常識について思うこと

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夢を持てる社会

2006年08月17日 | 社会

社会のため、世の中のために役立つことをしようと思えば、それはその人にとって大きな生きがいとなり、そのことのために生きるということが、その人にとっての幸せとなります。

人は、そういう大きな夢やビジョンを持つと、豊かな人生を送ることができるようになるのです。そのときの夢とかビジョンというものは、単に個人がそれをしたいというのではなく、それを実現するということは社会のため、または社会に住まうあらゆる人々のために必要で、それを実現しなかったら、社会が困るというものです。

たとえば、とある私の友人が、「砂漠の緑化」をしたいと言っていました。実に素晴らしい夢だと思いました。そのことに自分の人生を捧げるというならば、その人の人生は間違いなく豊かで、充実したものとなり、彼も社会も幸せになるだろうと感じたものです。

しかし、彼は真剣にやろうとは考えていないとも言いました。何故ならば、そんなことを本気でやりたいなどと口にしては、周りから馬鹿にされてしまうからだというのです。

ここには、社会と個人の両方に問題があります。

「砂漠の緑化」というような、本来実現すべき素晴らしい夢について、真剣に応援しない社会とは何事か。また馬鹿にされるからという理由で、その実現を諦めてしまうという個人は、一体自分の人生を何にかけようというのか。

本当に、社会のために実現すべきと考える夢やビジョンをもつならば、そのことができなかったら、いかに社会が困るかということを考え、また感じなければなりません。

人任せの生き方をしてはならない。自分がやらなければならないと思えばこそ、そこに強い信念が生まれる。そして、その夢やビジョンが大きければ大きいほど、そのためだったら、人生をかけてもいいと思えるようになり、そのために自分の命を使ってもいいという、文字通りの「使命感」が生まれる。

こうした強い信念を持つことができる人は、同時に非常に柔軟で謙虚な人でもあります。

強い信念と柔軟性。これらのことの両立が、矛盾しているように感じる方々もいらっしゃるようですが、まったく矛盾しません。大きな夢やビジョン、それを実現するための強い信念がある人は、その大きな仕事を何が何でもやりきらなければならないと考えます。しかし、そんな大きな夢やビジョンを実現するには、絶対に自分一人ではやりきれません。自分一人でできる仕事の大きさなど、所詮しれています。大仕事をするには、必ず、多くの人々の協力を必要するし、多くの人々の知恵を必要とします。

だからこそ、真剣に大きな夢を実現しようとし、そのことに信念を持っている人は、周りにいる他人の意見に真摯に耳を傾けるのです。謙虚に、素直に他人の助けを請うのです。そして、そういう多くの人々の存在を心から尊重し、大切にするのです。

今、人間がやらなければいけないことはたくさんあります。一人一人が大きな夢を持ち、信念を持つことで、個人が変わり、みんなが変わっていきます。

「常識的」にできることやできる範囲を勝手に決めてしまってはいけません。常識をわきまえた大人になったフリをする必要はないのです。今私たちは、自分がすべきことは何かを素直に考え、それに向かって、無心に進んでいくべできあるし、そういう社会にしていかなければならないと思うのです。

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