前回は「生命というのは何かしらのシステム」と題しましたが、この「生命(声明)」という言葉は、自分の思いを込めて「生命(いのち)」という書き方をする人も多いと思います。
「命(いのち)」というのが本来の漢字のよみですが、「生命」という二文字を「いのち」と読ませたくなるところには、書き手側の思いがあります。
そこには呼吸する、脈打つ、鼓動する生命(せいめい)の息づかいが聴こえてきます。
そこで前回の表題を「生命(いのち)というのは何かしらのシステム」とすることが出来る方いうと、個人的には、できません。
いのち【ち】《イは息(いき)、チはさ勢力。したがって、
「息の勢い」が原義。古代人は生きる根源の
力を目に見えない勢いのはたらきと見たら
しい。だからイノチも、きめられない運命
・寿命・生涯・一生と解すべきものが少な
くない。》
岩波の古語辞典からの引用ですが、まさに「息の勢い」で寿命も持つもの有機体としての「生(なま)」があり「生身(なまみ)」の人間だから、それを「生命(いのち)というのは何かしらのシステム」という表記に違和感をもたせます。
システムという言葉には、機械的な永遠性、壊れないもの、常にそこにあるものとして「常住」があり一方、「いのち」は無常という移り行きいつかは消滅するものであることを誰もがしっかりいつの間にか知っていることがわかります。
山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつゆうぶっしょう)
草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)
という言葉があります。
底では無機物的な石や水も全てが「仏になる可能性を秘めた存在」として「無常」の存在であること指しています。
姿を変えない無変のものはこの世には存在しない。
超越「トランセンデンス」とはどのような意味理解で作品の題名となったのだろうか。
超える素・元・基(もと)の姿があり、きっとそこに人間を想定しているに違いありません。科学者ご本人が越えようとしているものは新たな世界構築のようです。
森羅万象
最近の気性の激しい変化、まさにとどまりたるためしなしの流動の激しさには驚きます。
怒りある何ものかの仕業に思ってしまいます。
そこには森羅万象という言葉内に既に「無常」があるのであって、移り行くこの世の当りまえがあるように思います。
作られた物、形成されたものは止まらない。
結局は『トランセンデンス』は「OFF]ということになりそうです。