地図上の六義園の下の方一角を昔から「大和郷(やまとむら)」と呼んでいる。
大和郷とは江戸時代、諸藩の下屋敷や武家屋敷が置かれていたことから
明治時代以降に政、官、財界人の豪邸が立つ地域となった。
このため今でも山手線内の高級住宅地として知られている。
大和郷(やまとむら)という都内屈指の住宅街は現在の本駒込6丁目を中心とした一帯で
三菱三代総師・岩崎久彌が六義園周辺の土地を「大和郷」として
アッパークラスに向けて分譲したのが高級住宅地の歴史の始まりだ。
一区画150坪~300坪という規模で分譲された大和郷は
三菱村・丸の内へのアクセスが良いことから三菱グループの重鎮が多く住んでいた。
ほかにも政治家、官僚、実業家などが居を構えていた。
初代名誉郷長は若槻礼次郎(第25、28代、内閣総理大臣)だった。
又、正田美智子(現・上皇后)が受験の為、俵孝太郎の旧宅に移り住んだこともあるという。
六義園を囲む長い長いレンガ塀。
江戸時代、この駒込エリアは富士講、鷹匠屋敷、名産の駒込茄子があった為、
一富士、二鷹、三茄子として江戸っ子は縁起の良い土地として語っていたという。
駒込一帯は文京区、豊島区、北区の区境がある所で写真の右側の家は文京区本駒込6丁目、
左側の家が豊島区巣鴨1丁目1番1号で、真ん中に区境がある。
それでは道路の奥の家は何区なのだろうか?
この2階建ての立派な白亜の建物は個人の住宅なのだろうか?
それとも何かの施設なのだろうか?
とにかくデンとして存在感のある建物で目立った。
静かな高級住宅街を散策していたら突然全く趣きの違う大きな建物が現れた。
道路際に何本も連なるエンタシス系の丸柱は、まるで古代ギリシャの神殿のような建物だ。
これは宗教法人・天心聖教の本部聖堂で天心大霊神様を信仰し、島田晴一を開祖とする宗教だ。
六義園の正門前の通りは大分以前に分譲になったと思われる重厚なマンション群が続き、
この通りも高級住宅街の一角を担っているようにも見える。