Sightsong

自縄自縛日記

安部公房『(霊媒の話より)題未定』

2013-06-02 23:26:10 | 思想・文学

安部公房『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮社、2013年)を読む。

本書に収録された作品群は、1948年の文壇デビュー前後に書かれたものだ。どうやら、安部公房本人に発表するつもりがなかったものらしく、中には断片としか言えないような未完成作品もある。

安部公房の初期作品は、『終わりし道の標べに』も、『壁』も、観念や野望ばかりが先走り、読みやすいとはとても言うことができない。奇妙さが目立つ寓意的な作品も多い。

もっとも、この特質は、安部の生涯を通じてそうであったのかもしれない。たとえば、晩年の『カンガルー・ノート』についても、観念的、寓話的だといってもよいだろう。そして、それが安部作品の魅力でもある。

ここで読むことができる作品も、模索のあとを感じることができるものの、既にその特質をあらわにしている。それは、馴れ合い、もたれ合いの前近代的な共同体に対する嫌悪であり、自我の置きどころへの懊悩である。また、やはり、安部公房が「手法の作家」であったという指摘も、まさに最初から当てはまるものだと思える。

●参照
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房『密会』
安部公房の写真集
安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
勅使河原宏『おとし穴』(安部公房原作)
勅使河原宏『燃えつきた地図』(安部公房原作)


ウォン・カーウァイ『グランド・マスター』

2013-06-02 22:33:24 | 香港

ウォン・カーウァイ『グランド・マスター』(2013年)を観る。公開早々にいそいそと足を運ぶなんて、久しぶりだ。

カンフーの達人たちが、自分が背負う流派のプライドを持ちつつ、お互いに戦い、時には協力しあう。やがて日中戦争が勃発。武術は大きな武力の前では無力であり、ある者は日本に協力さえもする。彼らは、戦後の香港でまた出会い、おのおの数奇な運命をたどることになる。

もう惜しげもなくワイヤーアクションもスローモーションも使いまくり、目を奪われる。それにしても、カンフーのさまざまな流派が、長江の北と南とで大きくその特性を異にするなんて、はじめて知った。その中には、イスラム教徒により創始された「八極拳」もある(確かに、この使い手は、戦後香港で、「清真」と書かれた食堂で食事をしている)。ついに映画が『北斗の拳』に追いついた、といったところだろうか。カンフーが、こんなに奥深いものだったとは・・・。

アクション慣れしたトニー・レオンやチャン・ツィイーの演技も素晴らしい。

なお、トニー・レオン演じるイップ・マンの弟子として、少年時代のブルース・リーが登場する。

●参照
ウォン・カーウァイ『楽園の疵 終極版』(トニー・レオン出演)
張芸謀『LOVERS』(チャン・ツィイー出演)
張芸謀『HERO』(トニー・レオン、チャン・ツィイー出演)
陳凱歌『PROMISE/無極』
ロバート・クローズ『燃えよドラゴン』
シャンカール『Endhiran / The Robot』(武術指導が同じユエン・ウーピン)


エドワード・ヤン『クー嶺街少年殺人事件』

2013-06-02 10:49:50 | 中国・台湾

エドワード・ヤン『クー嶺街少年殺人事件』(1991年)を観る。

現在入手も観賞も困難な映画だが、4枚組のVCDを売る香港のセラーを発見した。公開後流通した188分版ではなく、235分の完全版である。

1950年代末から1960年代の台湾。国民党の独裁時代であり、社会も不穏な空気に包まれていた。上海から移住してきた一家の息子・スーは、受験に失敗して夜間中学に入る。スーの前にあらわれた女の子・ミンとの恋愛、それをきっかけに取り込まれていく不良グループ、荒れるスー。スーの希望はミンだけ。しかし、それは過剰な想いだった。

スーの父は頑固なインテリであり、スーが事件を起こすと、外省人として疑われ、社会から疎外され、果てには精神のバランスを崩してしまう。

そして鬱屈し、噴出し、その軌道を自ら修正できない少年少女たちの姿が痛い。台湾の夜と恨と情とが、こちらの脳と心のなかに残響を生じさせる。傑作。

●参照
エドワード・ヤン『恋愛時代』(1994年)