子どもたちを育てるときに、どこを見ているだろう。目の前の子どもをなんとかしたいという思いは誰もがもつ。しかし、その子どもの5年後を見て何とかしたいと思うことはあるだろうか。5年という歳月は、かなり現実に近い。しかし、ちょっと先で見ようとしても少し考えないと予想ができない。低学年の子どもであれば、高学年の姿、高学年であれば、中学生や高校生となる。そこを見て子どもを育てるとなるとちょっと考えることができる。私たち大人以上に子どもの周りで起きる環境の変化は大きい。この時代の変化に生きることが子どもにとって大変なことは、かなり創造できる。その時に生きていける子どもに育てるには、今何が必要なのだろうと考えると、今していることを見直すことができる。ひょっとするとこのままではいけないと感じることがある。そして、自分の取り組み方を変えなければならないと思うこともある。
このことは、子どもにも同じことが言える。子どもたちに夢をもてというよりも、5年後を想像しようと話す方が現実的になる。どんな自分を想像するだろう。一度聞いてみたい。
教えてばかりいられない。自分の力で動かなければならない。そんな子どもを育てなければ、5年後には生きていけない。まして担任から外れ、別の担任が子どもを育てている。あの1年間は何だったと子どもが振り返ったときに、子どもの血や肉になっているだけのことをしてやれただろうか。自分の都合で、子どもを育てているとしたら、子どもがかわいそうだ。教科の本質だけではない。学び方や生活の仕方も同じだ。事の本質に迫る教育を心掛けないといけない。骨になるものをきちんと伝えていかないと子どもは迷ってしまう。
小中一貫教育の動きが加速的に進んでいる。中一ギャップといわれる変化に対応できない子どもたちを作りだしたのは、教師が子どもたちに本当に大切なこと、必要なことをきちんとその時々に子どもたちに伝えていないことが原因ではないだろうか。問題を作り出しては、その問題の解決に当たるのもよいが、問題が起こらないように必要な力をつけてやることが先だと思う。目の前の子どもだけを見ていると本質を見失うかもしれない。5年先を見据えることは、事の本質を見失わない自分を見つめることにもなりそうだ。
自分への問いかけも同じだ。5年後には、次の学校で活躍している自分、立場が変わっている自分等を想像することができるだろうか。その時に本当に活躍している自分を想像できるだろうか。そのために今の自分でいいのだろうか。夢を実現するためには、中期的な視点をもつことが有効のように思える。
このことは、子どもにも同じことが言える。子どもたちに夢をもてというよりも、5年後を想像しようと話す方が現実的になる。どんな自分を想像するだろう。一度聞いてみたい。
教えてばかりいられない。自分の力で動かなければならない。そんな子どもを育てなければ、5年後には生きていけない。まして担任から外れ、別の担任が子どもを育てている。あの1年間は何だったと子どもが振り返ったときに、子どもの血や肉になっているだけのことをしてやれただろうか。自分の都合で、子どもを育てているとしたら、子どもがかわいそうだ。教科の本質だけではない。学び方や生活の仕方も同じだ。事の本質に迫る教育を心掛けないといけない。骨になるものをきちんと伝えていかないと子どもは迷ってしまう。
小中一貫教育の動きが加速的に進んでいる。中一ギャップといわれる変化に対応できない子どもたちを作りだしたのは、教師が子どもたちに本当に大切なこと、必要なことをきちんとその時々に子どもたちに伝えていないことが原因ではないだろうか。問題を作り出しては、その問題の解決に当たるのもよいが、問題が起こらないように必要な力をつけてやることが先だと思う。目の前の子どもだけを見ていると本質を見失うかもしれない。5年先を見据えることは、事の本質を見失わない自分を見つめることにもなりそうだ。
自分への問いかけも同じだ。5年後には、次の学校で活躍している自分、立場が変わっている自分等を想像することができるだろうか。その時に本当に活躍している自分を想像できるだろうか。そのために今の自分でいいのだろうか。夢を実現するためには、中期的な視点をもつことが有効のように思える。