三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

中田選手の悲劇

2006年07月04日 | 2006年
中田選手の引退は、大きな驚きを持って迎えられています。
今朝は、スポーツ新聞はもちろん一般紙も含めて1面でそのニュースを伝えていました。
一般紙でも朝日、産経はトップ扱いです。
日経も第2スポーツ面の全面を中田選手の記事に充てています。

私は昨夜9時のNHKテレビのニュースで知りました。
「まだ、若いのに」との感想と同時に
「心が燃え尽きてしまったのか」という思いを持ちました。

そして、2週間前のクロアチア戦を思い出しました。
ワールドカップ第1戦のオーストラリア戦に負けた日本にとって
どうしても勝ちたい試合でした。

前日、フランクフルトに着いた私は、
第1戦から応援していた先陣グループと合流して
バスでニュルンベルクのフランケン・シュタディオンに乗り込みました。

42,800人収用のスタジアム。
赤白の市松模様のクロアチアサポーターは
ブルーの日本サポーターより若干少なかったようですが、
声援のボリュームは日本を圧倒していました。

いよいよ選手の登場。
コーナー付近の席から緑のピッチを見下ろしていると、
日本チームの先頭になって出てきたのは、中田選手でした。
並んで歩く選手(誰かわかりませんでしたが)に、
身振りを交えて熱心に話しかけています。

フォーメーションの確認をしているように見えました。
試合の直前にもなって、それをしなければならないということは、
コミュニケーションがうまくいっていないのではないか・・・。
そんな思いにかられました。

中田選手は、自らの引退を伝えた自身のブログ(hide’s mail)で
まさにそのことを語っていました。

今回の日本代表の中でも、際立つ実力と闘志を見せた中田選手ですが、
残念ながら自分の思いを伝えきれずに、
期待した試合はできなかったとのことです。

日本代表の同僚や、かつての監督のコメント、
これまでのエピソードや各紙のサッカー担当記者の分析記事などを
読んでみました。

そして私なりに考えたことは、
「中田選手の一番の悲劇とは、
チームスポーツであるサッカーが好きになってしまったこと」ではないかと
いうことです。

個人スポーツであれば、自分一人の頑張りがそのまま結果に表れます。
連携プレーをするためのコミュニケーションに悩むこともありません。

しかし、今後、サッカー選手という肩書きはずして社会に出るとするとしても、
何かを成し遂げるためには、周囲の人たちとの連携が要求される場面に
直面することがあるでしょう。

中田選手には、もっと自然に周囲とコミュニケーションをとりながら
新たな才能を伸ばして成長していって欲しいと願っています。

日本サッカーのために、
世界の舞台で人一倍の努力を重ねてきた中田選手の日々に敬意を表し、
心からお疲れ様の言葉を贈ります。

株式会社スポーツ21エンタープライズ】 
  代表取締役 三ッ谷洋子
  スポーツビジネスコンサルタント
  スポーツビジネスプロデューサー
http://www.sports-21.com 
コメント (4)
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