昨日の中学校に続き、
今日は、小学校の入学式でした。
歩いて5分もかからない、
舞小学校に行かせていただきました。
赤ちゃんの時から知っている子もたくさんいて、
保護者の中にも、娘たちの同級生がいたりして、
なかなか「ばあば的」時間でした✨
娘たちが入学式を迎えた頃に比べると、
新1年生に、だいぶ優しい入学式になったなあと思います。
教頭先生も、
「起立!」とかではなく、
やさしい笑顔で「立ちましょう」と言ってくれたり、
お祝いの挨拶も、
子どもたちがわかるようなことばを選んでくれたり、
遅々として進まない「子どもの権利」の啓発ではあるけれど、
全く進んでいないわけでもないのかなあと感じました。
ただ、
挨拶の中身で言うと、
まだまだ、
「なかよくしましょう」
「感謝しましょう」
「明るく、元気に」
といったことの強要が多いなあと感じました。
表面的な「なかよく」よりも「だれもが安心していられる」ことを大事にしてほしいし、
「感謝」は、「ありがとう」と言わせればいいものではないし、
「明るく、元気に」できない子どもの現状があることを理解し、その現状を少しでもなくしていくことが大事なはずです。
「明るく、元気に、なかよく、感謝の言葉を言える」子どもになってほしい、というメッセージは、
そうできない、子どもたちの状況を棚にあげていないか、と思ったりしました。
子どもたちの生きにくい、育ちにくい現状について、
おとなは、
もっとしっかり認識をもっていくことが必要だと思いました。
今日は、小学校の入学式でした。
歩いて5分もかからない、
舞小学校に行かせていただきました。
赤ちゃんの時から知っている子もたくさんいて、
保護者の中にも、娘たちの同級生がいたりして、
なかなか「ばあば的」時間でした✨
娘たちが入学式を迎えた頃に比べると、
新1年生に、だいぶ優しい入学式になったなあと思います。
教頭先生も、
「起立!」とかではなく、
やさしい笑顔で「立ちましょう」と言ってくれたり、
お祝いの挨拶も、
子どもたちがわかるようなことばを選んでくれたり、
遅々として進まない「子どもの権利」の啓発ではあるけれど、
全く進んでいないわけでもないのかなあと感じました。
ただ、
挨拶の中身で言うと、
まだまだ、
「なかよくしましょう」
「感謝しましょう」
「明るく、元気に」
といったことの強要が多いなあと感じました。
表面的な「なかよく」よりも「だれもが安心していられる」ことを大事にしてほしいし、
「感謝」は、「ありがとう」と言わせればいいものではないし、
「明るく、元気に」できない子どもの現状があることを理解し、その現状を少しでもなくしていくことが大事なはずです。
「明るく、元気に、なかよく、感謝の言葉を言える」子どもになってほしい、というメッセージは、
そうできない、子どもたちの状況を棚にあげていないか、と思ったりしました。
子どもたちの生きにくい、育ちにくい現状について、
おとなは、
もっとしっかり認識をもっていくことが必要だと思いました。