思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

ジョニー・デップ主演の『トランセンデンス』を観ました。

2014年06月28日 | 思考探究

 昨日は、のんびりと休暇を過ごしました。午前中から楽しみにしていたジョニー・デップ主演の『トランセンデンス』先行公開を観に行きました。

 「生かされた意識」ということで死すべき運命だった主人公ウィル。しかしその意識は、死の間際に妻のエヴリンによってスーパーコンピュータにインストールされます。

 意識だけの存在となったウィルは、オンラインにつながると軍事機密、金融、世辞から個人情報にアクセスし知識として蓄え「進化する超頭脳」へと徐々に変貌して行き、ナノテクノロジーの技術力をも向上させ再生医療、人間創造へと進んで行きます。

 ある意味新しき神の創造、彼は生前の講演会で質問に応えてそのようなことを匂わせていました。

 結末はともかくいろいろなことを考えさせられました。全人類の脅威となったデジタル怪物が近未来に起きるのではないかというようなポイエーシス(創られる)物語としての来たらざる不安感が醸成されるなどという次元ではなく、単純にオートポイエーシス・システムと有機体を定義できるかという問いに対する思索です。

 システム 【 system 】という言葉に、個人的にどうしても血の通う有機体のイメージに言葉から受ける意味を重ねることに違和感を拭いきれないところがあります。

「システム」をIT用語辞典「e-Words]というサイトでその意味を引くと、

システム 【 system 】
 個々の要素が相互に影響しあいながら、全体として機能するまとまりや仕組みのこと。ITの分野では、個々の電子部品や機器で構成され、全体として何らかの情報処理機能を持つ装置のことや、ハードウェアやソフトウェア、ネットワークなどの要素を組み合わせ、全体として何らかの機能を発揮するひとまとまりの仕組み(情報システム、ITシステム)のことを指す。

と解説されていました。確かにITの分野ばかりでなく、脳内のDNAや神経伝達物質内の分子配列からシナプス、神経細胞の働き、各組織のネットワークをはじめとした生態学的な仕組はどう見てもシステムと解されます。
 
 「オートポイエーシス・システム」

 前回のブログでマトゥラーナの「オートポイエーシス」について触れましたが、このオートポイエーシスというシステムには次の四つの特徴があります。専門家でもないので当然にその道の大家の解説を参考にします。だいぶ古い『現代思想』に哲学者でこの「オートポイエーシス」の専門家の河本英夫東洋大学文学部教授の「第三システム:オートポイエーシス」からの引用です。

「オートポイエーシス論がシステム論である限り、それは哲学や思想ではなく一種の経験科学である。・・・・

オートポイエーシス・システムの論理は、神経システムをモデルにして組み立てられている。神経システムから出発し、細胞システムや免疫システムに拡大していった理論構想である。経験科学の場合、なにをモデルにするかによって後の理論形成に大きな違いが出る。・・・・

一般に有機体論は、「部分ー全体関係」「階層関係」「生成」という三つの論理的な支柱からなっている。第一世代システムは、部分ー全体関係を、有機構成に置き換えることで広大な経験的探求の領域を開き、生成を定状性維持のもとでの変化に限定し、階層関係をそのまま前提にしている。第二世代の自己組織システムのモデルとなるのは、成長し続ける結晶であり発生胚である。結晶は溶液中から突如析出し、環境条件に対応して形態を変化させながら成長をし続ける。発生胚は未分化な全体から分節を繰り返し、部分の成立と同時に部分間の関係が成立する。生成をつうじてそれじたいで秩序の形成を行ない、一定の環境条件下で「自己」そのものを形成するのである。・・・・

第三システムのモデルは神経システムである。神経系をモデルにして有機体論を構想したのが、マトゥラーナとヴァレラの共著論文『オートポイエーシス----生命の有機構成』(1972)である。この論文で「オートポイエーシス」という用語がはじめて登場する。・・・・

有機体をオートポイエーシス・システムだとしたとき、そこには四つの特徴があると指摘されている。自律性、個体性、境界の自己決定、入力と出力の不在という四点である。これらの四つの特徴を前にしたとき、既存の有機体論の視点からでも、おおむね理解しうる。自律性は、一般的に言えば有機体が外的な刺激や環境条件のもとで形態を変え、あるいは昆虫の場合のよう劇的な形態変化をとげる場合であっても、あらゆる変化にかかわらず自己を保持することだろうと理解できる。つまり動的平衡のことだろうと理解するのである。個体性は、栄養物を取り入れて自分自身の一部に変換し組み込むことだと理解できる。栄養摂取において、自分自身の同一性を保つよう有機体は機能している。境界の自己決定は、たとえば免疫システムによって自己と非自己の境界が区分されるという事態を思い起こしてみればよい。してみると自律性、個体性、境界の自己決定という特徴は、伝統的な有機体論の視点からでも十分に理解可能である。・・・・

ところが第四の特徴である「入力も出力もない」という点はほとんど理解不能である。これまでの理解によれば、自律性が外的な刺激にかかわらず自己維持されているという意味であれば、自律性の規定そのものに入力や出力が前提されている。また免疫システムが自己の境界を自己決定するさいにも、外界から物質の侵入が前提とされているはずだ。・・・・

 オートポイエーシスについて多大な誤解を招いたのはこの点である。そのためオートポイエーシス・システムは、構造的、機能的な閉じたシステムであり、このシステムの構造要素は、もっぱら機能に関して相互に連結しているだけであり、他の構成要素や周囲の環境とは結びついてこない、というように解される。・・・・

<『現代思想9』1993(特集)「オートポイエーシス」から>

長々の引用ですが、これは有機体の話でスーパーコンピュータの話ではありません。しかしこのようなことを前提で知っていると「入力と出力の不在」という特徴点が非常に気になり、『トランセンデンス』を観ながら「入力と出力」ばかり考えていました。

 コンピュータの「入力と出力」は、考える程の難しいことではありませんが、確かにインストールで始まる世界ですので全く違和感がありません。

 しかし人間には連結される入力装置があるわけではなく、五感という感覚器官がそれぞれの連携の中で現象を捉え認識し表象し反省しながら何ものかを意識して行きます。

 コンピュータでは接続が必要です。直接の連結だけでなくデーターの電波による信号送信で集約され分析し何がしかの結果を導き出して行きます。

 スーパーコンピュータに意識が入力されたコンピューター上の主人公。明らかに「0・1」の世界です。

「色・受・想・行・識」という五蘊

「視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚」という五感

「0・1」「無・有」

こんなことを考えながら『トランセンデンス』を観ていたわけで、結末・・・微妙な表現をしますが「そういう事であろう」であって、私にとっては「そういうものだ」では納得できないものでした。

 「ポーイエーシス」(ものを創ること)

 人間とは物語る存在です。『トランセンデンス』まさにそうでした。