この宮殿の建設は植民下に置いていたフランスによって
1868年に始められ1873年に完成した。
しかし、1962年のクーデターの際に戦闘機による爆撃を受け
大破し取り壊されてしまった。ということで現在の建物は2代目。
この建物は数奇な運命を経ている。政情が不安定だった時代に
建物の呼び名が度々変遷した歴史を持つ。1873年から1955年の
呼称は「ノロドン宮殿」1955年から1975年の間は「独立宮殿」
そして1975年から現在まで「統一会堂」として事実上の博物館になっている。
建物は地上3階地下1階の4階建てで、屋上も開放されている。
ここは宴会場ということもあり全体的に豪華な造りに成っている。
ここは内閣会議室で30個以上の椅子があり、
大人数で会議していたのが想像できる。
会議室という名の宴会場。500人という大人数で立食パーティを
行なったこともある。立派な屏風があり、赤色で統一されている。
ホーチミンの胸像もデンとしてある。普段は見学できるようになっているが
重要な国際会議などがあると現在でも公式に使われている。
2階にある国家安全会議室。壁には南ベトナムの各地域の
地図が張り出され、テーブルには色分けされた電話機が置かれていた。
電話機はダイヤル式でその時代の空気が伝わってくる。
この部屋はなんとも生々しいものを感じた。
この部屋は大統領執務室。その当時の写真も掲載されてあり、
後の絵もそのままで保存されてある。その当時の大統領は
グエンバンチュー。その後チャンバンフォン、ズオンバンミンと続いた。
大統領レセプションルーム。写真を見ると絨毯もその当時のままだ。
副大統領のレセプションサロン。写真の真ん中の人が
グエン カ オキ副大統領。彼は空軍の軍人上がりだ。
館内の随所には警備員が配置されていたが、のんびりした雰囲気で立っていた。
各国大使の認証書伝達会議室。
敷地内に2台のソ連製T-54戦車が展示してある。
1975年4月30日に解放軍が戦車でフェンスを破った殊は
世界で放送され、無血入城として知られている。
事実上のベトナム戦争終結であり、一つの国家が終焉を迎えてた瞬間であった。
2階の真ん中吹き抜けにある中庭と大統領私邸のダイニングルームとベットルーム。
この建物は1966年に再建され、ベトナム戦争終結までは
ベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府及び官邸として使用された。
ホーチミンで最も美しい建物のひとつと言われている。