常識について思うこと

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お遊びが過ぎたら

2008年11月29日 | 社会

遊ぶことは大切なことです。遊びを知らずに、肩肘張った生き方ばかりでは、とても長続きしませんし、楽しくもありません。せっかくの人生を過ごすのであれば、目一杯楽しんだ方がいいと思います。

ところで、遊びをするにあたっては、「正しい遊び方」というものがあります。この遊び方を間違えると、他人に迷惑をかけることにもなりますし、単なる悪ノリになり兼ねません。下手をすると、犯罪にまで発展します。大切なことは、守るべきものを守りつつ、目一杯正しく遊びを楽しむということです。

そして、どんなことをするにしても、人間は遊びの感覚を持つことができるし、それを楽しむということができる生き物だと思います。たとえば、ビジネスマンが仕事をする上で、いくら「仕事が命だ」と言ったとしても、そこには「金儲け=マネーゲーム」という遊びの側面があることも事実でしょう。そして、金融システムが高度に発達し、人間のあらゆる社会行動が、それと密接に関わるようになっている現代において、「マネーゲーム」は、何もビジネスマンに限ったものではなく、ビジネスと直接関係のない個人、法人、国家等のあらゆる主体が、「マネーゲーム」のなかで動いているとも言えるわけです。

このように表現してしまうと、全てが「マネーゲーム」で動いており、世の中が悪い方向にでも向かっているような印象を与えてしまうかもしれませんが、けっしてそうでもないと思います。冒頭に述べた通り、少なくとも元来、人間が生きていく上で、遊びの感覚が必要であるということからすれば、「マネーゲーム」そのものが悪であると決め付けることはできないでしょう。むしろ、それが楽しいのであれば、それを大いに楽しむべきだと思います。

このように遊びの必要性を認めた上で、重要になってくるのは、きちんとルールを守るということです。

現代社会における「マネーゲーム」のネガティブな側面というのは、所詮、遊びに過ぎない余計なおカネに、さぞかし全ての価値があるかの如く錯覚してしまう人々が出てきていることではないかと考えます。そして、世の中のほとんどの人々が、こうした価値観に支配されると、ルールそっちのけで、ひたすらおカネを求めることばかりに執着する風潮が蔓延してしまい、楽しく遊ぶべき「マネーゲーム」が、つまらない争いの原因になったりしてしまうのです。

繰り返しですが「マネーゲーム」は、所詮、遊びであり、参加するにあたっては、そのルールに則って楽しまなければなりません。しかし、厄介なことに、そのルールは人間によって作られているもので、破ろうと思えば破ることもできるし、実際に多くの人々がそれを破って、不当な利を得ている、あるいは得てきたという現実があります(「社会ルールの欠陥」参照)。こうした問題を論っていったら、おそらくキリがないでしょう。ただ一方で、そうは言っても、遊びの参加者たる世界中の大多数の人々が、それを良しとしている以上、ルール違反があることを理由に、遊びを終わらせる必要はないのかもしれません。その大多数の人々が、ルール違反があるという現実を知らないのか、あるいは知っていて知らぬふりをしているのかは関係ありません。どんなかたちであれ、ひとまずは気が済むまで、その「マネーゲーム」のなかで、「勝った」、「負けた」を楽しめばいいということのような気がします。

しかし、あまり遊びが過ぎるのも問題です。「マネーゲーム」に没頭するあまり、おカネのためなら人を殺すとか、戦争をしかけるというように、遊びのルールの次元を超えたレベルで、人として守るべき「道」を外すということは、けっして許されるものではありません。

遊びを楽しむにあたって、ルールを破る程度のことは、その遊びの破綻を意味するくらいのもので、それほど重大なことではないと言うこともできます。それに対して、人間の根源的な問題たる「生命」をも弄ぶような行為は、人間の「道」を外すことでもあります。「道」は、遊びのルールよりも高い次元に存在する、また別のルールです。「マネーゲーム」を楽しむにあたり、人としての「道」すらも守れなくなってしまうようでは、それは「遊びが過ぎる」ということであり、ゲームオーバーにしなければなりません。

残念ながら、これまでの世界において、「マネーゲーム」の駆け引きのために、数多くの人命が奪われてきたという歴史があることも、事実であると言わざるを得ないでしょう。そして、近年においては、科学の力が高度に発達して、人間が地球全体に及ぼす影響が極めて大きくなっており、殺人や戦争の大規模化はもちろん、もっと単純な「マネーゲーム」の結果すらも、地球破壊に繋がるようになってきました。こうした変化によって、「マネーゲーム」がもたらす負の側面が、一部の人命が奪われるといったレベルの話ではなく、人類全体の生命が奪われるということに発展しつつあるのです。

こうした状況を鑑みて、既存の「マネーゲーム」のプレイヤーには、そろそろゲームオーバーを宣告しなければならないかもしれません。ただ、ゲームオーバーが、人生の終わりを意味するものではありません。所詮、お遊びです。やり直したければ、やり直しもきくはずです。

いずれにせよ、しばらくは大丈夫でしょうが、この状態が続けば、いずれ人類は取り返しのつかないツケを払わされることになるのです。物事の本質を見失い、「マネーゲーム」ばかりにのめり込んでしまった人々は、少々、度が過ぎました。

「お遊びはここまでだ」

そろそろ、こんな言葉を発しつつ、新しい「マネーゲーム」を支配していくプレイヤーが登場するようになると思います。

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