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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

AX1でモンドルキリ

2012-02-05 00:26:48 | 交通

以前展示会で買ったMONDULKIRI Coffeeを飲み終えてしまい、どうせ買うなら現地まで行って買おう、と思い立ちプノンペンを発ちました。

モンドルキリ州はベトナム国境に接する高原地帯でカンボジアの中では最も人口密度が低く2008年人口統計では1平方キロ当り4人の6万人。カンボジア全土では75人で、日本の北海道が65.9人。モンドルキリ州人口の8割が少数民族と言われてますが、1998年の人口統計からは州人口は倍増しているため、どうなんどろうか・・・とも思ってます。



山羊の親子がのんびり寝そべってたのでバイクを止めると学校の前でした。



学校というより保育園か幼稚園みたいなものだろうか、とも思いましたが。



鐘が鳴り休み時間で生徒が出て来ました。小中併設校のようです。物売りのオバサンは校庭に入って店広げるし、校門を出て向かいの店でお菓子を買う子もいました。



山の学校は雰囲気もかなり違ったものを感じます。子供だけでなく、犬も豚も「自由」に生きてる印象でした。この二匹、対等な関係なのか上下関係があるのか、知りたいところでしたが。



民家の庭の綿花(たぶん)が車が撒き散らす土埃を被っていました。



男の子が面白い格好をしてたので近寄って見ると大人のTシャツを着ていました。が本人もそれを恥ずかしく思っているのか姿を隠してしまいました。この子の弟のようでした。



電源コードを使った縄跳び。縄のようにはしならないためか一度跳ぶのがやっとの様子。



ズボンの上にスカートを重ねて着た女の子。



象が民家の庭に居ました。何年前かの統計でモンドルキリ州、その他の家畜:象74頭とか書いてありました。



州内には滝が幾つもあるようです。案内標識を幾つか見ましたが、立ち寄ったのはここ一つだけ。



店舗兼住宅の雑貨屋。町(州都とのイメージからは遠いものでした)の雑貨店でもベトナム製品が殆どでした。魚の缶詰、洗剤、インスタントラーメン、醤油等々。



プノンペンからバイクで来ている外国人とは二組出会いました。

コンポンスプー44号線

2012-01-31 18:38:49 | 交通

コンポンスプー州の州都コンポンスプーへはプノンペンから国道4号で48km。日本だと都心から八王子や川越に行く程度の距離です。

Kampon Speuのコンポンは船着場の意味らしいのですが、今は乾期でもあり、町の近くを流れる川は小さく、船が通るような川は見当たりませんでした。スプー(Speu)はスターフルーツのスプーと同じ発音です。「真臘風土記」にもこの果実、五歛子(ゴレンシ)の記述はありました。パパイアと同じように多くはサラダなど野菜料理に使われているようです。



4号線はコーコンやシーハヌークビルに続く道のためコンポンスプーの町までの交通量は多くバイクで走るのは快適ではありませんでした。対向車のトラックが追い越しを掛けてセンターラインを越え道幅いっぱいに向かって来るので路肩に落されたのも何度か。腹いせにパッシングしてもトラックにはます効果などありませんが。

国道4号は、カンダール州のプノンペン経済特区を過ぎても工場が多く続き、CPカンボジアの工場なども見えますが、ほぼコンポンスプーの町まで工場が続いていました。ハノイの近郊にはホアビンに、HCM市近郊ではビンユンにゴルフ場があるように、プノンペン近郊のコンポンスプーにも町の手前左手にゴルフ場が見えました。農機具販売店も州都に相応しい大きさというべきか、人口密度の低さ故なのかはわかりません。



町から国道を右手に逸れ、西北に向かう国道44号線があります。手持ちの10万分の1の地図に記されているのですが、その分岐点が何処なのか分からず4号線を何度か行ったり戻ったりしましたが、それらしき標識はありません。TERAのガソリンスタンドの角を曲ることにしました。大きな交差点には大体ガソリンスタンドがあるものだし。



44号線は、子供たちが水遊びするこの川に沿って左折しないとならないわけですが、標識がないので、そのまま直進してしまいました。

舗装路は直ぐに終わり、土埃の舞う道になってしまい、これは道を間違えたか?とは思いましたが、埃にまみれながら暫く直進することにしました。



下校する小・中学生の姿も少なくなり、道路は殆ど人通りがなくなりました。周達観もカンボジアのそ草木の種類の多さを指摘し、人々はその名を知らない・・などとも書いてありましたが、日本の草木の名も知らぬ自分にもカンボジアで見る植物は珍しいものばかりです。



道沿いに民家が少ないにも拘わらず大きな小学校があり、校門でアイスキャンディーを売る姿がありました。売ってる品は違っても下校時にこういう物売りの姿は、かつて自分も見たものです。

1時間ほど前には下校する姿を見たのに、ここにこれだけの生徒の姿があるのはかつてのベトナムのように学校が午前午後の二部制になっているからでしょうか?

ベトナムに居た時は、子供を見て可愛いと感じたことはなかった―少なくても記憶に残っていません。憎たらしいガキの印象はあっても。何でカンボジアの子供達を見ると可愛いと感じるのか不思議です。

田舎道を走っているとベトナムではバイクを止められ便乗させられることも少なくありませんでしたが、カンボジアではまだ一度もない-などと思っていたところ、ゴザを抱えたオジサンに呼び止められ、何やら言われました。言葉はまったく意味不明ですが、「乗っけてくれー」以外の要求とは考えられず、素振りで「どーぞ」と引き受けました。

どうせ2・3kmの距離だろう、と思っていたのに5km走っても何も言う気配がありません。この炎天下に一体どれだけ歩くつもりだったのか、と驚きでした。10kmほど過ぎた所で背中をつつかれバイクを止めました。丁寧に礼を言われました。小さな市場のある集落でした。

市場を過ぎると舗装路に出ることが出来ました。しかしコンパスを見ると南北に走る道で10万分の1の地図には載っていません。



仕方なく舗装路を南に下りコンポンスプーの町に一度戻り、再び44号線を探すことにしました。44号線はコーコン州との州堺あたりまで伸びていて地図ではその先がどうなっているかは不明。

44号線もまた数キロ走っただけで舗装はなくなり赤土の道路になりました。しかし暫くするとかつては舗装された道であったかのような痕跡もありました。しかしハンドルを握る手に力を入れねばならない悪路で、PCXやCBRなどのバイクで走るには適さない道路です。



4時を過ぎ、ガソリンスタンドもない道なので少し不安になりました。朝から200kmを超えて走りそろそろガソリンも底を着く頃。この先にゲストハウスがあるとは到底思えぬ風景です。ベトナムのカマウ岬に行って船の時間が終わり、見知らぬ民家に一晩お願いして泊めて貰った友人の話を思い出しました。他人の笑える失敗談ど面白がって聞いてましたが、今は言葉もできないのに泊めてくれなどと頼む訳にもいきません。



また来れば良いことだし・・・と諦め、明るい内にプノンペンに戻ることにしました。

豚にも注意

2012-01-22 00:38:58 | 交通

プノンペンとサイゴンを陸路でバスで往復する時にスヴァイリエン州は何度も通りましたが、バスの窓からの風景しか知らないので州の地図を買い、バイクで行ってみました。

牛が多いのはカンボジア至るところなので、この「牛に注意」の標識もしばしば目にします。昼間であれば牛も大人になれば分別が付いているのか、遠くからクラクションを鳴らせばジッと立ち止まって車の通過を待ったりもするようです。しかし、人間同様というか、犬や猫もそうですが、仔牛はやんちゃで突然道路を走って横断することがあります。

仔犬が幼児のはいているパンツを咥えてひっぱりとうとう泣かせてしまった光景を以前ベトナムで見たことがありました。きょう、ズヴァイリエンの町から北に向かう13号線では犬を追いかけまわす子牛を見ました。たぶん犬は牛達の行先を飼い主の意向に沿って導こうとでもしたのでしょうけど、「ウルセイ、大きなお世話だ」とばかりに反撃したように見えました。仔牛でも身体の大きさは犬とは比較になりません。また、子牛の俊敏さにも驚くほどのものがありました。



カンボジアの牛と水牛を合わせると410万頭、豚は200万頭しかいません。しかし、ここスヴァイリエン州では2003年の統計ですが、牛・水牛が22万頭足らずなのに豚は35万頭という多さ。

バイクやトラックに載せられ出荷される豚の姿はしばしば目にしますが、道路を横断する豚の親子を見たのはきょうが初めてでした。田圃脇で木の実があるような場所ではなかったのに仔豚はボリボリ音を立てながら何かを食べていました。



水牛は水辺でしか生きられないのでカンボジア全土で70万頭。



雨期には見渡す限り氾濫水で満たされていたスヴァイリエンの国道1号沿いも今残る池や湿地帯はわずかでした。







コンポンチャム州の西部

2012-01-17 20:57:52 | 交通

コンポンチャム州の西部は7号線がプノンペンから来る6号線に続いています。この2つの国道沿いの風景以外は今回は知ることはできません。フンセン首相はコンポンチャム州北部Stueng Trang区にある村の出身らしいのですが、どんなところかは知りません。

西部は東部と違って乾期稲米の鮮やかな緑色の田圃が広がる風景であることに帰り道で気付きました。来る時にも見たはずの風景なのに何故か気にせずに通り過ぎてしまったようです。



道路沿いに耕運機などに使うエンジンの看板が出ています。TOTOというのがメーカー名なのでしょうか。裏側はJANG DONGとの表示があるのは中国製のようです。ベトナムに工場があるKUBOTAの看板は他の州では見たことがあったかとも思いますが、コンポンチャム州では見かけませんでした。



精米工場も幾つか国道沿いで見掛けました。この工場では一日84トン、月2,500トンの精米能力だそうです。



コンポンチャムの町から40KMほどで7号線は6号線と合流し、右折すると6号線のコンポントム方向、直進するとプノンペン方向の6号線で7号線は消滅します。
ここからは沿線の風景も多少変わって来るのは通行量が増えるためなのでしょうか、道路沿いで農作物を売る店が見えるようになりました。



買うつもりもないのに値段を聞くのも気が引けたので聞きませんでした。



道路沿いに住む農家が作っているもののようで、バイクを止めると家から慌てて人が出て来ました。ミルクフルーツ、ベトナム語ではブースア(Vu sua)、クメール語ではプラエ・トゥックドウクーだとか。

因みにゴムはベトナム語でcao suですが、クメール語でもほぼ同じ音です。フランス語のCaoutchoucが語源なのでしょうか?



砂糖ヤシの実から果肉を取り出して売っていました。ベトナム語のthot notはクメール語のTanotが語源のようです。「真臘風土記」には記載がありません。19世紀の『カンボジアおよびシャム王国踏査行』には出てきます。



道路に自動車が止まる度に人々が駆け寄ります。実を割っていた女の子もナタを置き、慌ててタンクローリーへ走りました。



「その[国の]中では、[中国]の正月にもまた荷花[はすの花]がある」と周達観は書いています。



蓮根よりも蓮の実の方が見る頻度が圧倒的に多いのは市場を覗かないからでしょうか。

コンポンチャム州の東部

2012-01-16 20:37:50 | 交通

ベトナム国境から再び7号線に戻り、昼食をと思ったところ、国道との分岐点にはアンコール・ビールの看板を掲げた店は多いものの何故か昼時だというのに食事を出す店がありませんでした。

やっと一軒パンを売る小さな店を見付け、フランスパンのサンドイッチを作って貰いました。店の中のたった一つのテーブルで食べました。足元には犬が昼寝の最中で鶏がウロチョロしても目を覚ましません。



7号線をさらに東に進みクラチェ州との州境辺りまで走ることにしました。道路は次第に起伏が多くなり、道路沿いの景色も田圃がなくなってゴム林が多くなります。ベトナムのビンフック省や中部高原と似たような感じです。地理的には当たり前のことなのでしょうけど。

MEMOT RABBER PLANTATION という名のゴム会社があり、隣に小学校がありました。この前に見た小学校は、ECOLE PRIMAILEとフランス語表記の看板だったので、コンポンチャムでは学校名はフランス語で併記するものなのか気になりました。



しかし、今度はPLIMARY SCHOOLと併記されています。今までは外国語の併記がない学校が多く、その都度これは「学校なのだろうか」などと思うことも少なくありませんでした。



バイクを止めて校庭で遊んでいる放課後の風景を眺めていると好奇心旺盛な子供たちに取り囲まれました。



乗っているバイクや肘に付けたプロテクター姿が外国人ぽかったようです。思い出せる限りのクメール語で会話してみました。揚げ春巻きを売っている婦人が居て、何人かが手にしていました。一つ300リエル(6円)だそうです。生キャッサバ芋1kgの値段と思うと決して安いとは言えない値段にも思えて来ました。

「バラン」「アングレー」などと聞いてくる子がいました。フランス人かイギリス人かなどと問われて困惑しました。何でフランスを「バラン」と呼びイギリスが「アングレー」なのかカンボジアの外国の国名の呼び方も想像がつかないものがありますが、この自分がフランス人やイギリス人であるわけないだろうに、というところです。

しかし自分の子供のころを振り返ってみれば、外国人という概念は三多摩に住む自分にとっては、最初にアメリカ人というものと一体となって形成されたようにも思えてきました。当時、小金井市は人口流入が始まり小学校は新設校で鉄条網で囲われた校庭の石拾いなどをさせられた記憶があります。校門の向かいは馬糞置き場でした。今思えば、あれだけの馬糞を排出する馬が何処に居たのか不思議です。



ゴムの樹液を実際に採取しているところを見たのは今回が初めてです。実にゆっくりと垂れるのでこの器一杯に溜まるのにはかなりの日数が必要なようです。



苗木を育てている風景は午前中にありました。



去年植えられたものでしょうか。タイニン省では木が成長するまでは葉も茂らず日光が土に届くため木々の下に豆などを植えるとも聞きましたが、この辺では見かけませんでした。



ベトナムのタイニン省などでもゴムの作付け面積は毎年拡大しているようですが、ベトナム企業のカンボジアとラオスでの作付けも増大している状況です。植えてから収穫できるまでは5年ほど要するそうです。



ゴムの葉はこんな感じで、キャッサバの葉と似ています。



ゴムは常緑樹だと思っていましたが、葉を落としてしまった木々が連なる風景もありました。

ゴムの他には胡椒とキャッサバが植えられていました。



胡椒は「真臘風土記」にも登場します。ゴムとキャッサバは南米原産でカンボジアへは近代になってからの風景ということになります。胡椒は「つる」のたようめ、こういう支柱で栽培されるようになったのはやはり近代以降なのかも。



民家が少なくプランテーションのように畑が広がる地なので、収穫期になり庭先で胡椒を干しているような光景は見られそうにありません。



植えられたばかりのキャッサバ。こんなふうに挿し木されるようです。上に伸びるよう竹片で支えをしてありました。収穫までには10ヶ月ほどだそうです。



MEMOT区の東北部TONLUNG地区の国道沿い。クラチェ州との州境近くの集落のようです。



天日干しされたキャッサバのチップは水分が少なくなりかなり軽くなっていました。売値はキロ600リエル(12円)だそうです。

コンポンチャムからVN国境

2012-01-15 00:28:40 | 交通

メコン河沿いの店で朝食をとっていると河に船が付きスーツケースを土手の上に引き上げて並べていました。昨夜泊ったメコンホテルも欧米人観光客の姿が多く、店の中も欧米人の客ばかりです。コンポンチャムが観光地だという認識がなかったので不思議に思えましたが、要するにメコン河クルーズの船が着くからのようです。

そう言えば、コンポン・チャムとはチャムの船着場という意味だそうです。Chamがチャム族を意味するかどうかは異説もあるようですが、昨日の夕方河沿いのモスクに集まるチャムの人々の姿を見ました。チャムの人々が多く住む地であることは確かのようです。



昨夜胃が痛み、薬の持ち合わせがなかったので朝食後、薬局に急ぎました。「胃」という単語を思い出せず、「チュー・ストマック」と胃を抑えながら訴えると「Dau bao thu」とベトナム語が返って来ました。ベトナムの東南部と国境を接する州だけのことはあります。ベトナム東南部は数百年前まではチャンパの地でもあったわけですが。



橋を渡り、7号線をベトナムとの国境の方向へ東に進みました。田圃はあるものの緑色の田の姿はなく、乾期米は植えられていません。田植えの準備や田起しの気配もないので乾期作は作らない土地のようです。



緑豆やトウガラシが植えられているわけでもなく、始めて見る花の姿がありました。



国道沿いにベトナム資本の飼料会社「Green Feed」の工場が見えました。



次に見に付いたは、中国資本のゴム製造会社、Huayue Rubber Co.,Ltd.



国道を耕運機で生キャッサバ芋を運んでいる姿を見付けたので後を付いて行きました。クメール美人を見掛けたので後を付いて・・・などということも偶にはしてみたいものですが。

敷地の中がこのキャッサバの引取り手であるわけですが、工場のようには見えません。売値はキロ310リエル(約6円)だそうです。



次に出会った耕運機は工場へ入って行きました。タピオカ製造の工場ではないかと思うのですが定かではありません。工場周辺に大量に干されているこの残渣みたいなものは肥料にでもなるのでしょうか?



農産物関係の工場のようですが、知らない名前です。



下校時の小学生が居たので撮らせてもらいました。



ベトナム国境に進む72号線との分岐点を右折しました。国境までは10kmほど。



国道7号はキャッサバ芋や乾燥させたキャッサバ・チップを運ぶトラックも多く走っていました。今がこの辺での収穫シーズンのようです。この国境を越えてベトナムに運ばれるようです。



パイリンの国境でタイに運ばれるトウモロコシを見た時はタイナンバーのトラックでしたが、ここではカンボジアのトラックがベトナムへと進んでいます。耕運機もそのまま国境を越えるようでした。



ベトナム側は タイニン省の「Xa Mat」国境ゲート、カンボジア側は 「Trapeang Phlong Pir」という名のボーダーです。まだ新し国境口のためか、カンボジア側にカジノは4軒ほどありましたが、免税ショッピングセンターは建設が始まったばかり。



とてもご立派なカジノ・ホテルの建物。ベトナム人相手の商売なのでしょうが、タイニン省の中でもかなり奥まった地ですから誰が此処まで来るのか不思議です。モクバイ国境ならともかく。



カジノ・ホテルの道路の向側はこんな風情。この落差は一体何を示しているのでしょうか?自分の居場所が見つからないような気になり、早々に引き揚げることにしました。



8号線は行き止まり

2012-01-10 00:06:32 | 交通

東に向かっていた国道8号は最後にT字路になっていて左に曲れば国道7号方面、右へはベトナムとの国境との標識がありました。工事をしているわけでもないので一応此処が8号線の終着点のようです。

プレイベン州、スバイリエン州、コンポンチャム州の何れかに属する地で3つの州の州境、更にはベトナム国境にも接する地のようです。国境方向と示してあるので右折してみました。が、道路は舗装もされていない土の農道で人影もありません。国境とは書かれているものの国境ゲートに続く道とは思えません。



諦めて道を逸れると農村風景とは少々違った住宅が水路を挟んだ両側に立ち並んでいました。高床式であるのは付近の農家と変わらないわけですが、規格された造りは建売住宅の趣です。



住宅は国道沿いの池の近くまで続き50棟以上はあるようでした。キャッサバ農家しかないような処で誰が何の目的で建てたのか不思議です。まだ建られてから1年未満のような新しい感じです。近くに池もあり自然環境は悪くありません。が、買い物に行くには大変そうな場所です。



手持ちの地図では位置を確認できないので再び8号線をそのまま戻ることにしました。田圃の中のこの建物はそれだけが異質な感じで目立ちました。



気になったので門に回ってみると、「Samdech Akka Moha Sena Padei Techo HUNSEN - ROTA Khasach Kandal General and Techical High School」と刻まれていました。



ベトナムのメコンデルタでは日照時間が多いため単収の多い乾期作の作付け面積が大きいのですが、灌漑が十分でないためカンボジアの乾期作は多くはないようです。



橋の上から見た乾期のメコン河は水が澄んでいまいた。




8号線でプレイベン

2012-01-09 01:13:40 | 交通

国道8号でプレイベン州の北西部に行きました。メコン河に架かる2番目の橋が昨年だかに完成し、そこが国道8号の起点になっているようです。プノンペンの東方向に位置するプレイベン方向に行くには国道1号を南下しメコン河をフェリーで渡っても行けるわけですがやや遠回り。しかし国道8号に出るにもプノンペ ンからだと国道6号を30kmほど北上するので、これもまた無駄な距離を走らされる気がしますが、フェリーの待ち時間がないだけ時間は短縮されるかと思いました。

プレックタマック(Prek Tamak)橋は照明に取り付けられた広告看板がすべてベトナム資本の通信会社「メットフォン」でちょっと異様な感じがしないでもありませんでした。



8号線は新し道路のためグーグルマップを見ても何処まで続いているものかわかりません。ベトナム国境と書かれた看板があっのでベトナム、タイニン省のサマック国境ゲートへと続くのかとも思いました。



この新しい8号線は田圃の中に真っ直ぐに道路を作ったようなもので道路部分のみが盛り土されて高くなっているため道路沿いに店を出すスペースもなく、コーラを買ったりバイク修理などのサービスを期待さることもできません。トラックなども90km/hを超えるスピードで走り去るものもあります。

東方向に進むため広々とした左側の田圃から吹く北風が、ヘルメットの風防を振動させ音を立てていました。トラックとすれ違う時には風の流れが変わるため一瞬煽られます。北風といっても冷たさがないのは、水が張られた田圃が少ないからのようです。乾期作の稲は然程多くは見えず、秋の収穫後の田圃のような風景でした。

プノンペンを出てから2時間ほどで8号線と11号線(プレイべンの町とコンポンチャムを結ぶ)交差点に着きました。8号線と交差する舗装された道路は此処だけです。

ロータリーの周辺には食事を取る店もあったので30分ほど休憩しました。日本人風の客も入って来たので作業服を見ると「上海建工集団」との社名。



そこから先の8号線は交通量が少なくなり、時折道路上にキャサバのチップが干してありました。しかし、数は多くありません。干している姿も子供ばかりでした。この辺がプレイベン州のKamchay Mear地区のようです。ベトナム国境に近いためベトナムへの輸出向けのキャッサバを1000世帯ほどが栽培しているとか。



キャッサバ芋を乗せたトラックも走っていましたが、積み荷は多くありません。



ファングーラオ通り

2011-12-02 00:14:09 | 交通

ベトナム経由で日本に1週間ばかり帰り、月曜にプノンペンに戻りました。ANA便がサイゴンに夜10時過ぎに着くため一泊してからプノンペン行きのバスに乗ることになり、時間と宿泊費が無駄になるような気もします。バスの発着点がファングーラオ通りのため宿もバックパッカーが闊歩するその周辺にしました。

この辺には、15・6年ほど前に、安楽寺の向いにあるミニホテルで数か月過ごしたことがありました。そのミニホテルも今は無く、当時と比べると通りの店などもややお洒落な感じになってしまい、その分価格も上がっている様子。

通りを歩いてると見覚えのあるオッサンに声を掛けれれました。以前はかなりボロい店で安いコーヒーを出していたのに随分と小奇麗な店に変わっていました。店番をすると言うよりは一日中店のビールを飲み続けて近所の顔見知りの客と駄弁っているのは同じでした。それでも店は2軒を持つに至ったそうです。サイゴン政府軍の空軍に所属していたけど米軍が嫌いだったなどと、かつて聞かされたことがありました。

日本人の間ではファングーラオとの発音が定着し、自分もそう発音してしまいます。最初にこの通りの名を知ったのは近藤紘一の『サイゴンの一番長い日』だったような。ベトナム語ではPhạm Ngũ Lão(范五老)なので、「ファン」ではなく「ファム」にしないとタクシーの運転手には伝わり難いようです。その上このファムグーラオ通りはGo Vap区にもあるので要注意。

Phạm Ngũ Lão(范五老)将軍は陳朝の時代に元の侵略と戦った歴史上の人物だとか。ちょうど周達観の「真臘風土記」が書かれた時代です。はたしてその時代にこの地がどのようであったのかは「真臘風土記」からは窺い知ることはできません。

今回はKUMHO SAMCOバスに乗ってプノンペンに向かいました。KUMHOはたぶんKUMHOタイヤのKUMUHOだと思います。ビンユン省のミーフック工業団地に工場があり、労災やら窃盗とかで何かと良くない噂を耳にしますが。途中で3・4回止まって客を拾って乗せているのには驚きました。他のバスではなかったことです。運転手の他に乗務員が2名いましたが、あまり親切とは言えず、出入国手続きのために車内でパスポートを集める時にも説明がなく、初めてモクバイの国境を越える旅行客は不安のようでした。

クチのコープマートを過ぎた国道22号線に人だかりがあり、バイクが倒れ2体の遺体が見えました。まだムシロも掛けられていない状況でした。ヘルメットが無残に転がっていました。顎紐を掛けずにいたためなのか衝撃で飛ばされたのかは分かりません。早々に視線を逸らしました。

ベトナムへのビザなしでの出入国-空港とモクバイでは今回が初めてで、何か言われるかとも思いましたが問題ありませんでした。ベトナムの出国管理官もしばしば席を立つため黙って通り過ぎることは十分可能のように思えました。これで現金持ち込み等が摘発されるというのが不思議に思えるほどです。ただ、今回はカンボジア側の出入国手続きの際に指紋スキャナーを採られるようになっていました。




プーサットでバイク修理

2011-11-13 00:23:53 | 交通

パイリン国境から市街に戻り一泊しました。一泊5ドルのゲストハウス。冷房は必要ない気温ですが、その分、水シャワーも冷たい。

パイリン国境を越えタイに出ればタイ湾沿いに南下してコーコンンのカンボジア国境ゲートに着くとこが出来ます。しかし、タイの出入国管理官と交渉する気力がありません。カンボジア領内にはパイリンとコーコンを結ぶ道路がありません。地図を見ると何でこの細い沿岸部がタイ領なのか、カンボジア人ならずとも不満になります。

バッタンに戻ってから、シソフォンを経由して国道6号に出て、シエムリアプ、コンポントム経由でプノンペンに帰ろうかとも思いましたが、生憎上り坂でブレーキを掛けた際にバイクを倒してしまい、ブレーキレバーを折ってしまいました。どうにかブレーキ操作はできるだけの短さですが、やや不安。更に走行中チェーンが外れてしまい焦りました。

4月に中国製バイクの車軸のベアリングが壊れた時もチェーンが外れて走行不能になったのでその悪夢が蘇りました。人家も見えない田圃の中です。バイクを降りて調べてみると単にチェーンが外れただけで、掛け直すと問題なく走りました。

バッタンバンの町で修理店を探し、ブレーキレバーの修理を頼みましたが引き受けて貰えず、そうこうする内に日も暮れて来たので、再びバッタンバンに一泊して翌朝早々にプノンペンに真っ直ぐ帰ることにしました。



プノンペンからこの町に来た時は、ガッカリでしたが、パイリンから戻って見るとなかなかどうして立派だし、それなりの雰囲気もあるような気になりました。三日間雨は見ず、雨期が終わったのかのように道路にはテーブルが並べられ、結婚披露宴が行われてました。



今朝は鳥の鳴き声で目覚め来た時と同じ国道5号でプノンペンへ。ギアを6速に入れるとチェーンが外れるようになり、5速でプーサットまで走り修理店に寄ってアクセルレバーも一緒に直して貰いました。アルミのレバーは交換でなく、折れた部分を持って近くでロウ付けして来てくれました。



隣りの店はプノンペンまでのバスチケットを売っていました。200kmの距離ですがが料金は5ドルだとか。



「カンボジア・日本友好プーサット・ドライブイン」のような建物があり、ちょうど昼前だったので入ってみました。立派な駐車場に一台も車はなく、客も他には居ませんでした。勧められるままに返事をしたら出て来たのは特大チャーハン。半分以上残してしまいました。



地図を見るとプーサットとコンポンチュナムの中間の5号線沿いにトンレサップ湖に近づく場所があり、立ち寄ってみたいと思っていましたが、デジカメの電池も切れてたのでそのまま通り過ぎました。

昨日までは三連休。きょう土曜日は小学校の授業が行われているらしく、道を逸れ、小さな店で休んでいると学校帰りで制服を着た小さな女の子が100リエル札を握りしめてアメを買いに来ました。10円玉を握りしめて駄菓子屋へ行った頃の自分を思い出しました。たぶんこの子のように可愛くはなかったのでしょうけど。