岩国国際観光ホテル
岩国市岩国1-1-7
TEL 0827-43-1111
http://www.iwakunikankohotel.co.jp/
今年もさいしん旅のいきがい大学の季節がやってきた。
今年で第32回目、世界文化遺産「萩」と山陰の小京都「津和野」
~湯田温泉・長門湯本温泉3日間の旅。このコースは最近、行った来た所で
最初は躊躇したが、浮世の義理、仕事関係もあって参加してきた。
日本一の名勝・錦帯橋を望む錦川沿いにある岩国国際観光ホテルで
昼食をとった。ここは錦帯橋温泉のある宿で、客室数56室、収容人数200名ある。
4階まで吹き抜けとなっており、中国地方一と讃えられる2基の
シースルーエレベーターがお客さんを案内する。
1階ロビーには売店があり地酒販売コーナーもあった。
今話題の旭酒造の「獺祭」も売っていた。
当店は岩国市のメーカーだから当然だ。
岩国寿司、太平、本日小鉢、茶碗蒸しの岩国寿司定食1450円税込。
この寿司は岩国藩初代藩主の吉川広家が合戦に備えて
作らせた保存食が町家にも広がったという説もあり「殿様寿司」とも言われている。
詳細は番外編141(2017-2-27付ブログ)を参照してください。
錦帯橋誕生までには、多くの偶然が運命の様に重なり合っている。
関ヶ原の戦いにより吉川家(きっかわ)が岩国を守ることになったこと。
戦後の緊張感から防御に重きを置く形として、横山の山頂に城を築き
錦川を天然の外堀として両岸を中心に城下町を造営したため
橋が必要となった。そして橋を架けることが難しい錦川に流れない橋を
架けるため研究を続けていた吉川広嘉が病弱であったため
明の帰化僧独立と出会い、独立の故郷である杭州や西湖が話題に
のぼったことにより「西湖遊覧志」を取り寄せてヒントとなった
絵図を見つけ、運命の橋はいよいよ創建へと向かう。
そして延宝元年(1673年)10月1日、ついに五連のアーチの橋が完成した。
(2017-2-24付ブログを参照)
以前来た時は雲でよく見えなかった岩国城が今回ははっきり見えた。
関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に削減され
広島城から萩城に移転。吉川広家も同時に米子城から当地に3万石で
封じられた。そして岩国で岩国城を築城。その後昭和37年、RC造で
天守を復元した。岩国城は日本100名城(74番)に選定された。
錦帯橋を造る高い技術は調査の結果、「錦帯橋の工法は現代力学の
法則に合致していて何らの改善の余地はない」という精巧なものであった。
木と木の組合せによって支えらえ、巻金とカスガイのほかは1本の釘も使われていない。
橋の真ん中には4か国語で注意書きが、「足元に注意」は中国語で
「小心脚下」と書く。なんとなくニュアンスが伝わってくる。