絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

印象派前後3

2009-11-19 | 美術
「遅れてきたフランス革命」という言葉がロマン派を表すのに適切な言葉なら、いいなあと思いますが、その意味が理解できないと、納得がいきません。
もし、適切ならば、それを子供にもわかるように説明してあげたいのですが、まだ、私が納得ができません。

それまでは、貴族の物であった美術が民衆のものになったという意味なのでしょうか。フランス革命は、王の絶対主義政治だったことから、市民の政治に変わるための解放だった訳ですね。自由と平等の精神と考えると、政治は分かります。しかし、芸術もそうなったと言えるでしょうか?芸術は不自由で一部の特権階級だけのものだったのが、一般市民のものになったのでしょうか。

確かに、絵そのものは、一般庶民が今のように楽しむものではなかったでしょう。一つの職人の仕事だったはずです。そして、それはお金持ちの貴族でなければ、あまり頼めない仕事だったかもしれません。

この時代は、サロンが登場してきますが、それまでの画家は、先生に弟子入りして、先生の技法をしっかり学び、技術を習得して初めて画家として認められるので、それ以外に画家として生きて行く道はなかった訳です。いまのように自分で勝手に描いて、自称画家では済まなかったのです。

それは、そうです。趣味としてたしなむという種類のものでもなかったし、それで食べて行くには、注文が来なければなりません。それには、工房に入って勉強し、一つの会社の中の組織の一員みたいな状態でいなければ、絵を描く仕事などはできなかったのです。

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だから、絵は貴族のものだった。それが、もっと自由に一般庶民のものになったということなのでしょうか?私はまだ、この時代のロマン派を見た限りでは、そのようになったとは思えないのです。それよりも少し後の、印象派になるとそれが当てはまる気がします。

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印象派は、サロンから落されて、そのために画家とは認められずにいたのに、自分たちで展覧会を開くという、今まで誰もやったことのない行為をして、自分たちで勝手に画家だと言ったのです。

これこそ、画家が自由になったと言えることではないでしょうか。

先生が認めなくても、サロンに入選しなくても、自分は画家であると言えるということ。それを遅れて来たフランス革命だというなら、分かりやすいんですけどね。

もし、ロマン派をそう呼ぶなら、私が感じているのは、テーマの自由性ということかな?

絶対主義の時代には、許されないテーマを扱えるようになったということで考えると、自由になったといえるのでしょうか。きちんと調べないと何とも言えませんが、ロマン主義の特徴は、テーマがドラマチックだという点です。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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売れる絵 (金月銀星)
2015-12-16 16:10:56
印象派が勝ち残ったのは、
アメリカで絵が売れたからでしょ。

現代なら中国の富裕層に売れる絵を、
描ける画家が勝ち組になるのかも?(^^”
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金月銀星さま (pikaso)
2015-12-16 18:05:21
そうでしたか、私はその辺のことはほとんど知りません。
有難うございます。
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