スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

秋の津和野

2018-12-20 06:40:13 | 旅 ~国内

2017-2-17付ブログ(山陰の小京都 津和野)参照して下さい。

殿町通りに沿って流れる白壁に面した用水。そして真黄色に色ずいたいちょう並木。

山陰の小京都と言われる静かな津和野の秋がここにあった。

津和野は通りの堀割に錦鯉が泳ぐ城下町として有名だ。

鯉の数は1000匹以上、観光客がエサをやるせいか、

皆丸々と太っていて、狭い堀割の中を泳いでる。街並みとマッチして本当に美しい。

庭園の池で泳ぐ錦鯉とは全く違った良さを見ることが出来る。

なんとなく物思いにふけっているように見える支店長と女子行員さん。

実はエサを食べている鯉を見ているだけなのかもしれない。

2人の背中にちょとしたポエムを感じた一枚です。

それにしてもこの赤いハッピはすごく目立った。

平成6年11月3日に建立された国指定重要無形民俗文化財の

「鷺舞の像」。古式豊かな鷺舞は神事舞として京都より山口を

経過して天文11年(1542年)津和野城主吉見11代大蔵正頼が

五穀豊穣、災厄防除の為、移したことに起源する。

その後、坂崎出羽守の時代に中絶したが、二代藩主亀井茲政に至り

寛永20年(1643年)京都より伝授され復興し、弥栄神社の例祭に

供奉今日に致たる。ここでの紅葉したもみじのグラデーションが美しい。

津和野川にかかる大橋と赤と黄に紅葉したもみじ。心和む風情があった。

標高367Mの霊亀山に1295年(永仁3年)築城された山城の津和野城。

三本松城もしくは一本松城と呼ばれている。

主な城主は吉見氏(築城主は吉見頼行)坂崎氏、亀井氏と続き

明治4年廃城に成った。城跡は国の史跡となっており、

平成18年日本100名城(66番)に選定された。

藩主座敷は現在県立津和野高校に成っている。

城下町の趣きをさらに高めているなまこ壁の堀。

なまこ壁、生子壁、海鼠壁とは土蔵などに用いられる日本伝統の

壁塗りの様式の一つ。壁面に平瓦を並べて貼り、

瓦の目地に漆喰を蒲鉾形に盛り付けて塗る工法で目地の

盛り上がった形がナマコに似ていることからその名がある。

堀割の所に咲いていた「つわぶき」(石蕗)の花。

10~12月に咲き、キャラブキや九州名産佃煮キャラブキは

このつわぶきの葉っぱで作られている。

津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツに持つと言われている。

遠い昔、山紫水明のこの地に住みついた人々は、群生する

「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ

自分たちの住む里を「つわぶきの野」・・・「つわの」と

呼ぶようになったという伝説がある。

旧津和野藩家老多湖家表門(重要文化財)をじっと見つめている一人の旅人。

津和野は明治の文豪、軍医であった森鴎外(1862年(文久2年~

1922年(大正11年)の誕生地である。

本名林太郎は幼少期を津和野で過ごし途中藩校養老館に学んだ。

旧宅に隣接した記念館では遺品や直筆原稿などを見ることが出来る。

森鴎外は亡くなる時、石見の森林太郎として臨終を迎えたいと

伝えたそうだ。尚親戚に日本初の西洋哲学者西周がいる。