スミダマンのほのぼの奮戦記

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少林山達磨寺

2017-10-20 05:24:03 | 旅 ~国内

高崎市内にある黄檗宗(禅宗)の少林山達磨寺は縁起だるま

発祥の寺として有名だ。当寺ではだるまさんに和尚が魂を

込める開眼を行なっている。(魂入れ)

当寺の縁起を紹介します。室町時代末期より厄除け、子授け、

子育て、縁結びにご利益のある観音菩薩をお祀りしていた。

江戸時代、碓氷川の氾濫した時、川の中に光か輝く香木を

みつけ納めていた。1680年、一了居土という行者がこの霊木で

「達磨大師」の座禅像を彫刻し「達磨大師」の霊地 松林寺」として

知られるようになった。1697年水戸光圀公の帰依された心越禅師を

開山と仰ぎ水戸家から「三葉葵の御紋」と「丸に水の紋章」を

賜い永世の祈願所とされた。現在も星祭と御祈祷の関東髄一の

霊場として広く、振興されている。

総門をくぐると急勾配な大石段が待っていた。この石段は

強烈で達磨寺の参拝を終え、下山した時はこの石段のインパクトだけが体に残った。

大石段を昇りきると「招福の鐘」がある。

AM9:00からPM5:00まで撞くことができる。

禅を通じて人格教育を行う道場「大講堂」サークルでの禅研修、

新入社員研修など、寝食を共にし禅の生活を体験する

研修の場として利用されている。

昭和50年にできた瑞雲閣。毎日早朝座禅会が行われ、又結婚式、

茶会などの行事も行うことができる。

内部にはタウト展示室や仏教図書館もある。

当山最古の観音堂。近郊では唯一の茅葺のお堂として知られている。

北辰鎮宅霊符尊と初祖達磨大師・開山心越禅師をお祀りしている霊符堂(本尊)

・だるまさの願掛けの仕方

だるまさんに向かい合い、まず心を静め、願いをこめて向かって右に

墨で眼を書き入れる。そして一年間無事に過ごせた時、

願いごとが叶えられたときに、感謝の心をこめてもう一方の眼を

書き入れる。達磨大師のように、いかなる困難も克服し、

願いごとを成就して無事にだるまさんの両眼が開けられるよう

惑わされず、振り回されず、正しい心の目を見開いて精進しましょう。

本堂の隣りには売店があり、達磨グッズばかりが売られている。

絵馬もここには達磨さんだ。(縁起だるまの由来)

約220年前第9代目東嶽和尚が天明の大飢餓のあと、

苦しい農民たちを救済する復興活動として、毎年正月に禍を除く

お礼として近在の家々に配っていた。開山心越禅師の描かれた

「一筆達磨札」をもとに木型を彫り、農民の副業になるよう

張り子のだるまの作り方を伝授した。

この達磨堂は昭和61年、達磨大師の縁日、10月5日に貝堂した。

御本尊の「座禅だるま」をはじめ、信徒の皆様から寄贈いただいた

品々や、寺の宝物など、古今東西各種各様の「だるまさん」が所狭しと展示してある。

高崎というと福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三の3人の

総理大臣を輩出している。選挙で使ったのだろう

一際大きいだるまが並んで飾ってあった。

松林山は小高い山の上にあり、榛名山はじめ上州の山々が

透き通った空気の中、くっきりと見えとても気持ちが良い一時であった。

達磨寺からちょっと脇道に入った所に史蹟「洗心亭」がある。

この建物はドイツ人の世界的建築家ブルーノ・タウト氏が昭和初期に

居住された史跡だ。タウト氏はここで日本の文化、桂離宮、伊勢神宮、

白川郷の合掌造り等の日本美を再発見し、これを研究して

世界に紹介・発表し、実に偉大な功績を残した。

1920年代にタウトが設計したベルリンの住宅群4件は

世界遺産として登録されている。庭には「私は日本の文化を愛する」と

ドイツ語で書かれた記念碑がある。

最後に強烈な印象を残した大石段を上から撮ってみました。

この階段を登るのに2回太ももに来て、一瞬足が上がらなく

なったのには参った。