常識について思うこと

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原罪とは・・・

2006年09月26日 | 宗教

人間は生まれながらにして、罪を背負っているという考え方があります。これを、キリスト教では原罪といった言い方をします。何をしたわけでもないのに、勝手に罪を着せられるとは、甚だ不愉快でもあります。

いや、しかし実はすべての人間は罪を背負っていると言うことができると思うのです。

今の人間社会は汚れたところ、歪んだところがたくさんあります。絶えず、競争のなかで生かされており、そこで優劣が決まっていくため、互いを心から尊重することができません。相手を尊重することもさることながら、最終的には、他人よりも優れた存在でありたいと願うことも事実です。

そこに憎しみが生まれ、競争が起こります。そして皆、この競争社会のなかで、少しでも優位な立場で生きようとしています。社会システムは、これらの人間の生き方を反映し、発展してきました。会社の仕組み、資本主義の仕組み、国家の仕組み・・・、これらは、すべて競争原理のなかで生まれてきたものです。

競争原理を基盤とした人間社会で、優劣を決めるのは、権力、財力、名誉などです。人々は、これらを求めて生きていきます。個々人のレベルでみたときに、必ずしもそうでない人々もたくさんいるでしょう。いやむしろ、心の底では、そうでないと思っている人々がほとんどかもしれません。しかし、ほとんどの人が仕方ないことだと諦め、競争原理の尺度や価値観にあわせて生きていこうとするのです。

ところで、こうした社会システム、人間の価値観によって、何がもたらされているでしょうか。経済優先主義、人間の利己主義により、実は本来突き詰めるべき価値を追求できなくなっていると思うのです。

人間はそれぞれ、自分は経済的に豊かになりたいと思うから、それを獲得するためにある程度必要な犠牲を払います。例えば、他部署との関係は構っていられない、ライバル社との利害は構っていられない、国家同士の摩擦には構っていられない・・・等です。そしてとくに、地球のように、その犠牲となる対象の規模が大きければ大きいほど、自分だけが気をつけても仕方ない、あるいは意味がないと思えてしまうのでしょう。

その結果として、最も大きな問題である地球環境問題には、最も無頓着になるのかもしれません。大気汚染や砂漠化、森林伐採などの環境破壊が進み、気温変動や超大型ハリケーンの発生などの異常気象も頻繁に起きるようになりました。人間の勝手な振る舞いにより、地球環境が大きく変化し、地球が悲鳴をあげ始めているのです。しかし、個人としての人間はそんなことに構ってはいられません。いずれ、人間はそのことで自滅してしまうかもしれないのに・・・。

それでも人間は自業自得。まだ良いほうだと思います。人間が、あたかも地球の主のように振舞うせいで、迷惑を被っている地球上の他の生物にとっては、たまったものではありません。人間の身勝手な行動により、既に絶滅に追い込まれた動物たちは数多くいますし、今日現在、絶滅の危機に瀕してしまっている種も少なくありません。このことは、幼い子どもでも知っている周知の事実です。

結局、地球規模の問題の多くが、競争原理の仕組みのなかで生まれ、その世界を受容し続け、その枠組みで価値があるものとされているものを目標においた、利己的な人間たちに責任があるといえると思うのです。だからこそ、今の人間社会は、根底から変わっていかなければならないと考えます。このことは、もちろん人類のためでもありますが、他の生物や地球全体のためでもあります。

我々はそうした身勝手な人間社会に生まれたのです。そこで育ち、今住んでいるのです。そして、少なくとも、多くの人たちが、そのなかでの価値観を信じ、それを獲得するための犠牲を払いながら、生きてきたはずです。

しかし、だからといって、そこに安住してはならないと思います。そこに安住し続けることは、人類だけでなく、他の生物や地球に対して、ダメージを与え続けることでもあります。その罪を認識しないことは、大きな罪です。「自分は立派に生きてきた。思いやりもある。自信をもって素晴らしい人生を送ってきている」という人がいるとしたら、そこにはウソが含まれていると思うべきでしょう。それが本当だとして、何故地球がこんな状況になっているのでしょうか。少なくとも、その人は地球規模の問題から逃げているのであり、その意味では「そこまで立派には生きていない」ということになります。

あまり時間は残されていないと思います。もし、これまで自分が犯してきた罪に気付いたならば、そのことについて、真摯に受け止め、その償いのために早速行動を起こさなければなりません。自分の罪に気付いていながら、行動を起こさないのは、最も大きな罪でもあります。

人間ひとりひとりが、この世に生きているのです。生きている人間は、例外なく社会の一構成員であり、世界の形成に貢献しているのです。同じ貢献をするならば、きちんとやるべき事を認識し、それから逃げず、立ち向かっていくべきではないでしょうか。

その積み重ねによって、人間社会は、きちんとよい方向に向かっていくのだと思います。

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