを説明するものなのかも知れません。



プーサットの市街地へは入らず、国道をそのまま走りました。ベトナムとは違って立ち寄ってコーヒーを飲めるような店は見当たらず、田圃の稲を眺めながら休憩。



国道沿いではキャッサバの売買も行われてました。キロ500リエルとのこと。ベトナムドンに換算すると2,500ドン。生キャッサバなので特に安いというほどでもないようです。

まだ十分明るい内にバッタンバンの町に着きました。家から約310km。プノンペンに次ぐ都市と聞いていただけに印象はちょっとがっかり。州の人口100万人はベトナムのメコンデルタの平均的な省人口と変わりありません。しかし町には何故か多くの観光客の姿がありました。


AX-1でベトナムを走る

2011-10-23 22:10:57 | 交通
カンボジア側でKhaorm Samnorと呼ばれる国際国境ゲートは、ベトナム側ではヴィンスーン(Vĩnh Xương)という名です。ここを含めカンボジアとベトナムの間には10の国際国境ゲートがあり、両国以外の外国人の通過が認められています。

ここを通過する外国人の殆どはチャウドックなどベトナムから船でカンボジアへ向かう、あるいはその逆コースのツアー客ではないかと思います。ベトナムの入国管理官は日本人観光客はビザ不要であることも知っていて処理は慣れていました。隣にあるドンタップ省Dinh Ba国境ゲートの管理官は昨年、ご自身の業務内容を殆ど何も知らないようで、マルチビザにUSEDのスタンプを押したり、また別の処理を誤り、出国の際に空港の管理官に文句を言われたことがありました。

自分も5年ほど前だったかシンカフェの船でプノンペンに向かうツアーに参加したことがありましたが、その時に出国手続きをした場所とは多少異なる印象です。

しかし、昨年5月にロンスエンからこの国境ゲートまではバイクで来たことがあるので道路は見覚えのある光景でした。ベトナムにバイクで行ける確信はなかったので、越えたら1泊はするつもりでしたが、何処で泊まるかまでは考えておらず、とりあえずタンチャウの街まで走ることにしました。



途中、メコン河とバサック川を繋ぐ水路をフェリーで渡ることになります。昨年初めてこの952号線を走った時はタンチャウから国境までかなりの距離だったように感じましたが、二度目の今回は結構短い時間でした。

手持ちのベトナム通貨がないのでサコムバンクを探しましたがタンチャウの街では見当たりません。カンボジアナンバーのバイクで街中をウロチョロするのも気が引けました。ベトナムの免許は持ってるとは言えA1免許なので150cc以下。250ccのAX-1を運転するのは無免許と変わりません。

ATMを探すにはチャウドックかロンスエンまで行けば確実です。チャウドックは馴染みが薄いので多少距離のあるロンスエンまで行くことにしました。

カンボジアとベトナムを隔てる地理的な特徴が特にあるとは思えません。したがってメコンデルタはベトナム領内からという地理的な区分は納得できないものがあります。しかしカンボジア領内のどの地域をメコンデルタと呼ぶべきかはわかりません。

などということを思いつつ風景を眺めながら走りましたが、カンボジアとベトナムを隔てる決定的な違いは人口密度である、と思わずには居れません。人柄の違い、文化の違い、社会の違いなどは確実に存在しています。久しぶりのベトナム、アンザン省の風景に懐かしい、と感じることもありませんでした。

タンチャウからロンスエンに向かう道は幾つもの水路やメコン河の中州などがあり、何度も迷った道です。地図はベトナムを離れる時に全部捨ててしまったし。スマートフォンもベトナムの3G契約がないのでグーグルマップを検索できません。

気が付くとThuan Giangのフェリーに着いたので、ここを渡ってCho Moi経由でロンスエンに向かうことにしました。メコン河も水路も一昨年の雨期に見た時よりも水位は遙かに高いものになっていました。見覚えのある場所と感じながらも確信が持てず、何度か道を間違えたのではと不安になりつつバイクを走らせました。夕闇が迫ると同時に雨も降り始め不安が更に高まったのでバイクを止めて聞きました。ロンスエンはこの方向で良いんですか?親切そうなオジサンが明るく「アンホアのフェリーはその先100mを右に曲った所だから」。100m走れば聞く必要もなかったと言うべきがもっと早く聞くべきだったのか。

今年の4月にも泊まったロンスエン・ホテルに宿を取ることにしました。シングルの部屋は埋まっていて一泊34万ドン。朝食も付くしコープマートが隣にあるので買い物にも便利です。


カンダール州から国境越え

2011-10-23 19:31:00 | 交通
タイの洪水がバンコク中心部まで拡大しつつあるとのニュースが流れる中、メコン河の水位は幾分下がり始めているようなので101号線を下ってベトナムのアンザン省に向かってみることにしました。

3週間前は道路が冠水してたので途中で引き返しました。今回は道路冠水は前回ほどではありませんでしたが、途中国境の手前20km位の地点で道路が20mほどにわたって崩落しており自動車の通行は不可能。バイクは民家の庭に迂回して進めましたが、ドロドロにぬかるんでいて轍が深く沈み込み一苦労でした。

再び舗装路に出ると前回諦めて引き返した地点の冠水もなく、ほっとしたのもつかの間、国境に近づくとやはり道路の冠水は予想以上でした。



両側に民家が建つ道路の冠水なら恐怖心は然程でもありませんが、氾濫原と一体化した地点では果たして水中の道路が真っ直ぐにあるものなのかが分からず不安です。水草が流れアヒルが泳ぐ中を走る勇気が湧かず、他のバイクや自転車が通るのを確認してから渡ることにしました。

200mほどの距離で冠水した地点が6・7個所続き、靴の中とズボンはびしょ濡れ。程度の差こそあってもこの辺では「洪水」は当たり前の現象だからからなのでしょうか、ご近所の人々は、冠水の連続に外国人が途方にくれて溜息を吐く姿を面白そうに見ていました。

101号線は前回同様、夥しい牛の数で、一体この付近にはどれだけの数の牛が飼われているのか知りたくなるほどです。路上の人の姿を数倍する牛の数です。国道1号を折れて50kmも走らない内に国境に着きました。

パスポートを提出すると管理官は「何だ外国人かよ面倒くせー」てな表情で、ちょっと向こうで待ってて頂戴と道路の反対側に置かれた椅子を指しました。ベトナムから入国する人もベトナムへ出る人も皆パスポートを持たない人々で、バイクで立ち止まりもせずに通り過ぎる人が多数です。

暫く待つと管理官が遣って来て、傍に居た青年がベトナム語に通訳して説明してくれました。「こっちは問題ないけどベトナム側がバイクでの越境は駄目って言うみたいだよ」とのこと。ベトナムで起きたトラブルは自分で解決するから迷惑は掛けない、ベトナムに入れなかったとしてもベトナムの入国と出国のスタンプはちゃんともらて来る、と約束して納得して貰い無事出国できました。

長い竹竿の手動式の遮断機があるだけの国境です。ベトナム側にはヤシの葉で作ったようなボロボロの小屋があるだけ。そこでパスポートを差し出すと「向こうの道を左にまがって事務所でスタンプを押して貰え」と言うだけ。バイクについては何も言われませんでした。

ベトナム人お役人の不親切には慣れていますが、道路を曲っても建物は見えません。メコン河沿いではクレーン車が護岸工事をしていました。「アレー」と思い引き返そうとすると一人の男が近づいて来て工事現場の先まで案内してくれました。「あそこが事務所」と示された建物はメコン河に浮かんでいるように見ました。



バイクを留め、氾濫水のため一本橋を渡って建物に入りました。国境を船で越えるために作られた出入国事務所の建物で船から事務所に入れる構造になっていました。その時利用者は誰もおらず、入国管理官の部屋に入って暫く待たされましたが、パスポートをスキャンしパソコンに何やら入力してすんなりと入国スタンプを押してくれました。

その部屋からバイクは見えないし、勿論バイクで入国します、などと余計なことは言いませんでした。バイクを置いた所まで戻ると、先ほど親切に教えてくれた男が、「スタンプ貰えた?良かったね。教えてあげたんだからコーヒー代頂戴」。何ーんだそういうことかと少々ガッカリでしたが、せびる立場よりせびられる方がまだ気は楽だと思いつつ2万ドン札を1枚手渡しました。


二国間国境ゲート

2011-10-09 01:39:50 | 交通

プノンペンからベトナムに入るのにはバサック河沿いに21号線を下るのが一番短い距離で80kmほどしかありません。先週はメコン河沿いに下って道路冠水のため途中で引き返さざると得ず、きょうもまだ水位は依然として高いようなので、バサック川を下ってみました。

プノンペンのノロドム通りをそのまま真っ直ぐ南下するだけの地図を持つ必要もない道のようですが、カンダール州の州都タクマウの街に入るときに一方通行になるため下手をするとタケオ方向に進んでしまいます。その分岐点がわからず、とにかく川沿いを走ることにしました。

川沿いには縫製工場が2つほどあり、ちょうど11時がシフト替えの時間なのか、道は女工さん達で溢れ返っていました。何所かベトナムの女性労働者の姿とは雰囲気が違います。着ている服の色彩とか形とか。プノンペンの街中の女性たちはサイゴン同様みなさんお洒落なのですが。



バサック川もまた水位は高く氾濫して川幅を広げていました。それでも道路の冠水はありませんでした。21号線は舗装されていますが、国道1号と比べれば道幅も狭く、川から引かれる水路に掛かる橋が多いためあまりスピードは出せません。

60kmほど走った所で店に寄り食事しました。が、何が調理できるのか分からず、結局インスタント麺と胡瓜とコーヒーを注文することに。オネエさんは一生懸命中国語で話し掛けてくれますが、勿論自分には全く意味不明。ベトナム国境までは20kmと教えて貰い、一時過ぎに国境に着けるようここで少し時間を潰しました。

再び走り始め、左手にカジノが見えたので国境に着いたことが分かりました。付近にはベトナム語の看板も店もありました。ゲートに着き手前で窓口に寄ると「中まで入れ」とのことだったのでバイクを内側まで運び、「これなら大丈夫」と思ってしまったところ、パスポートを差し出すと、「カンボジア人とベトナム人以外は駄目だよ。インターナショナル・ゲートじゃないんだから此処は」とのこと。

気の良さそうな係官だっただけに残念でした。バイクごと越境できるかどうかは係官の人柄に依るところが大きいように感じているだけに。

事前に知れべて措かなかった自分の問題ではありますが、日々変わる状況にあるわけで何ればここも国際ゲートになる日が来るかも知れません。今は国境経済区に対する「無駄な投資」との批判もベトナムでは多いようですが、メコン河のヴィンスン国境ゲート周辺も「ヴィンスン経済区」として開発が始まっています。
http://www.khukinhteangiang.com/



メコン河の国境ゲートまでは12kmほどしか離れていませんが、勿論繋がる道路はなく、川岸に出てみましたが船でメコン河まで運んでくれそうな船もありませんでした。その前にそんな水路もないと思いますが。
ベトナムの携帯電話のスイッチを入れると電波は強く、試しに何人かに電話をしてみました。

近くの国境警察の看板にはちゃんと書いてありました。「CHREY THOM-KHNATANGYOU BILATERAL BORDER」

来週はもう一度メコン河沿いに下り「ヴィンスン国際国境ゲート」に出るか、或いはタケオを経由してアンザン省ティンビエンの「スアントー国際国境ゲート」に行ってみることにします。





帰りに道路沿いで「タクワン」らしきものを売る店が並んでいました。時間も有り余っているので見て回り、味見をするとやはり大根を干して漬けた沢庵同様の加工です。ベトナムでも沢庵を日本から持って来て貰って食べているとベトナム人から「ベトナムにもある」とは聞いてましたが、実物はまだみたことはありませんでした。

1kgで4,000-5,000リエル。味は少し濃いものの100円以下の値段ならばと思って1kg買いました。



ベトナムでも「国産リンゴ」と呼ばれているものですが、こうやって紐に吊るして売られているのは見たことはありませんでした。

バサック川から引かれる水路の数は多く、橋の多くは鉄板が敷かれたもので車2台はすれ違うことができないものが殆どです。余りにも橋の数が多いので数えてみました。余りのもスレンダーな女性を見るとつい体重を聞いてみたくなるのと同じで。

と、いうのも今だクメール語で数字をまともに数えられないのでその練習。ムイ、ピー、バイ、ブオン、プラムまでは良いのですが、その先が詰まります。





水路では野菜を洗ったり、牛を洗ったり。そこにゴミを捨てに来る人もいました。せめてもう少し下流から流せば良いのに。




101号線の牛

2011-10-02 00:11:57 | 交通
水かさの増したメコン河を見たくなり、朝から出掛けました。国道1号を下り、メコン河を渡らずに右折すればへトナム国境へと流れる右岸に沿って進むことができます。

国道一号沿いも2週間前と比べるとメコン河を氾濫した水は更に面積を広げていました。違ってた印象を受けたのは所々に牛が道路脇に大勢並ぶ風景です。また、餌の草を積んだバイクも以前は見ないものでした。何で今日はこんなに牛が多いんだ・・・などと不思議に思ってしまいましたが、それもその筈、牛が今まで居た場所は水に埋め尽くされ、食む草も水面下に隠れてしまっています。

人間は高床式の家屋で生活できますが、牛小屋の高床式というのは聞いたことがありません。牛が階段を登る姿もちょっと想像できないし。そんなわけで、牛の仮設テントが立ち並んでいました。たぶん夜も其処で過ごすよりないようです。洪水のお陰で路上生活を強いられる牛も気の毒ですが、縄でその場に繋ぎ留め、餌の草を集めて運ばなければならない農民も面倒な仕事が増えてしまったわけです。



プノンペンからメコン河までの1号線は概ね水面から2・3mは高く盛られた道路で、メコン河の堤防のようにも思われますが、しかし幾つもの水路が道路の下をくぐっているので道路両側の低地に氾濫水が満ち満ちています。

6月にこの道を走り、川のない橋を見て「何でこんな橋をODA援助で作るんだ」?などと思ってしまいましたが、今その橋の下はメコン河の氾濫水が勢いよく流れています。



国道1号をメコン河ヘリーの手前で右折し101号線へ。60kmほどでベトナム、アンザン省タンフー県の国境へと続くはずです。その国境ゲートへはベトナム側からは行ったことがあるので、今日はカンボジアから越えられるかも知れない・・・などとも期待してバイクを走らせました。グーグルマップを見たところ、道路が途中で切れているので渡れる確率は低そうですが。



この101号線、国道1号と違って道路が盛り土で高くなっていないため彼方此方で冠水していました。道路脇に土嚢を積んで水を堰き止めている場所では30cmほど水面が道路より高くなっていました。

冠水した場所を何度か走り抜け1時間ほど経った時、とうとう冠水距離が長くてどれだけ続いているのかが分からない場所がありました。遙か先に見えるのは小舟で道路を渡る姿。引き返すべきか迷いました。靴も靴下も既にびしょ濡れ状態だし、見れば真新しい電柱は立っているものの電線は未だ引かれていない状態の地域です。

たぶん国境に近付くに連れ道路状態はもっと悪化するだろうから、無理しても意味のあることではなさそうだ、と諦め引き返すことにしました。



帰る途中でバイクを止め写真を撮っていると、一人のオバサンが出てきてしきりに話し掛けて来ました。まったく言葉の意味は分からないのですが、「家の庭はもっと浸水してるからこっちに来て見れば・・・」というような雰囲気だったので後に付いて庭に入らせてもらいました。





子供たちにとってはプール付きの家で生活しているようなもので楽しそうでした。とは言え、ベトナムでも子供の死亡率の原因トップは溺死でしたから危険であることには違いありません。

メコン河の水路に放たれた水がバサック川が流れる西方向へ勢いよく流れて行きます。メコン河とトンレサップ川はプノンペンで合流し、そしてメコン河とバサック川に分かれてベトナム領内に注ぎ込みます。この二つの河川の間の距離は最大30km、ベトナム国境を越える地点では10kmほどではないかと思います。

その低地一帯が雨期には耕作不能な水面と化しているように感じられます。また其処だけではなくこのデルタの多くの地域が同様なのでしょうけど。

中国の文献によれば紀元前後に扶南という国家がこの地に登場し、次に真臘(しんろう)という国に取って代わられ、その真臘が陸真臘と水真臘に分裂したとされています。この水に覆われた土地が「水」真臘という名の由来であるに違いない、などと実感するに十分すぎる光景です。一度上空から観てみたいものだと思いました。



101号線の道路には国道1号よりも遙かに多くの牛と仮設テントがありました。人間の数を数倍する牛の数です。交通量が少ない分だけ、ここの牛の方がストレスが少ないかも知れません。
勿論バイクで走るのにも自動車の通行が少ない-特にバスが走らないというのは嬉しいものです。ただ、仔犬や鶏が思いがけなく突然道路を横断するのには何度かヒヤっとさせられました。



気象予報センターの予測では、メコン河の国境地点での水位は明日明後日が4.8mでビークを迎え、以後下降し続けるとのことです。









デンマーク大使バイクでプノンペンへ

2011-09-09 23:19:32 | 交通
デンマークの駐タイ Mikael Hemniti Winther大使が、バンコックからプノンペンへのチャリティー・ツーリング-カンボジア、タケオ州の小学生たちにヘルメットを贈る-を呼び掛けているそうです。

小学生にヘルメットを贈る運動は、 「Asia Injury Prevention Foundation」が2000年からベトナムで取組み、35万個のヘルメットを配布した経過があるようです。ベトナムに住んでいても知りませんでしたが、確かに小学生の登下校、特に地方の国道沿いなど危険なことは気になっていました。正門の前で下校時に教師が通行する車を止め、児童を集団で渡らせる光景もメコンデルタにはありました。

タイでカンボジアの小学生にヘルメットを贈る取組みというのがどのような経過で今回実現することになったのかは、まるで分かりませんが、デンマーク大使館がそれを後援することになったわけです。



ツーリングは、11月9日から14日まで650kmの行程で最初の2日間は、デンマーク大使が彼の新しいホンダ・トランザクションに乗って先頭を走るとされてます。



ツーリングへの参加登録費用はバイク1台につき10,000バーツ(332US)だそうで、自分の懐具合では躊躇してしまう額ですが、タイに住んでいたら多少は考えてしまう企画のようにも思えます。ただただ国境をバイクで越えるというその一点だけの魅力なのですが。

http://www.bangkokpost.com/lifestyle/family/255362/embassy-sponsors-fundraising-bike-ride-to-phnom-penh

                        

ロシアのプーチン首相がバイクに乗る姿も何度かニュースで見ましたが、日本の政治家や外交官のバイク姿というものがあるのなら一度見たいものです。


プレイヴェン州一号線沿い

2011-09-03 22:55:01 | 交通
Neak Lueongフェリーを渡りサイゴン方向に下ると一号線はメコン河から遠ざかります。それなのに何故、河が氾濫したかのような風景が続くのか不思議です。
もう一度確かめてみようと思い出かけました。

フェリー乗り場の手前に右折する道があり、メコン河の右岸に沿ってベトナムに続く道のようです。舗装されていることでもあり暫く走ってみました。高床式の家が続き、ベトナムの国境沿いの風景もこれと変わらなかったことを思い出しました。ベトナム国境まで行くのは次の機会にするとのにし、再びフェリーまで戻りました。



田圃の中に砂糖ヤシがそびえる風景、カンボジアの至るところで見ることができるのでしょうけど、見るたびに心が和みます。水の中に立った姿を見たのは、たぶん、きょうが初めて。

子供たちのはしゃぐ声が聞こえたのでバイクを止め、土手を下りると魚を獲っていました。ザルを覗くとカニやタニシを自慢げに見せてくれました。



するとお母さんらしき婦人が「こっちはもっと獲れたんだから」とでも言いたげに差し出したタライには小魚が今晩のおかずに十分なほどありました。



お寺の前の小さな店に寄りコーラを買いました。60歳過ぎのご婦人が出てきて話始めました。長いこと英語を話していないようで、言葉に詰まると「フランス語は出来るか」?と聞かれました。「私は娘一人だけだけど、この子は二人産んだのよ」とのこと。
お寺に参拝に来る人々が買い物するのでそこそこの商売になってる、と言ってましたが、とてもそんな風には見えないお店でした。このご婦人も小さい頃はこの孫のように可愛かったのかどうか疑問に思えるのと同じで。



夕方5時を過ぎると子供たちの姿が増えます。橋の上でバイクを止め下を覗いてる姿がありました。そのままの服装で水遊びをする子供や大人達をまるで祝福するかのように、空を見上げると虹が出ていました。




コンポンチャムへ

2011-08-26 20:51:53 | 交通
晴れた日曜日、昼近くになってからバイクで北の方へ行ってみることにしました。プレイ・ラングの森まで行くのは到底無理な時間です。そこまで行くのは泊まり掛けか、あるいは雨期が明けてからのほうが良さそうです。

モニボン通りから通称「Japanese Bridge」を渡りそのまま北に向かうのが国号6号です。何処となくサイゴン橋を渡るのと雰囲気が似ています。道幅や交通量はだいぶ違いますが、川が市街と郊外を隔てているのは同じ。

橋を渡って30分ほど走ると交通量も少なくなりました。ベトナム同様2人乗りのバイクが多く、しかも後部座席にブリキ缶(衣装入れのような)を括り付けその上に人が乗っている姿なども何度となく。バイクは60km/h~70km/hほどで流れています。

滅多にバイクに追い抜かれることもなく走っていると、一台のバイクが爆音を轟かせ、しかも黒煙をまき散らして走り抜きました。「何処の国にも居るんだ~こういう輩が・・・」などと呆れているとそのバイクが急にスピードを落としました。見れば筋肉隆々の両肩にタトゥを刻んだ国籍不明のゴツイお兄さん。

驚いたことには、そのボロバイクが色も同じ黒のホンダAX-1。ご同輩、何か言いたげな素振りでしたが何も言わず、バイクを止めたのでこちらも止めると「ライトが点いてるよ」という仕草。消し忘れをわざわざ教えてくれただけでした。

250ccでもマフラーを外すとなかなかどうして大型バイクの如き音量。ボロでもAX-1は速いようで、あっと言う間に視界から消えてしまいました。勿論、こちらはそんな走り方をするつもりは毛頭ありません。ベトナムより20%以上もガソリン代が高いわけだし、咄嗟の反射神経が衰えていることも確か。

予め地図を眺めてから出発しましたが、最近作られた道路などは地図になく方向感覚も悪いので途中売店に寄ってコンポンチャム方向を目指しました。

プノンペンで合流するメコン河とトンレサップ川の間を国道6号が走るわけですが、何時まで経っても両側に川があるかのような風景が出てきます。夥しい水面積だろうと思いました。統計によれば、カンボジアの水面積率は2.5%となっています。

だけど、これは乾期なのか雨期なのかが問題です。トンレサップ湖の水面積は雨期には5~6倍に拡大すると言われてます。たぶん統計は年平均値なんでしょうけど、平均値などというものに何の意味があるのか、と数字が馬鹿馬鹿しくも思えるこの景色。

自然公園の案内の如き看板を見たので国道から逸れてその方向に向かいました。
間道に入ると焼きバナナを売る姿があったのでバイクを止め、一本買いうことにしました。一本と言ってもモンキーバナナで一本の串に4-5本刺してあります。



差し出された椅子に腰掛けのんびり(熱くて直ぐには食べられません)食べてると家からお婆さんが出てきてしきりに話しかけます。「すいません、クメール語わかりません」と答えることもできずいると延々と話続けるばかり。見かねてバナナを売っていたオバさんが何か言うとやっと家に引き返しました。

すると今度はお爺さんが家から出てきてバイクの回りを見て回り、じゃがみ込んで観察し始めました。プノンペンでは幾らでもあるこんなバイクでもこのお爺さんにとっては物珍しさがあったのでしょうか。余ほどバイクが好きだったのではないかと思いました。この爺さんの青春時代、1950年代かも知れません。カンボジアにはどんなバイクが走っていたのでしょう。日本では、メグロとか陸王、トーハツなんていうバイクがあったんだけど・・・なんて話もしてみたかったのですが。



傍らではお母さんが女の子の髪を丹念に梳かしてしました。メコンデルタでは虱を取る光景は何度となく見ましたが、明らかに雰囲気は違うものです。髪を梳かす母親の表情と梳かされている女の子の表情がある種特別な世界を醸し出しているような。

再び走り続けても看板にあった「TUEUK CHHA CULTURAL NATURAL SITE」は現れず、いつも間にか国道7号に出てしまいました。右折すれはシェムリアプ方向、左折でプノンペン方向と出ていました。そして「NUTURAL SITE」は後方14kmだとか。

仕方なくもう一度来た道を戻りました。ところが14km戻ってもそれらしき場所も看板もなく、再び国道6号に出てしまいました。言葉が通じないというのもそれはそれで面白みもありますが、やはり困った時には情けないものがあります。




国道1号線風景

2011-08-22 01:15:35 | 交通
プノンペンから国道1号を下りメコン河を渡るNeak Loeungフェリーまでは約60km。
時折、バイクを止めてシャッターを押しました。

                  

プノンペンから約30mほどのところで新プノンペン港の建設が行われています。中国からの借款で看板も中国語。

                  

Neak Loeung橋の建設、完成予定は2015年。

                    

サトウキビの収穫シーズンは10月から半年間と思っていましたが、国道沿いに数多く積まれてました。製糖工場に運ばれるものなら此処に積まれることもないと思えますが。



ベトナムでも販売されていたクボタのエンジン。トラクターや発電機、ポンプなど多目的な用途に使えるそうです。

                  

                 この色のトウモロコシは飼料用なのでは?




                   


           

氾濫したメコン河の水が国道まで広がり、ゴミがプカプカ浮かぶ中で子供たちが釣り糸を垂れてました。バケツを覗くと小魚ばかり。




                

                川ではなく、湿原みたいなところです。



プノンペンに戻る前に甘い物を食べて休憩。ベトナムのCheとほぼ同じです。