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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

プノンペンの交通

2011-08-18 00:31:20 | 交通
雨上がりの夕方に街を歩いてみると、サイゴンに比べプノンペンの中心部は随分と狭いことに気付きます。バイクタクシーやトゥクトゥクの運転手に声を掛けられ続けるのは煩わしいものですが、時にはご厄介にもなるわけだし、まったく声を掛けられないというのも寂しいものがあるかも知れません。

今年上半期のカンボジアの自動車と二輪車車の輸入合計は、昨年同期比60%増の335,131台だそうです。6月時点での登録台数はバイク149万台、トラック、バス乗用車が30万台だとか。ということは半年で20%以上も増えたことになります。

http://www.phnompenhpost.com/index.php/2011081251031/Business/imports-of-vehicles-on-the-increase-this-year.html

交通渋滞が問題にされてもいる道路事情のようです。しかしサイゴンやバンコクで経験した渋滞を思えば、時折工事渋滞の時にイラつくことはあっても格段の違いではないかと感じていますが、このペースで増え続ければどうなることか。

サイゴンの街との比較では、自動車対バイクの保有比率がプノンペンは2:10、HCM市では1:10ほどのようでで自動車の多さが目立ちます。人口100人当たりではプノンペンが8.5:45、HCM市は2009年データによると5.6:58ですが、プノンペンの人口はHCM市の1/3程度のためかバイクの多さは驚くほどではありません。

         

どちらも日本と違って車やバイクは右側通行です。フランスの道路建設の名残なのかどちらも街中では信号のないロータリー交差点が多く、エンストし易いバイクに乗ってると面倒です。しかしHCM市のAn Suongロータリーの殺気立った混雑を思えばまだまだ平和で許容できる範囲内というべきです。

ベトナムでは禁止標記がなければ交差点の信号が赤でも右折が可能ですが、ここでは法的には不可となっています。多くの交差点は、直進と右折の青信号が終わった後左折の青信号が点灯するため赤信号での待ち時間はベトナムより遙かに長く、そのため左折信号点灯時に直進するバイクが殆ど。交通警官がその場に居ても取締対象外のようです。

時折、ノンヘルのバイクが交通警官に呼び止められている場面を見ます。しかしベトナムと違ってバイクの後部座席の人間はノンヘルでも止められることはないようで、バイクタクシーも客用のヘルメットを用意してません。

路上のバイクを警察がトラックに乗せて運び去る光景はベトナム同様何度も目にしました。プノンペンではそれがどのような理由によるものなのかは知りません。

5・6年前だったか、随分と右ハンドルの車が多かったように感じましたが、今はさほどでもなく、殆どが左ハンドルです。NISSANマーチとかパジェロ・ミニなど(あまり新しくなさそうな)は今でも右ハンドル車が走っていました。最近になって右ハンドル車の輸入が不可になったのでしょうか?ベトナムでは右ハンドル車は通行も輸入も禁止とされています。

長距離バスはあっても市内路線バスがまだなく、その意味では益々バイクを増やすことに繋がるわけですが、しかし、HCM市では路線バスが増えたにも関わらずバイクの増加を抑制する効果はなかったようです。というか、路線バスの荒っぽい運転こそが最も危険要因と思えるものがありました。このインフレ下でも市街地4,000ドン、郊外のクチまで1時間走っても5,000ドン(25円)という低料金も極端に感じます。

それでも賃金水準との比較ではどうなんでしょう。子供の頃には日本でもバスに車掌さんが乗っていた時代は10円とか15円の運賃だったような。あの頃の高卒初任給が1万円以下だったとも考えられません。

プノンペンの路線バスは、はたしてどのような水準で検討されているのでしょうか。



オーバーステイ

2011-08-15 23:28:00 | 交通
一度サイゴンに戻らねば、と思いつつどうも億劫で延び延びにして来ました。何事も面倒くせーと思うことが増えたこの頃です。どうせ日曜日はダラダラと過ごしてしまうのだから、と思い午後からサイゴン行きのバスに乗ることにしました。

今回は発着所が比較的近くで便数も多いSAPACOバスに乗ることにしました。シハヌーク通り307番地、隣にはKUMHO-SAMCOバスの事務所もあります。13時発のバスがあると思ったのですが予約が満杯のようで取れたチケットは14時30分発。サイゴン着は8時半頃とのことでした。午前中に電話で予約しておけば無駄な待ち時間もなかった・・・などと今更ながらのことを思いつつ、それでも付近のバイク販売店で値段を聞いて回っているうちに時間は過ぎて行きました。

バスの中で集められたパスポートの束を見ると乗客は中国とベトナムのものが多かったようです。国道1号線は最近何度かバイクで走っているので見慣れた風景です。それでも座席の高さがまるで違うため視界は格段の違い。バイクでは脇見運転を延々と続けることもできないわけだし。SAPACOバスの運転手もベトナム人だったようで、クラクションを鳴らしながら殆ど国道のセンターラインを跨ぎながらの運転でした。前に走っていたマイリン・バスをも追い抜きました。どうせフェリーで一緒になるので急いでも到着時間に変わりはない筈なのに。



メコン河を渡るフェリーでは既に多くの車が待っていました。しかし何故か先着の多くの車を抜かして到着した船に後続のマイリン・バスともう一台の別計3台のバスは直ぐ乗ることができました。待たされる車の運転手の身になれば堪ったものではありません。このフェリーも4年後には橋にとって代わられる計画だそうで、それまではこの「不平等」に甘んじねばなりません。

プノンペンからサイゴンまではカンボジア内が約3時間、国境近くの食事と出入国手続きで約1時間、ベトナムに入ってサイゴンまで2時間の計6時間ほどになるようです。渋滞があればそれ以上。

いざ、出国手続きとなった時、名前を呼ばれてパスポートをバスの乗務員から返されました。「オーバーステイの手続きをするように」とのこと。ビザには3か月分の年月が記されて9月6日が期限となっています。

出入国係官の窓口で抗議すると、「入国時のスタンプは1ヶ月となってる」と言われ、尚且つ食い下がると「文句があるなら今からプノンペンに戻って交渉してください」と場慣れた対応。

バスは他の乗客を乗せてその場を離れ、入国ゲートに走り去ってしまいました。ここで無駄な時間を費やしてバスに乗れなかったら目も当てられません。パスポートに押された入国スタンプの年月日、その小さな数字を確認しなかったのが敗因です。老眼とはかくも悲しいものなのか、などとも思いつつ27日間×5ドルの135ドルを反則金として払うことに。それでもVN航空を使うよりは安いし・・・と思えるのがせめてもの慰め。

小雨の中を一人でベトナムの入国事務所まで歩くとSAPACOバスはまだ留まっていました。窓口は後続のマイリン・バス乗客の手続き中。パスポートを差し出したもののマイリンバスの一括処理が終わるまで待たされることに。日本のパスポートも見えました。ビザなしでMOC BAIのゲートを越えたのかどうかは知りませんが、自分の分はベトナムビザがまだ今月末まで残っているので問題ありません。もっとも次回は再びベトナムビザを取るつもりはないので、ビザなしで陸路入国ができるかどうかは問題です。

Neak Loaengフェリー

2011-07-02 19:20:27 | 交通
プノンペンから放射線状に走る国道は7本。5号線と6号線は先日1時間ほど走ったので昨日は1号線をバイクで下ってみました。ベトナムのサイゴンに繋がる道路なのでバスでは何度も通りましたが、やはりバイクから見る景色は違います。ODAで作られた橋だからでしょうか、たいして大きくもない国道の橋にも出資国の国旗入りプレートが付いてたり、なんてことにも気づきます。

バイクは月極めレンタルで120ドル。雨期なので比較的濡れにくいスクータータイプにしようとしたところ1日7ドル、250ccのデュアルバーパス車は12ドルとのことだったので一番安いホンダWaveαにしました。ガソリン代も1.25ドル/Lでベトナムより高いことだし。エンジンは快調。スピードメータが壊れたままで走行距離が不明なのが少々困ります。街中にガソリンスタンドは多くないようだし。

バサック河(ベトナムに入るとHau Giangと呼ばれてますが)のモニボン橋を渡って直ぐは道路工事で渋滞してましたが道幅が広くなると通行量は意外に少なく快適でした。
この国道はメコン河を渡るまでは河に沿って伸びています。この辺り、バサック河の左岸からメコン河の右岸に挟まれた土地はKANDAL州。雨期の終盤、氾濫期はアンザン省同様に田んぼが水面下に隠れてしまうのでしょうか。


国道から見える景色は田んぼよりも畑のほうが多いようでした。
1時間ちょっと走れるとメコン河のNeak Loaengフェリーに着きました。カンボジアのフェリーにバイクで乗るのはこれが初めて。窓口で乗車券を買う時になって何と言うべきか迷い、身振り手振りで尋ねると500リエル札を一枚示されました。フェリーにはサイゴンを行き来するバスやコンテナ車も乗るのにここにはわずか2台しかない様子。ロンスエンのフェリーと比べると交通量の少なさが知れます。
フェリーを待つ間、盲人の物乞いが二人狭いバイクの間を歩き回っていました。

フェリーが動き出すと同時に雨雲が広がり、風と共に大粒の雨が降って来ました。慌てて雨具を取り出す人も少なく、当然のことのように濡れるがままにしている人達の方が多いような印象です。

カッパを着たものの風が強いので脇と長袖シャツの腕、靴はびしょ濡れ。雨上がりを待ってプレイヴェン州側の川沿いを散策してたので靴とズボンは泥だらけになってしまいました。






カボチャの路上販売

2011-06-29 22:43:12 | 交通
プノンペンから国道5号線をぶらぶらと北上してみました。
サイゴンと比べれば遙かに小さいプンペンですが、外国人比率はサイゴン以上のようだし、言葉も通ぜず街中にいても面白いことはありません。

40kmほど進むとプノンペンが首都となる前の王都ウドン(Udong)辺りに着くはずです。さすがに日射しは強く半袖シャツから出た腕の内側が焼けて痛みを感じます。5号線はトンレサップ川に沿っています。しかしその割には倉庫や工場の姿が多くありません。プノンペンのビル建設の多さはと比べると。

10kmほど走って町を抜けた辺りにMH SARUN精米工場、その隣に韓国資本のMH Bio Energyの工場がありました。キャッサバから燃料用エタノールを精製するカンボジアで初めての工場で何度か新聞で読んだことがあります。向いには小麦製粉工場だかインスタントラーメンの工場。

道路の川とは反対側は湿地帯のようで淡水魚養殖池が広がっています。


看板にはチャ魚のような姿も描かれてましたが、ベトナムのメコンデルタで見たような集約的な大量の養殖ではないようで、水面を魚が跳ねている姿は見えませんでした。

王都の名残が何処に残っているのか探してみようかとも思いつつそんなものが見つかるとも思えないでいると急に雨が降り始めました。道路沿いの店で雨宿りさせて貰いました。


子供も犬も人懐っこく、それでいて控え目でシャイなところがベトナムとの違いだと感じます。勿論プノンペンの外国人相手の客引きなどは変わることありませんが。



雨上がりの国道沿いにはシャックフルーツや蒸しトウモロコシなどと一緒に大きなカボチャが並べられていました。「さずがにカンボジア」などと思ってしまうのは日本人だけなのでしょうけど。


メコンエキスプレスバス

2011-06-22 00:53:23 | 交通
先週末、サイゴンからプノンペンへに戻りました。先月プノンペンから帰った時に乗ったのも同じ会社のバス。カンボジアのナンバープレートを付けたカンボジアのバス会社のようです。

今は数多くのバス会社がこの路線を走っていて、チャンバンの国道沿いのカフェからもよく見掛けました。かつてサイゴンのファングーラオ通りからシンカフェ・バスに乗った頃-7・8年前だったか-とは随分と様変わりです。当時はまだバックパッカー用のバスという印象が残ってました。

今回のバス-昼1時出発で直前に空席が残っていたのがこの「メコンエキスプレス」でした。片道12ドル。De Tham通りのVietsea Touristで勧められた10ドルのバスは既に満席。VN航空で130ドル払うことを思えば2ドルの差など何てこともありません。一昨年VN航空を利用したところ、乗客が少ないため一便欠航となり空港で長時間待たされ時につくづく思いました「こんなことならバスにすれば良かった」。

女性のガイドさんのアナウンスはすべてカンボジア語。僕以外のすべての乗客はカンボジア人とのことでした。その代わりに席の近くに来て英語で説明してくれました。40名弱の他の乗客はベトナムの病院にヘルス・チェックを受けに行った帰りだそうです。ガイドさんは身に付けたスカートがカンボジア人と分りましたが、乗客の顔立ちを見た限りでは国籍不明でした。農村部で見る顔や姿とは異なっています。前の席の乗客はタッチパネルの端末でメールチェックしたりニュースを検索したりしています。時に携帯電話も鳴り「バー、バー、バー」と小声で答えてました。

ベトナムの長距離バスでしばしば見受ける傍若無人さ、その耐え難い不快な思いがここにはありません。

カンボジアのビザは予めHCM市のカンボジア領事館でビジネス・ビザを取りました。ビジネス・ビザも1ヶ月間のみで25ドルと何処かで読みましたが、領事館での請求は67万ドン。「あれっ、高いじゃん」と思ってよく見るとビザの期間が3ヶ月になってました。

一人だけ外国人のため出入国手続きに手間取るかとも思いましたが、呆気ないほどスンナリとゲートを通過。他の乗客の出入国カードはガイドさんがバスの中で全員分を記入していました。

出入国手続きと食事休憩で約1時間費やし、メコン河を渡るフェリーの待ち時間が20分ほどあって、プノンペンに着いたのは7時過ぎでした。この日、12時にホテルを出て空港に向かった本間君たちがプノンペン空港に着いたのは4時頃。迎えの車が来ずに待たされたそうなので、実質的にはバスでも大差ない時間のようでした。













電話もメールも繋がらない

2011-03-11 15:13:13 | 交通
日本で地震、とのニュースを見てメールと電話を日本に試みましたが繋がりません。

まだ新聞社のサイトでは被害状況がよく解りません。
日本とメールも電話も使えないのは実に有難いところではあります。
台風で学校が休みになった時の小学生の解放感同様に。
が、それでは仕事にならないので喜ぶわけにもいきません。

DHLやFEDEXは届くのでしょうか?成田空港も閉鎖だそうです。
メールが繋がるまでどうしたら良いのでしょう。
日本の他の地域にもメールしてみましたが、やはり返事は来ません。
携帯電話や固定電話から日本に掛けても繋がりません。時にベトナム語でのアナウンスが流れ、時には日本語の回線が混み合っているとのテープ音声が流れます。そうかと思うと韓国語であったり、中国語だったりするのは何故でしょう。








国道91号陥没現場

2010-05-29 22:47:19 | 交通
アンザン省にある九県の内、アンフー(An Phú)県だけはまだ行ったことがありませんでした。メコン河の後江がカンボジアから流れ込む場所でもあり、一度は見ておきたいと思い、朝から出掛けました。

町を出る前にスタンドに寄って洗車とオイル交換を済ませ、国道91号を30分ほど走ると前方の空から雨雲が広がりました。午前中にスコールが降ることはそう多くはありませんが、降ること間違いなしの雲行きです。

スコール直前の景色を画像に残し、更に走り始めると先月だったか、道路が陥没した地点に着きました。台風や地震による被害ではなく、メコン河の侵食による崩落です。91号線はメコン河に沿ってはいるものの河岸に接近した地点はこのチャウフー県Cái Dầuの町の近く、その手前です。

新聞によると、河沿いの道路の下にはまだ幾つもの空洞が見付かっているとか。どうやって調べたのでしょう。それを発見するための「地下レーダ」をアンザン省の運輸局が持っているとは思えませんが・・・などと、かつて働いたことのある地質調査関係の会社のことを久しぶりに思い出しました。確か兼崎さんという方が会社に泊まりこんで地下レーダーに取り組んでおられたような。

町の中の岸壁がコンクリートで固められ整備された光景を見る度に、以前の土の土手を懐かしがったりもしているわけですが、しかしこの陥没現場を見てしまうと、そうも言ってられない気になります。

バイクを止め、シャッターを一度押したところで雨が降り始めました。船から籾殻を運ぶ人々も雨宿りを始め、近くの売店のオバサンが中で休むようにと声を掛けてくれました。

暫く振りに洗車したのに30分ほどで雨に濡れてしまいました。雨具の用意はしてあるもののこのバイク、濡れた路面でブレーキを掛けるとスリップして危険。他に道路を走るバイクもなくなりました。

道路は子供達の独占物となりました。大人たちが何も出来ない束の間の空間を勝ち誇ったように上半身裸の子供たちがはしゃいでいます。

雨は30分ほどで上がり、再び空が明るくなりました。路面が乾くまで10分ほど待ち、再びバイクを走らせました。




メコン河の入り口

2010-05-16 23:49:38 | 交通
メコン河が二つに分かれてベトナム領内に流れ込む景色を見に行こうと思いました。後河のほうは以前シンカフェのツアーでチャウドックからボートでプノンペンに向かった時に通ったことがあります。それにAn Phu県方向はコレラも流行っているようだし。

今回は川幅の広い前河を見ることにしました。が、金曜の午後から胃が痛み出し、土曜日は一日中ベッドの上で過ごすことに。連休以降、朝にリンゴを食べる習慣を止めてしまったのも原因かと思い、リンゴを買いに行きました。この時期、中国製の「ふじ」もマンゴスチンより高い値段になってました。

あれこれ飲み残しの胃薬を引っ張り出して飲んでみましたが、ベトナムで買った薬は効果なく、日本から持ち帰った「セルベックス」と「ガスター」、粘膜の分泌を促進し、胃酸を抑える薬が効いたようです。

「前河」の上流へはチャウドックからフェリーで「後河」を渡ってTan Chauの町に出て、そこから「前河」沿いに北上すれば着くはずですが、以前一度迷ってしまったことがあります。「前河」と「後河」を結ぶ水路をフェリーで渡らねばならない、と地図を見て知りました。

昨日一日身体を休めたせいか、きょうは朝も爽やかに目覚めたのでバイクで出掛けました。昨日は午後から何度か雨があり、雲も多く気温がさほど上がらずでしたが、きょうは強烈な日差しを浴びることに。一時間ほどでチャウドックのフェリーに着きました。

途中メコン河沿いの国道の陥没箇所を見ました。川の浸食で見事にズドンと道路の片側が途切れ、絶壁状態になってました。まだ何箇所も道路の下に空洞が出来ているとのことです。

フェリーに乗る前にリュックから地図を取り出して見ると、何と朝出がけに手にしたのはアンザン省の地図ではなくチャヴィン省のものでした。書店を探して暫くチャウドックの町を回りましたが見つからず、買ってもどうせ当てになりそうもない地図だろうし、と諦めました。

チャウドックで渡る「後河」は川幅が狭く、フェリーは4,000ドンですがあっという間です。その分水深があるのかも知れません。渡ると直ぐにイスラムのモスクが目に入りました。民家も古い木造の高床式の建物が多くなります。Tan Chauの町までは16kmほど。「前河」と「後河」を繋ぐ水路に沿った省道です。この時期だからか、水路の水は浅く淀んで見えました。

Tan Chauの町は前回来たときにも通りましたが、他の町と同じように見るべき何ものもないの殺風景な町なのでカフェに寄ることもなく「前河」の上流方向に走りました。省道の右側にフェリーの看板を見つけ、大きな水路を渡りました。木々の青葉が繁っているせいか、水は緑色に見えます。

国境近くのこの辺の村は特に貧しいらしく、先日、警察(公安)が2つの村に25百万ドン寄付したとの記事がありました。道路を走りながら見る限りでは、その特別な貧しさを知ることはできません。

道路を進むとメコン河に出ました。そして其処にVinh Xuong国境口の看板がありました。兎に角暑いので売店でペプシを飲み、メコン河を眺めました。川幅は広く雄大な流れです。売店ではベトナム人の男が集まり博打をしてました。制服を着た入国管理官二人も椅子に座ってそれを眺めていました。








国庫に納付

2010-05-04 21:19:30 | 交通
きょうは75kmほど離れたキエンザン省ラックザーまで交通違反の反則金納付のため出掛けました。昨日、Vi Thanhからの帰りにラックザーの町を回って帰ろうとしたのが大失敗。街中の片側2車線の道路で連休期間中の「速度違反」取締りにまんまと引っかかってしまいました。

他のバイクを多少追い抜き気味に走っていたことは事実ですが、ことさら目立つほどのスピードではなかったので何故呼び止められたのか分からずに「何でしょうか」?尋ねると「検査です。書類を出して下さい」と言うので免許証と登録証を出すと、「11km/hのスピードオーバー、ここにサインして」ということに。

いくら何でも51km/hも出していませんよ。と食い下がり、一通りの抵抗をしてみましたが、「君、サインしないんなら其処退いてよ。邪魔だから」と免許証と登録証を握ってしまえばこちらのものとばかり、相手にもされなくなってしまいました。

その間にも11km/hオーバーのバイクが次々に止まり、書類が作られて行きます。しかし、誰一人として抗議の声を上げる者はなく、皆さん気軽にサインに応じてました。

ここで粘ってもどうにもならないと思い、反則書類に目を落とすと5月6日に出頭しろとの文面。それまで免許証と登録証は没収だとか。その日を含め5日間バイクに乗れず、どうやってまたこのキエンザン省まで来れば良いのでしょう?

と尋ねると、じゃあ、明日でも良いから公安に出頭して反則金を納めれば書類を返却するし、バイクはきょうそのまま乗って行って構わないとのこと。今、反則金を納めることはできないのか、と聞くと「きょうは国庫(Kho bạc)が開いてないから駄目」。

そう言えば、新聞に反則金を国庫に納めず、省の警察レベルかその下でネコババしてしまう「違法」な取締りが問題になっていました。この警察の「違法取り締まり」を取り締まる部隊まで組織されているそうです。

そんなこともあり、この省では反則金は交通警官が徴収することをやめ、反則者が国庫に出向いて納付するシステムにしたのでしょうけど、省外の居住者にはエライ迷惑・面倒です。「行政手続きの簡素化」にも逆行するわけだし。

ラックザーの町で一泊し、翌日反則金を納付してからロンスエンに戻ろうかとも思いましたが、最低の気分で見知らぬ町に泊まるのはどうも気が進みません。一度ロンスエンに戻り、気分をリセットしてから翌日またラックザーに行くことにしました。

2時間かけてラックザーの公安の建物に着くと、書類を提出する窓口前の待合席は満杯。しかめ面の担当官が尚更不愉快な面持ちで応対してました。まるで75年直後にこの地に来た北部出身の警察官でも見てるような気分になります。30分ほど待つと窓口は婦人警察官に代わり、しかししかめっ面と横柄さは変わりません。折角ばっちり化粧をしているのに(似合ってはませんが)、その化粧は一体何のためなのでしょう。

ここで違反時に受け取った書類を提出し、代わりに国庫に納付するために書類を受け取り、次に国庫で納付を済ませたらその領収証を持って再びこの窓口に提出しなければなりません。待合席の同じ境遇の人々は然程不満な表情も見せずにいます。何で皆さんこんな時は恭順なんだろう、などとそれがまた不愉快に思えて来ます。

壁に貼られた違反の規定を読んで分かりました。昨日、何故皆が皆51km/h走行の書類にサインさせられていたのか。規定速度を5km超10kmまでの反則金が10万~20万ドンとの規定です。従って11kmオーバーの51kmなら25万ドン徴収できるとのことのよう。1km/h単位でスピード計測できるとも思えないし、そもそも計器自体が設置されて動作していたとは信じられません。

順番が来て名前を呼ばれたので「ハイ」と大きな声で返事をして立ち上げ利ました。名前を呼ばれてもここの社会では返事をする習慣がないらしく、少々目立ってしまいますが。するとしかめっ面の婦警さんが「日本人ですか?」などと声を掛け、信じられないほど親切に国庫への納付の仕方などを説明してくれました。「場所はこの先、橋を二本渡った所にあります。バイクタクシーで行けば大丈夫ですよ」。帰り際にもう一度呼び止められ「もう昼休みになりますから、納付は1時からですよ。国庫は」。そのぐらいのことは知ってるワイ、と思いましたが、ご親切には礼を述べました。






ロンスエンのバイク事情

2010-04-06 22:59:56 | 交通
相変わらずフェリーに乗った時や走行中にも「そのバイク幾らで買った」?などと話しかけられています。この中国製バイク、走行距離は昨年11月から8500kmを超え、エンジンも漸く滑らかに回転するようになり、以前ほどのストレスを感じることもなくなりました。その代わり小まめにメンテナンスしないと直ぐ不具合が発生してします。

先日、職場からの帰りに91号線を走っていると一台のバイクが横に並び話しかけてきました。鬱陶しいなーと思いつつ見るとまだ新しいHonda Rebel 250に乗った男性でした。「そのKTMは何処で買ったの」?と、珍しくKTMを知ってるような口振り。暫く走りながら会話を続けてると携帯番号を聞かれ、彼はバイクを走らせながらその番号を自分の携帯に打ち込んでました。

その晩カフェで会うことになりました。彼は、昨年一ヶ月かけてベトナムの北部を回りラオス国境の山にもバイクで登ったのだとか。しかも60年代のホンダSS50で。

ホンダRABELも日本では80年代に生産されたバイクだと思ってましたが、何処か海外の工場では未だに生産されてるようです。しかしSS50とかCB50とかはたぶんせいぜい70年代の初めまでの生産ではないでしょうか。サイゴンでも見かけるバイクですが、ベトナムではHonda67と呼ばれてるそうです。1967年モデルということなのかも。

一度この60年代50ccバイクが数十台集まってロンスエンの町をパレードしているのを見たことがあります。CL50などを見るのは久しぶりのことでした。「パーツがないので修理できません」なんてことを言わない修理屋さんが居るからなんでしょうけど。

そうは言ってもロンスエンの町のメインストリートにはホンダやヤマハの販売店が多く、国内生産でオートマチックの「Air Blade」や「Nouvo」が人気のようです。そしてお金持ちが乗っているのがホンダの輸入スクーター「SH150」で、これも最近になって国内生産され、それでも60万円ほどするそうです。

ベトナム生産のべスパも見掛けますし、サイゴンとも変わらぬほどの多くの種類がロンスエンでも走っているわけですが、ここに来た当初目を引いたのはホンダのリトルカブでした。しかし良く見るとシールに印刷された日本語が偽物と分かる中国製のコピーバイク。中国から輸入しベトナムで組み立てて5万円ほどで販売してます。

たぶん、この5万円の中国製リトルカブが後40年後も走り続けているとは思えませんが。