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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

四万温泉やまぐち館

2017-10-19 07:07:12 | ホテル・旅館

八ッ場ダムの見学を終えて今夜の宿泊地は四万温泉。

関越高速道伊香保ICから約60分。かなり山奥に入った温泉地だ。

ここは上毛かるたに「世のちり洗う四万温泉」と読まれ、

国民保養温泉地第1号に指定を受けた温泉だ。(2014-8-28付積善館を参照)

一泊お世話になったやまぐち館。ここは一般客室57室、特別室3室(露天風呂付)

洋室16室。全室四万川を望むことができる、280名収容の

中型旅館で、トータル的にちょうどいい大きさの温泉宿といっていい。

玄関に掛かっているのれんのデザインがとてもシンプルそのもので

なんとなく微笑ましい。△口〇・・・はじめ三角次四角、まあるくなって

みんな円満 やまぐちかん。

昭和の懐かしさがあふれるロビー。なぜかとても心地の良い空間だ。

入口正面の大きな一枚ガラスの向こうに緑が見渡せるのがそうさせるのか。

通常のホテル、旅館はフロントと言うが、やまぐち館は大きく帳場と書かれ、

昭和の香りを徹底的に出している。フロアー表示もここ4階を

ふれあいの四丁目と表現する。

ロビーから俵町演芸広場に抜ける俵町通りの入口には

大量のつるし雛が飾らえ、その横には昭和の玩具懐かしい屋の品物が販売されていた。

旅館に到着すると一端ここ俵町演芸広場に集まり、やまぐち館の説明を受ける。

夜になると有名な名物女将による紙芝居、トークタイムが

ここで行われる。壁には沢山の手書きされた紙芝居が収納され、

これがディスプレーとなって一つの空間を形作っている。

七丁目にある月見台ラウンジ。とても素敵な場所でまったりとした時を過ごせる。

三丁目にも月見台ラウンジがあるようだが、今回は行きそびれてしまった。

各部屋、各風呂、各所から眼下にその清流四万川が見ることができる。

目の前には山が迫り、新緑、紅葉などの自然を満喫することができる。

温泉旅館には必須な土産物売場「延喜屋」それに漬物専門の上州蔵。

そして評判のやまぐち館女将が開発した「くみ子温泉化粧水」の売場「KUMIK」。

昭和というよりは大正ロマンに近い雰囲気の茶房「まゆの花」と「俵町サロン」。

着物の背中姿の女性が有名女将だ。

やまぐち館内には随所にパワースポットの仕掛けがある。パワースポットめぐり八宝。

1番 大願成就 2番 健康の宝 3番 繁盛の宝 4番 良縁の宝

5番 金運の宝 6番 美の宝 7番 子宝 8番 長寿の宝

なるほど、色々な事を考えるものだ。

そして何と言っても四万温泉の最大の魅力は温泉の湯だ。

特にやまぐち館のお風呂は素晴らしい。日本一のお題目大露天風呂、

渓流露天風呂四万川の湯檜大浴場薬師の湯、貸切展望風呂。

四万温泉の開場伝説は2つあり、坂上田村麻呂による発見説、

源頼光の家臣確井貞光による発見説だ。1563年(永禄6年)には

はじめての宿が開業している。四万の湯は四万もの病に効くと言われ

肌に優しく、ほんわか温まり本当に素晴らしい湯だ。

上が宴会食、下が朝食。団体料理ということを差し引いても、料理に関してはガッカリした。

多少値切ったのがここに出たのかは知らないが、何かインパクトが感じられず

やまぐち館らしくなくコンセプトがぼやけていた。夕食は宴会で

アルコールが入っていたので断言できないが、朝食は今や大事な

ファクターなのだからもっと工夫がほしいと感じだ。

この方が有名な名物女将。夕食が終わると俵町広場に宿泊客を

集めて紙芝居をやり、語らう。女将は伊香保温泉の出身と言っていたが

とにかく話術が上手だ。パンフレットの表紙も女将の姿で

「笑顔の物語はじまりはじまり」

 

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編168~

2017-10-18 06:36:13 | 食~番外編(県外)

水沢うどん 大澤屋

群馬県渋川市伊香保町水沢198

TEL 0279-72-3295

営業時間 10:00~16:00 (L.O)

http://www.osawaya.co.jp/

伊香保温泉から車で7~8分。水沢うどん街道といわれる

うどん街がある。現在営業しているのが13軒。日本三大うどんの

1つと言われている。因みに日本三大うどんとは香川の讃岐うどん、

秋田の稲庭うどんと水沢うどん。たまに水沢うどんのかわりに

富山の氷見うどん、名古屋のきしめん、長崎の五島うどんを挙げる人もいる。

13軒の中で団体客でもOK、一番有名な大澤屋さん第1店舗を

予約した。大澤屋は他にちょっと小振りな第2店舗とカレーうどんの

游喜庵もやっている。ここ第1店舗は昼のみの営業で

大型バスが入る駐車場が整備されていてやや観光客よりの店だ。

水沢うどんは飛鳥時代に創建された水澤寺(坂東33観音札所16番)の

門前、巡礼が盛んだったころから、参拝客をもてなすため

水沢山の水と独自の製法で打ち込んだのがはじまりで

400有余の歴史を持つうどんだ。

この広々とした玄関、天井も吹き抜け風になっていて迫力がある。

床材もよく磨かれたフローリングで、真ん中に岡本太郎作の

「手の椅子」がデーンと構えている。しかも赤と青の強い色の手デザインだ。

通された部屋は広々とした大広間で180名も入れるそうだ。

そして岡本太郎の部屋と称して美術作品を見ながら食事をすることができる。

こちらは座席の小広間。小広間と言っても120名も入ることができる。

この部屋は長崎平和祈念像の作者で有名な北村西望の部屋だ。

団体予約なのでこれがどのメニューなのかよく分からないが

多分セットメニュー桜ではないか?

大ざる、舞茸天ぷら3ヶ小鉢で1,620円(税込)だ。

水沢うどんの特徴はやや太めでコシがあり、透き通る感じの白い麺で

一般に冷たいざるうどんで食する。大澤屋では

絶妙な感覚を持って乾燥度合を抑えることにより、もちもちした

コシのある食感と滑らかな口当たりが味わえる。

又、三角のうどんのざるがとてもいい。真ん中はとんがっている。

うどんにきゅうりと椎茸が付け合せてあるのも色合いといい、薬味といい好きだ。

地元の契約農家が栽培した天ぷら専用の舞茸天ぷら。

これも水沢うどんの特徴でうどんの相性がとても良く 旨い。

小鉢の漬物も何だか忘れたが薬味に合ったものだった。

水沢うどんのだし汁には胡麻を入れるのも特色か。

つけ汁はしょう油だれとゴマだれ。

これが大澤屋さんのメニュー。それぞれ写真が付いていて分かりやすい。

セットメニューは釜天セットを入れて8種類。一番安い梅(1080円税込)

から松(2160円税込)まであるが、cpは手頃で良い。

いつの新聞か分からないが朝日新聞のふるさと自慢

この人この一品で福田赳夫元首相と水沢うどんの記事が掲示されてあった。

1993年で101才のきんさんぎんさんの手形。何でこんな山奥の

うどん屋さんに来たのだろう。今生きていれば125才か!

「なぜお金を貯めているのか?」の問いに、「老後の為」と

言ったとか。とても印象的な二人だった。

群馬県にある上毛三山の1つ榛名山。(他は赤城山と妙義山)。

別名榛名富士と呼ばれる最高峰の掃部ヶ岳(1449m)が

店を出ると晴天の空によく見えた。

 


八ッ場ダム PARTⅡ

2017-10-17 06:42:14 | お仕事

さいたま市建設業協会浦和支部の一泊研修で群馬県の

八ッ場ダム視察研修に行って来た。この現場ダム工事見学は

国土交通省関東地方整備局が今年3月23日から「やんばツアーズ」と

称して始めた。見学プランは目的別によって個人向け5コースと

団体向け5コースがある。浦和支部は土木技術者・土木系学生向け

最先端の八ッ場見学ツアーを申し込んだ。このコースは1日3回、

40分又は80分、原則は10名~50名の団体が対象だ。

尚、土、日、祝日は休みだ。(2015-9-2付ブログPARTⅠ参照)

始めに、ダム現場から車で数分の所にある「なるほどやんば資料館

(やんば体験工房)」で八ッ場ダム工事事務所地域振興課の方から

パワーポイントで建設工事の概要説明を受ける。

八ッ場ダム建設計画のスタートは昭和22年関東地方を襲って

大被害をもたらしたカスリーン台風がキッカケだそうだ。

調査開始から40年、43年のH4、7年に長野原町、吾妻町と

基本協定を締結、ここから事業が本格的に動き出した。

H21年9月に「コンクリートから人へ」の政策を掲げた民主党政権の

前原誠司国交大臣が中止表明。その後H23年12月に事業継続を表明。

政治に翻弄された期間だった。

当ダムは動式コンクリートダムで高さ116m、長さ290.8m、

総貯水容量は1億750万m3(東京ドーム約87杯分)

全国で46番目の規模。現状の総予算は6800億円。

八ッ場ダムの役割は大雑把に言って以下の通りだ。

・吾妻川にはダムが無い為、上流域でバランスよく洪水調節をする。

・水道用水として安定的に取水が可能になる。

(群馬県、埼玉県、東京都、千葉県、茨城県)

・発電機能 4200万kw/H。12000軒の年間電力量がある。

環境観光面から1万桜プロジェクトに取り組んでいる。

その為の募金して当協会浦和支部として1万円を寄付してきた。

いよいよ現場視察。当然安全面からヘルメット着用。

ダム上部40分と下部40分へレッツゴー!

ダム上部入口へバスで移動。因みに個人コースとして期間限定で

ホタル観賞と夜間工事見学、吾妻峡の紅葉ダム見学、

真冬の新名物樹氷とダム見学、八ッ場ダムファン倶楽部(ダム愛好会)

特別見学などユニークなコース企画もある。

構内に入ると巨大な鉄骨の柱が3本目に勢ってきた。

これは対岸の鉄骨柱を結んでロープが張られ、コンクリートホッパーなどの

資材を運ぶのに使用している様だ。

入口から上部現場へ行く為に造られた仮設の構台。現場が峡谷なだけに

丸柱の鉄骨を使った柱は迫力があって下を覗くと怖い様だ。

一部肝試しになる床がネット状になって張り出したコーナーがあった。

一番奥まった所に工事現場を見下ろすことができる見学エリアがある。

仮設の手すりが付いているものの高所恐怖症の人には血が引いてしまいそうな高さだ。

現在の工程は仮排水トンネル工事、掘削工事が終わって

コンクリ―ト打設工程に入っているそうだ。工事は昼夜24時間

3交代制でハイピッチで進んでいるそうだ。

2本の黒い蛇腹のようなものは取水口らしい。

対岸の上部に見える2棟の黒っぽいものはコンクリートの仮設プラントだ。

その下に茶色く線になっているのが10km先にある

骨材(砂利)の採石場から運んでくるベルトコンベアー。

これを聞いただけでもダムの雄大さが分かる。

上の写真の紅白のクレーンの下が吾妻川の下流の仮水路

下の写真は上流部分の水路 

名勝吾妻峡の環境を考えて当初計画より約600m上流に位置を変更したとの事。

ダム現場の先にはかつての名勝吾妻峡の一部が見えた。

以前紅葉時期にこの峡谷をハイキングしたが

もうできなくなったと思うと複雑な気持ちになる。

ダム工事と並行して発電所工事も進められている。この工事を

施工してるのは清水・池原・都のJVだ。尚ダム全体の工事は

清水・鉄建・IHIの共同企業体が請け負っている。

八ッ場ダム内部のコンクリートは「RCD工法」

(Roller Compacted Dam-Concrete工法)で施工している。

これは超硬練りのコンクリートでスランプ0。(信じられない)。

これをブルドーザーで敷き均し、振動ローラーで締め固める工法で、

いかに早く安く打設できるかを研究して採用された。

10km先の骨材プラントで生産されている骨材サンプル。

G1、G2、G3、Sの4種で最大G1でも80~40mmと想像していたより

ずーっと細かい。確か昔のダムは玉石のような大きな石を使っていた

イメージがあったが、RCD工法は小さ目の方が施工によいのだろう。

仮設バリケードには全国でも人気の高いユルキャラぐんまチャンを

使っていた。現場の固いイメージをちょっとでも和らげるのに良い発想だと思った。

上部の見学を終わって今度は下部に移動。昔よく通った旧道から

山を登って旧JR吾妻線線路をしばらく歩いていく。

線路の上を歩くのはなんとも不思議な感覚だった。

下部から見たダム本体。左サイドに2ヶ所排水口が見える。

髙く削られた壁面、真ん中に足場が掛けられている両サイドに

台形状にブルーのラインが見える所がダム本体の位置になる。

2棟のプラントの手前下の方に白く写っている所がプラントの

コントロールセンターで練られたコンクリートホッパー(5.5m)は

キャリア数十年のベテラン運転者によって数センチ単位の誤差で操作されているとか。

 

この2基のクレーンは日本で数台しかない巨大クレーンだそうだ。

上部で見た2つの蛇腹状の取水口は下部に降りて見るとこれも巨大だ。

コンクリート打設は紹介した内部コンクリートと巡航RCD工法を用いた

外部コンクリートの2種類ある。こちらはコンクリートスランプは3㎝だそうだ。

因みに一般建築で使用するコンクリートスランプは

18㎝~15㎝だから恐ろしい程硬い。

八ッ場ダム建設予定地内には、源頼朝が発見したと伝わる

川原温泉があったが、ダムの為に沈み、他の地に移転した。

奇祭の湯かけ祭りが毎年厳冬の朝に賑やかに行われていたが

今はどうしているのだろう。

 

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~番外編167~

2017-10-16 08:59:52 | 食~番外編(県内)

老舗天婦羅あづま

さいたま市大宮区宮町2-67

TEL 048-641-0247

定休日 火曜日

 

 

大宮エリア東口商店街にある創業85年の老舗天婦羅さん。

おそらく創業当初の店構えが描かれたものだろう。今や8階建のビルの

オーナーで1階に天婦羅あづまを営業している。

昔たばこ売場だったと勘違いしそうな造りの天婦羅売場。

こちらは持ち帰り天丼(1080円)やまいたけ、えび、いか、いんげん

きす、なす、しいたけ、穴子など各天婦羅の店頭販売もしている。

店内はうなぎの寝床の様に細長く、左側にはカウンター席もある。

店内の特色は壁に沢山の絵が飾られていることだ。貸しビルを持っているだけに

余裕があるのだろう、絵画のコレクションをした粋なオーナーだ。

カウンター内では老舗の店だけの結構年配の、2代目3代目親子が

天婦羅を揚げていた。天ぷら鍋の回りは天ぷら粉だらけ。

年季を感じさせるが、もっときれいに拭いたらどうなのかナ。

メニューは写真付でわかりやすい。さらにメニューの中味(天ぷらの

具体的種類など)が書かれ、さらに英語表示までしてある。

はたして外国人がここには多く来るのか?さらに天ぷら以外に

お造り、焼き物、揚げ物、煮物、蒸し物、酢の物とまるで

懐石料理コースの様に幅広いメニュー構成にも成っている。

天ぷら定食 1,000円(税別)天ぷらがてんこもりで良心的なお値段だ。

みに天丼660円(税別) この日はあまりお腹が空いていなかったので

丁度よく、みに天丼を発見。しかしでてきたのは普通大の天丼だ。

 


浦和エリア旨い店シリーズ ~その16ーⅡ

2017-10-15 06:02:30 | 食~居酒屋

やき鳥 南蛮亭

浦和区高砂1-5-11 (浦和駅西口徒歩2分)

TEL 048-822-9570

定休日 日曜日 祝日

南蛮亭さんは開店以来44年間、欠かさず通い続けた、私にとっては

大変大切な名店だ。この間オイルショック、バブル経済とその崩壊などがあり

色々な人々と食べ、飲み、語り合った、人生の想い出が詰まった

宝物の様なお店だ。前回、6年前にアップ(2011-4-23付)した

もの以外を注文し、アップしてみた。

今回は店内の様子をくまなく撮ってみた。入口から入ると

右側がかぎの手のカウンター席。一番手前にはTVがあり

一人で来ても間が持てる。左奥の唯一の小上り席。

昔はこの席が好きでよく熱い議論をしたっけ。今はあぐらをかくと

スクッとすぐ立てなくなり、どうしても椅子席に成ってしまった。

一番は奥の大勢で来た時、右端に子供たちと来た時が懐かしい。

南蛮亭のスタートはここから1~2分の所で始まったが

確か1~2年で今の場所に移った。それ以来40数年全く

店も味も変わっていないのはある意味すごい。

独身時代横浜の寮に居て、仕事が終わると毎日駅前の

やき鳥屋で一杯ひっかけて帰ったものだ。そこのやき鳥屋は

山椒があって、浦和に帰ってから随分山椒を置いてある店を

捜したが、唯一あったのがここ南蛮亭であった。酔うとたまに

その当時の昔話をすると懐かしくなる。

これが昔から変わらない南蛮亭のメニューだ。私はほとんど

串焼きオンリーでその他メニュー(ご飯物以外)は食べない。

酢の物、なめこおろし和え、牛、鳥サラダなどは40数年間で

食べた記憶が無い。最近は数人で来た時は松・竹・梅のコースを頼むこともある。

オープン以来、ずーと変わっていない「お通し」。大根人参セロリに

キャベツの生野菜。今回うっかりして撮り忘れてしまったが、

秘伝の味噌だれと塩をお好みでつけて酒の肴にする。

何十年も変わっていない。

オクラ巻き(二串で400円)薄くスライスしたバラ肉をオクラに巻いた逸品。

当店の大将が作り出した歴史的名品 アスパラ巻のオクラバージョンだ。

口に入れた時のオクラのネバネバプチプチした食感がとても良い。

しいたけ(二串で400円)。今回は相方もあって野菜系を多くオーダーした。

しいたけを1回水に浸け、塩と味の素を振って炭火焼をする。

全ての串焼でそうだが、大将の塩の振り方数十年も続けると

もう芸術の領域に入っている。

ゲソ焼き(二串300円)。これとホタテ焼き(400円)のメニューは

オープン時からしばらくして入って来たメニュー。この塩がまた旨いんだナー。

この味は舌にインプットされていて、これを書いている時に

味が口の中に湧き出てしまった。

ねぎま(二串300円)。これが焼き鳥の一番オーソドックスなバージョンだと思う。

塩とたれがあって、この日はたまたまたれのみになってしまった。

最近崩れてしまったが、一昔前はマイコースがあって

行くと今日も〇〇さんコースですネと聞かれ、何もオーダーせずに出てくる。

その時のねぎまは塩、たれ1本ずつだ。

とり皮(二串300円)。これが炭焼きすると適当に油が落ち、

カリッとしっとりが交互に来て旨いんだナー。

尚、南京亭の串焼にはレモン切りが付く。

じゃがいもバター(二串300円)。これは記憶では一番新しいメニュー。

新ジャガが出てくる頃、たまに食べたくなる。炭焼したじゃがいもと

とろけたバターの香ばしさがイイんだナー。

ホクホクしながら食べる時、北海道を思い出す。

うずら玉子(二串300円)。これが意外に絶品なんです。

ごくシンプルなレシピだが、炭火で焼くと白身の表面が張が出た硬さになり

中の黄身との黒ゴマのコラボが意外にサッパリしていて

〆近くになると食べたくなる。うずら玉子の表面の焼き加減は

やはり大将の技だと思う。

ぎんなん(二串300円)。ぎんなんの一番下だけ皮をむき他は皮付きのまま

備長炭で焼く。手前にある二つの壺には秘伝の醤油だれと

味噌だれが入っている。南京亭は夫婦と息子の3人で全く変わらない

スタイルでやっている。大将の頑固な程のこだわりは頭が下がる。

大将は和食の料理人だったが請われてこの道に入った料理のプロだ。

里いも(二串300円)。皮付きの里いもを自分でむいて好みで

塩をつけて食べる。里いも特有のヌルヌル感がアルコールをすすめる。

相方が注文した冷奴300円。ここの豆腐は地元岸町にある山田豆腐店のもの。

いずれ近々に浦和エリア隠れた名店シリーズで取材に行くつもりだ。

かくしわさ500円。さしみと三つ葉のおひたし。他に鳥わさ500円。

鳥のあらい600円などもある。これらは息子さんが作る。

最後の絶品の焼きおにぎりを紹介します。2個で400円。

ここまで徹底した焼きおにぎりは食べたことがありません。

味はかなり濃いが醤油の香ばしい香りと表面をパリパリまで焼いてあるが

中はホックリ。正に絶品です。何十年も焼きおにぎりと赤だし味噌汁で

〆てきたが、数年前からおにぎりの旨さに感動して最近遠ざかっている。

この焼きおにぎりが完成するまで幾度もじっくり見たが、

焦げあがるまで何度も何度もひっくり返し、醤油を付けていく。

たかが焼きおにぎりされど焼きおにぎりだ。

 


京都の旅 ~その10~ 京都の街並み

2017-10-14 06:18:22 | 旅 ~京都

1994年、平安遷都1200年記念事業として1997年に完成した

4代目の京都駅。横幅147m 奥行29m  高さ50m、地上16階

地下3階、敷地面積38,000㎡(約1万1500坪)

延床面積238,000㎡(約7万2000坪)東西で470mある。

東側にホテルグランビア京都、西側にジェイアール京都伊勢丹が

キーテナントとして入居し、中央がコンコースになっている。

中央コンコースは4000枚のガラスが使われ、正面と大屋根を

覆う広々とした吹き抜けは最上部まで高さ45mあり、

空中経路となっている。この京都駅は異例の国際指名コンペ方式が

採用され、最終的に7名の建築家グループの中から選定された。

安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、

バーナード・チュミ、ペーター・ブスマン、そして決定した原広司だ。

原広司氏は東大名誉教授で梅田スカイビル、札幌ドーム、

越後妻有交流館キナーレなどの作品がある。施工は

大林・鉄建・大鉄JVで第40回建築業協力会賞を受賞した。

そもそも京都駅は1877年(明治10年)、新橋、横浜駅に次いで

2番目の線として開業した。(京都-神戸)。1日平均乗降人員は

67万人で日本でも有数のターミナル駅となっている。

駅の京都タワー(完成昭和39年)は、建設当初必要なのか否か、

賛否が分かれた。その当時は東寺の塔より高い建物は建てないことが

京都では不文律となっていた。パリのエッフェル塔と同じで

今や京都のシンボルの1つに成っている。因みに、このタワーの

モチーフは市内の町家の瓦葺きを波に見立て、

海の無い京都の街を照らす灯台だ。

サーこれから1泊2日の日本のふるさと、古都京都の旅が始まる。

アレ君ベレンちゃん、大いに日本の良さを堪能して下さい。Let's GO!

京都で最大の花街、祇園甲部花見小路、寛永年間(1624-1645年)に

八坂神社の門前で営業された水茶屋が始まりとされている。

江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合せて1000人以上いたという。

この町のシンボルともいうべき舞妓も一時は20人以下へと落ち込んでいたが、

近年徐々に回復し、現在は30人位まで増えていると言われる。

祇園情緒のある花見小路の角にひとき弁柄色の目立つ

「一力亭」がある。祇園の中でも最も由緒のあるお茶屋のひとつで

忠臣蔵の大石内蔵助が豪遊したとか、近藤勇や大久保利通、

西郷隆盛も通ったという話もある。

八坂神社は656年創建の全国約2300社の関連神社の

総本社で通称、祇園さんと呼ばれている。境内東側には

しだれ桜で有名な円山公園が隣接し、地元の氏神(産土)としての

信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れている。

東西南北四方から人の出入りが可能な為、楼門が閉じられることはなく

夜間でも参拝することができる。この日も近くで夕食をとり

酔い覚ましに散策した。主な神事は京都三大祭りの1つ

祇園祭が7月1日から1ヶ月間行われる。

夜ライトアップされた京都のランドマーク、通称「八坂の塔」。

この五重塔は法観寺のもので境内は狭く、塔以外に目立った建築物がない。

今までは、てっきり八坂神社の塔かと思っていた。オソマツ。

早朝散歩で西本願寺からホテルへ帰る途中、龍谷大学大宮学舎の前を通った。

あまりにも立派で歴史を感じさせる校舎だったので

中に入ってみたら、本館、北、南学、校舎そして旧守衛所(4枚目)

までもが重要文化財の建物だ。本館は1879年(明治12年)

竣工の擬洋風建築。因みに龍谷大学は1639年創立、

1922年大学を設置した私立大学でここを入れて3ヶ所

(京都市伏見区、滋賀県大津市)にキャンパスがある。

この正門の向かい側で日建設計の設計、松井建設施工の

東校舎の工事が行われていた。その完成パースを見ると

北、南校舎の意匠がモチーフになっているのがはっきりわかる。

西本願寺御影堂門の向かい側、堀川通り、総門の隣りに

龍谷ミュージアムがある。ここは日本初の仏教総合博物館で

2011年に開館した。この建物も設計が日建設計。

外壁の意匠が凝っていて数々の賞を受賞している。

鴨川のたもとにある京都四条南座。近代建築に桃山風の意匠を

取り込んだ地上4階地下1階の建物は国の登録有形文化財になっている。

南座の歴史は江戸時代元和年間から続き、日本最古の劇場で

松竹㈱が経営している。この建物は1929年(昭和4年)に竣工し

現在耐震化を含む改修工事が行われている。

鴨川四条大橋の近くにあるレトロな洋館は北京料理の

東華菜館本店だ。京都では町屋造りの古い建物の街並みが

随所にあるゆえ、このビルは近代的に見えてしまうから不思議だ。

このビルの設計はなんとウィリアム・メレル・ヴォーリズで

大正15年にスパニッシュ・バロックの洋館が完成した。

今も活躍するエレベーターは日本最古だそうだ。

因みにヴォーリズの作品は軽井沢ユニオン教会など多数の教会、

明治学院チャペル、など多数の大学施設、山の上ホテルなど

現在多くの文化財になっている建物を残した。

ヴォーリズは建築家以外に近江兄弟社の創立者の一人として

メンソレータムを広く日本に普及させた実業家でもあったのにはビックリだ。

ランチしようと先斗町に来たが、昼の先斗町に来たのは初めて。

ご覧の様に夜とは全く違う顔で人通りがほとんど無く

盛り場の雰囲気が全く感じられなかった。そんな中2人の芸妓さんと

すれ違い、やはりここは京都だったことを知る。

ランチは軽くパスタ&ピザを食べようと先斗町を行ったり来たりしたが

見つからず、「佐曽羅EAST」さんに飛び込んだ。こちらは先斗町で

他にBAR、TEL 075カラオケルームもやっているそうだ。

中央区先斗町四条上る鍋屋町230-1

075-256-8668

あるお茶屋さんだった古川町屋をリノベーションし、

くつろぎの空間に仕上げてある。

この時期まだ鴨川納涼床が使えて京都の風情を又感じてしまった。

 

 


京都の旅 ~その9~ 伏見稲荷大社

2017-10-13 21:21:26 | 旅 ~京都

JR稲荷駅を降りると目の前に飛び込んでくる新表参道の大鳥居。

ここが旧称稲荷神社。旧社格は官幣大社の伏見稲荷大社だ。

全国約3万社あると言われる稲荷大社の総本社だ。

重要文化財の楼門。伏見稲荷大社の創建は和銅年間(708年~715年)、

祭神は5柱、一宇相殿に祭っている。稲荷神は元来、五穀豊穣を司る神だが

時代が下って、商売繁昌、産業興隆、家内安全、交通安全

芸能上達の守護神として庶民の信仰の社となっている。

稲荷といえば狐。稲荷大神様のお使いで本来は透明で目に見えない。

白狐(びゃっこさん)と呼ばれ、左の狐は鍵をくわえ、右の狐は宝珠をくわえている。

手前が外拝殿で奥が本殿。ともに重要文化財。毎年初詣は3ヶ日で

250万人以上が参拝し、近畿地方の社寺で最多の参拝者を集めている。

因みに全国では第4位(2010年)だ。

稲荷の語源は山城国風土記によると「稲が生った」から来ているとか。

他にもいろいろ説があるらしい。

JR西日本奈良線の「稲荷駅」。京都駅から約5分で来てしまう。

駅舎も稲荷神社の雰囲気を醸し出している意匠になっている。

伏見稲荷大社は外国人旅行者の人気No1のスポットに4年連続なっている。

2014年にトリップアドバイザーで広島平和記念資料館を抜いて

第1位になった。その理由は駅のごく近くに赤い鳥居が続く風景が

非常に日本的な上、拝観料が不要で閉門時間が無い。

稲荷山のお山巡りで欧米人が好むウォーキングができるなどが考えられるとのこと。

伏見稲荷大社境内の案内図。この稲荷山全山が大社だ。

ここは屋台通りと名の裏の参道。昔はこちらが本来の参道だったのだろう。

数々のお土産もの屋さん、屋台が建ち並びお稲荷さんらしい賑わいがある。

先日テレビ東京の「出没!アド街ック天国」でも紹介されていたが、

この様な狐ばかり売っている店もあった。

外国人人気No1の伏見稲荷を見てアレ君夫婦はどう感じたのかナ?

残念ながらデジカメのバッテリーが切れてしまい、

有名な1万基にのぼる鳥居を撮ることができなかった。


京都の旅 ~その8~ 三十三間堂

2017-10-11 05:35:09 | 旅 ~京都

京都国立博物館の南隣りにある蓮華王院三十三間堂(東山区)は

数十年振りの訪問だ。この普門閣(切符売場)は三十三間堂の正門にあたり

最近建てられたものだ。この建物の木材はカナダ檜らしいが、

この太い柱は匠の技を感じる程、見事に磨かれていて思わず手で何度も撫ぜてしまった。

こちらの回廊はまだ真新しい。残念ながら見ることができなかった境内、

南の「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門はともに豊臣秀吉ゆかりの

桃山期の気風にあふれた重文建造物だ。

ラブラブのアレ君夫妻。この後 千体の観音立像国宝観音28部衆像を

1つ1つガイドさんの説明を聞きながら見ていくと、表情は神妙になり、手を合わせていた。

当寺では毎年1月中旬に楊枝のお加持の縁日に、お堂の西庭で終日

古儀・通し矢(江戸時代に外縁で行われた弓の競技で、

堂内にのこる多数の絵馬はその記念)にちなむ弓道大会が催され、

特に成人を迎えた女性たちの晴れ着での競技は今や正月の風物詩となっている。

国宝三十三間堂の歴史は、長寛2年(1164年)鳥辺山麓

(現阿弥陀ヶ峯)の後白河上皇・院政庁「法往寺職」の一画に

平清盛が造進したもの。約80年後に焼失したが、すぐ復興に着手し

文永3年(1266年)に再建された。永いお堂は和様の入母屋・本瓦葺きの

「総檜造り」で約120m、正門の柱間が33あるところから

「三十三間堂」と通称され、堂内には1001体もの観音像が祀られている。

寺内は完全撮影禁止。故にパンフレットの写真で。中央の巨像(中尊)を

中心に左右に各500体(重要文化財)、合計1001体がご本尊。

正しくは「十一面千手千眼観世音」といい、当院の檜材の寄木造で

頭上の11の顔と40種の手に表現される。中尊(国宝)は

大仏師湛慶(運慶の長男)82才の時の造像で鎌倉期(建長6年)の

名作と評価される。等身立像の中、124体はお堂創建時の

平安期のもので他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて

復興された。ガイドさんの話では1000体全てただ置いてあるだけで

台に固定していないとの事。過去何度も大地震、台風にあっているだろうに

倒れたことが無いと言う。だとすればこれは奇跡だ。

 

観音像の前よりと中尊の四方に位置する変化に富んだ28体の仏像(国宝)は

千手観音とその信者を守るという神々でインド起源のものが多く

その神話的な姿が迫真的に表現されている。

堂内両端のひときわ髙い雲座にのった風神と雷神像は力強く躍動的だ。

古代人の自然や天候に対する畏れや感謝の心が、

空想的な二神を創造し、風雨をつかさどり、「五穀豊穣」を

もたらす神々として信仰された。太鼓を打つ雷さまと風の袋をかかえた

風の神というイメージを決定づけた鎌倉彫刻の名品(国宝)である。

歌川豊春が描いた三十三間堂の浮絵。よく見ると軒下で

通し矢をしている風景が描かれていておもしろい。

 

 


京都の旅 ~その7~ 平安神宮

2017-10-10 09:56:30 | 旅 ~京都

左京区にある平安神宮は旧社格は官幣大社、勅祭社だ。

1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して

京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当事の大内裏の

一部が復元され創建された。写真の應天門は重要文化財。参道の大鳥居は

24.4mあり、国登録有形文化財だ。尚、毎年秋行われている京都三大祭の1つ

時代祭はここ平安神宮がゴールで、2014-11-12付ブログに掲載したのでご覧ください。

平安神宮は平安遷都を行なった桓武天皇(第50代)を祀る神社として

創建され、その後平安京で過ごした最後の天皇孝明天皇(第121代)を

主祭神として加えた。設計は明治神宮、築地本願寺などを手懸けた

伊東忠太をはじめ木子清敬、佐々木岩次郎らだ。

中央には重要文化財の外拝殿(太極殿)、左に白虎楼、右に蒼龍楼が配置されている。

この日は清々しい秋の天気、ご覧の様に人も少なく

かえって荘厳な雰囲気が漂っていて素晴らしい印象であった。

国指定名勝、平安神宮神苑の案内図。太極殿背後の周囲三方

配された池泉回遊式の近代日本庭園は約1万坪もある。

南神苑の平安の苑の所には、明治28年に市内で運用された

日本で初めての電車が展示されていた。

西神苑には花菖蒲、睡蓮、河骨などが植えられた白虎池がある。

この庭園の作庭は小川治兵衛。完成するのに20年以上費やされたという。

次にある中神苑の蒼龍池。庭の端には飛び石の臥龍橋がある。

庭園内にはほとんど観光客がおらず、静寂の時がゆっくり流れ

浮世の煩わしさを忘れさせてくれる。

最後の東神苑は広大な栖鳳池があり京都御所から移築した貴賓室としての

尚美館がある。建物の一部が池に張り出していて、まるで池に浮いている様だ。

やはり京都御所から大正初めに移築されてきた泰平閣(橋殿)

二層の楼閣の頂きには青銅の鳳凰が。橋の上から池の生き物に

餌をやることができる、この建物は神苑の中で一番インパクトがあり、

趣きもある。暫し、この橋に座ってボーッとしていた。

なんとなく無の境地に近づいてとても心が安らぐ。

結婚10周年のアレ&ベレン夫妻のツーショット。とてもよい写真が撮れた。

橋の出口の所では純白のウェディングドレスを着た花嫁が

しばらく記念写真を撮っていた。アレ君夫妻もこれを見て

10年前の自分達を思い出していたことだろう。

写真を撮るのに一番難しい被写体が鳥だ。が、この鷺はまるで

彫刻のようにしばらく動かない。おかげで慌てずにじっくり撮れた一枚です。


京都の旅 ~その6~ 清水寺と坂

2017-10-07 06:37:43 | 旅 ~京都

数ある京都の観光スポットの中でも人気度NO1を

誇っている清水寺。その清水に向かってダラダラ

登り坂が続く商店街。この日も修学旅行の

学生、外国人観光客をはじめ大変な賑わいだった。

 

清水坂に清水寺宝性院の境外塔頭、大日堂がある

大日如来を安置することからそう呼ばれているが、正式には

真福寺という。大日如来座像を新調する為に

京都伝統工芸大学校に製作を依頼していたところ

2011年3月11日東日本大震災が発生し、陸前高田市の

名勝「高田松原」の松が奇跡の松一本を

残して全滅した。そこで当初使用予定であった

ヒノキ材から流出松で仏様を作る「陸前高田復興プロジェクト」を

立ち上げブータン国王夫妻もかかわり

全国1万1113人が参加して、2012年3月11日に完成し

2013年に本尊として安置されている

清水寺の御門前から清水坂にそっては多くのお土産屋店舗が

連なっているが、この扇子専門店の錦古堂は特に目についた。

色とりどりの京扇子、実用扇子を中心に1000種類以上取り揃えているとか。

さすが門前通り、数名の僧侶が通ったと思ったら清水寺の入口の

所に托鉢をしている僧も居た。因みに托鉢とは僧が修業の為、

鉢を持って家の前に立ち、経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ることである。

清水寺の入口の階段から見た清水坂商店街と京都の市街地。

これを見ても清水寺は東山の高い所にあるのが分かる。

清水寺のガイドマップ。これを見るとお寺の伽藍の配置が

東山の地形に合わせて建てられたものと思われる。

清水寺の山号は音羽山。創建は宝亀9年(778年)と言われ、

法相宗(南都六宗の一)系の寺である。広隆寺、鞍馬寺とともに

平安京遷都以前からの歴史を持つ京都では数少ない寺院の1つだ。

石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び

日本でも有数の観音霊場である。もちろん古都京都の文化財として

ユネスコ世界遺産に登録されている。入口仁王門を過ぎ

西門と三重塔、鐘楼、経堂開山堂(田村堂)朝倉堂と続く。

これらの建物は大半の建物は17世紀後半に再建されたものだが

こうした景観は13世紀に成立していた。

これが国宝の本堂舞台。いわゆる「清水の舞台」と言われ

本堂の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。

現在の舞台組みは寛永10年。(1633年)徳川三代将軍家光の

寄進による再建のもので、欄干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と

彫刻されている。門口約18m、奥行約10mの檜舞台として

張り出し、床下は巨大な欅の柱に貫を縦横に通し、くさびでとめて

頑強に支え、いわゆる舞台造り(懸造り)となっている。急崖に

13m強の高さで建っている故に「清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・」の

諺を生んできた。ご覧の様に今年初めから大改修工事が始まり

東京オリンピックの年まで続くと聞いた。

舞台工事の足場も丸太の組み足場で江戸時代の施工方法を

思い起こさせる。仮囲いのシートも目に優しい感じだ。

これも全て景観風景を最優先した考え方から施工しているのだろう。

本堂、清水の舞台を過ぎ、奥の院のあたりに来るとさらに視界が開けてきた。

京都タワー、左には巨大な羅生門をモチーフにした

京都駅が見える。朱の三重塔も木々の中でひときわ生えて絵葉書の様だ。

アレ君が赤い番傘の女性と撮りたいと言うので着物のカップルと

記念のショット。このカップルは静岡の三島から来たと言っていた。

音羽の滝(三節の滝)は東山音羽山から地下の伏流水として

千年以上も前か途絶えることなく流れつづけていると言われ、

「黄金水」「延名水」と言われ、茶の湯などに使われてきた名水だ。

この水を飲むことで様々なご利益が頂けるということで有名で

修学旅行の小学生が先生の指示で並んで飲んでいた。

ほのぼのとした光景であった。

清水の舞台の下に咲いていた彼岸花(曼珠沙華)。この花は

お寺に本当によく似合う。曼珠沙華は法華経などの仏典に由来する。

花言葉は情熱、独立、再会、あきらめ、転生、想うはあなた1人、

また会う日を楽しみにだ。まるでアレ君夫妻の再会を祝しているようだ。

清水坂を下ってくると途中右に折れる坂がある。これが400年以上も

前からある有名な坂、産寧坂(三年坂)だ。清水寺の子安の塔に続く

坂であるため産寧坂というのが一般的で、産は「うむ」、寧はやすらぎという意味で

この坂を通って清水寺を参詣すると安産すると言われている。

その他に大同三年に出来たので三年坂ともいう。

前回アップした本山興正寺の霊山本廟。ここは宗祖親鸞聖人のご廟所で、

又歴代御門主のお墓所、門信徒のご遺骨を納めている。

この霊山観音は第2次世界大戦の戦没者及び戦争犠牲者を

追悼するため1955年、帝産グループ創設者によって建立された。高さは24mある。

京みやげの定番の京よーじや。あぶらとり紙の老舗だ。よーじやの

創業は1904年(明治37年)。女性の美しさにこだわったオリジナル美装品は

お客様から好評を得て年々充実、看板商品「あぶらとり紙」のバリエーションも多い。

ロゴマークは京女が映る手鏡をモチーフにしたもので

今では文字通り「よーじやの顔」として広く親しまれている。

産寧坂をさらに下っていくと二年坂(二寧坂)に続く。古都京の

古い街並みが続き、昔の日本にタイムスリップしてしまう。二年坂の

名前の由来は大同2年(807年)に坂が整備された時に名付けらえたと言う説が

あるが、「ここでつまずき転ぶと二年以内に死ぬ」という

言い伝えは「石段坂道は気を付けて」という警句でおもしろい説だ。

この竹で編んだゴミ箱は今まで見たゴミ箱で一番感銘的なものだ。

完全に街並みに溶け込んでいて置物のようだ。

産寧坂の有名な瓢箪屋さんの店主「ちょっとお茶したいので

どこか良い所ないか?」と聞いたら「このスターバックスへ行きなさい。

素晴らしいから。」と強く勧められた。ここは世界初の畳が敷かれた店で

大変な人気店。ちょっとウェイティングしたが、幸い爽やかな風が

入ってきて本当に気持がいい。

路地裏を覗くと着物姿浴衣姿の若者がウジョウジョ。本当に絵になる街だ。

高山寺の方から見た八坂の塔。この五重塔は京都のランドマークで

法観寺(臨済宗建仁寺派)にあり、現在の塔は15世紀の再建のものだ。