ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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思いこみ

2013-01-28 | 育児
 私たちは、一人ひとりをいろいろな形でとらえます。例えば、真面目な子、優しい子、ちょっとおてんばな子、時間に厳しい子、約束を必ず守る子、みんなをリードする子、明るい子・・・・etc

 これらは、目の前の子のある一面でしかありませんが、繰り返しその様相を見るとこの子は、「○○な子だ。」と固定的し、一般化してとらがちです。

 これは、脳のはたらきによるもので、誰もがこの傾向をもっています。
 脳は、「わからない」という状態を嫌います。例えば、とらえどころのない人が目の前にいるとちょっと傍に居づらくなったり、避けたくなったりすることがありますが、その状態と同じです。

 ですから、子どもに対して、「○○な子」と決めることで、安心が生まれます。そして、「○○な子」という視点から、情報を集めることが増えてきます。繰り返し、情報を集めることで、益々固定的にとらえ、「やっぱり、○○な子だ。」という方向に流れていきます。

 これは、思いこみでしかありません。

 しかし、一旦その見方ができると、あたかもそれが真実のようにとらえてしまいます。

 インド発祥の有名な逸話「群盲象を評す」とまさしく同じです。

 そして、自分が判断した「○○な子」ではない行動が現れると、「どうして、あなたが、そんなことをするの?」などと問うことがあります。
 中には、「あなたは、○○な子だと信じていたのに。」などと攻撃することもあります。
 自分の中に不安が生まれ、冷静ではいられなくなったためにこんな言葉を子どもに向けてしまうのです。


 勝手な教師の思いこみが行動として表れることになります。

決して子どもは「○○な子」であろうとしている訳ではありません。

 たまたまそういう行動が目立っただけなのです。

 子どもへの思いこみが、子どもへの指導の限界を作り出しているかもしれません。

 あの子は、悪い子だと思えば、悪い面が光って見えてきます。
 あの子は、賢い子だと思えば、賢い面が光って見えてきます。

 すべて、教師の思いこみになります。

 その思いこみを自分だけのものにしておけば、まだ影響が少ないかもしれませんが、子どもに広げたり、教師同士で共通の見方にしてしまうと、大きな影響を与えることになります。

 多くの人が、悪い子だととらえてしまえば、子どもの居場所はなくなってしまいます。

 自暴自棄になっても仕方がありません。
 逃げ出すことになっても仕方がありません。

 これは、特別に支援が必要な子どもへの見方についても同様です。

 問題行動の裏には、どんな思いがあるのだろうかを探ると、うまく自分を表現できないことが、行動になっているのかもしれません。愛情不足が行動になっているのかもしれません。困っているのかもしれません。
 いろいろな可能性があります。

 そして、早く決めたがるのが、私たちの脳です。

 急いで結論を出したいために誤った判断をしてしまうことがあるのです。

 これを避けるには、子どもを観察するしかありません。
どのような状況の時に、どんな行動をするのかじっくりと観察するしかありません。

 刺激に反応しているのが私たち人間です。

 障がいがあろうとなかろうと同じ人間です。ただ、反応の仕方に違いがあるだけです。

 体験・経験が異なるため人の数だけ反応があります。反応の問題ではありません。(反応への対応に苦慮することはありますが・・・・)

 刺激が重要です。

 私たちの一挙手一投足は、すべて子どもへの刺激になります。

 その刺激に反応している子どもが悪いと言っているうちは、子どもを理解することは、到底できないと思います。

 特別に支援が必要な子どもの数が増えているという話を聞くと、私たちが特別に支援が必要な子どもを増やしているのではないかと、疑ってしまいます。

 刺激に問題はないのだろうか。思いこみで過った刺激を与えていないだろうか。自問自答したくなります。

 誰もが幸せに暮らしたいと思っています。一人では生きていけません。その根底に根ざして、目の前の子どもを見たとき、今本当に必要にしている支援は何かを発見することができると信じています。

 そして、それを発見できる目をもつことが、愛情の証だと思います。