思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

日本語の「もの的」訓読みの世界などについて

2014年06月08日 | ことば

「物事」は、「ものごと」と読み、「事物」は、「事物」と読みます。一般的な国語辞書には次のように解説されています。

<大修館書店『明鏡国語辞典携帯版』>

もの-ごと【物事】(名)この世にある有形・無形のすべてのもの。
              一切の事物。もの。

じ・ぶつ【事物】(名)物事。特に、有形的な物事。物(もの)。

<岩波書店『国語辞典』>

ものごと【物事】物と事。一切の事物。《事柄の方に重点を置く場合がある。》

じぶつ【事物】ものごと《事柄より物の方に重点を置く。》

と、一般的な国語辞典の解説内容を書き出しました。岩波の場合には、「事柄」という言葉が、物事・事物の二語に共通して使われています。

同じ岩波の国語辞典で調べると、

ことがら【事柄】物事の模様・ありさま・内容。
        〔例〕見てきた事柄。

この事柄の意味を使い物事・事物を使い表現すると、

物事は、見てきた物と事。

事物は、見てきた内容。

と説明できそうです。

音読み・訓読みで漢字が逆になり、内容に微妙な違いが出てきます。その点、『明鏡国語辞典携帯版』によれば、

物事は、有形・無形のすべて。

事物は、有形的な物・事

で「有形」という「形が有る」「かたちある」が理解の決め手になります。

事物とは、有形の物で、ありありと形として現出している固形物のイメージがあります。

 一方、物事(ものごと)と言う言葉には、悲しみに涙し、悲痛の姿に悲哀を感じる世界もイメージでき、日本語は動詞的という話しは、漢字二字にしても合理的な漢字の世界を離れた淡い日本語の世界を見ることができるような気がします。

 この場合の「淡い」はハッキリしないという意味で使っています。

日本語の発音の世界における鼻濁音の発生が育った環境によって継承されるのですが、日本語のこの淡い世界はどうして継承されるのか。何となくわかるという感覚、合理的でない世界がそこにあるわけで、「ある」という限定される世界ではない、無形の世界が広がります。

6月6日のNHK視点・論点の一橋大学石黒圭教授の「日本語の空気」の話を最近話しましたが、「日本語における一人称の世界」は面白いですね。

石黒先生の言うように、確かに一人称は、

 自己の成長とともに、「名前+ちゃん」→「名前」→「僕」→「俺」→「僕」→「私」→「お父さん」→「おじいちゃん」

と変わっていきます。この番組の最後に「自分」という言葉を使う人が増えていることに言及し参考になる話を語られていました。

【石黒圭】 最近、よく耳にするようになってきた一人称があります。それは「自分」です。
  「自分」という一人称は、軍隊や警察で使われてきた言葉ですが、今では、大学でもオフィスでも耳にするようになりました。私のゼミで「自分」を使っていた学生に、なぜ「自分」を使うのか理由を聞いたことがあります。すると、先生という専門家のまえでは謙虚に振る舞いたいと思い、「自分」を選んだという返事で、なるほどと思いました。
  「自分」というのは、指揮系統がはっきりとした組織で、上位者のまえで使われやすい一人称です。個人としての考えは表明しても、最後は上の人の決定に従いますという謙虚なニュアンスで使われます。その意味で、その場の空気を変えることがあまりない、カドが立たない一人称で、バブル世代だった私はあまり使いません。「自分」が増えてきた背景には、就職をめぐる環境が厳しさを増す昨今の社会情勢があるような気がします。

 日本語は「何を言うか」よりも「どう言うか」が大事な言語だと言われます。今日お話しした一人称も、例外ではありません。数ある一人称のなかからどれを選ぶかで、その人自身のキャラクターを示し、その場の空気に影響を与え、さらには社会の空気を生みだします。私たちが言葉を選ぶとき、相手との関係で、どこまで自分らしさを出そうか、いつも迷います。そこが、言葉の難しいところであり、また面白いところでもあるのです。

<以上>

「自分」という使い方の背景がよくわかるとともに、

日本語は「何を言うか」よりも「どう言うか」が大事な言語

という話しに引かれます。

 「何(なに)」と「どう」

あくまでも個人的な話ですが、「何」には、有形の事柄をイメージし、「どう」には有形・無形の事柄をイメージします。


何を言ったらよいのか。こういう事を言ったらいかが。

どう言ったらよいのか。こういう物腰で言ったらいかが。

今朝は、日本語の訓読みの世界観を書いてきて「物腰」まで来てしまいました。

「物腰」と書きましたが、古語では「物越し」、岩波古語辞典では、

ものごし【物越し】
1 間に物を隔てて対すること。
2 間接であること。人づてであること。
3 ものの言いぶり。話しぶり。また、態度。

ここに「もの」的世界が出てきます。

日本語は、「どう言うか」が大事な言語。

解るような気がします。