Sightsong

自縄自縛日記

ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』

2013-06-29 00:06:48 | 環境・自然

ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』(A Seven Stories Press、2013年)を読む。

タイトルの「核戦争と環境の破局」に加え、再生可能エネルギーやベトナムの枯葉剤などについても言及している。主に、ポークが論点の提起を行い、チョムスキーがそれに答える形となっている。アフォリズム的でもある。

相変わらず、米国という怪物的な存在に対するチョムスキーの批判は熾烈だ。

それは、産官学が癒着した実態であり(原子力や製薬・バイオ技術の研究に、産業界が巨額の予算を提供している)、軍事産業を維持し続ける愚かな姿であり、世界支配とエネルギー確保のために中東に介入を続ける国のあり方である。極めて、不健全かつ危険だというわけである。

この姿は、広島・長崎への原爆投下や、ベトナムでの枯葉剤使用や、イラクでの化学兵器使用の隠れたサポートといった、血塗られた歴史の延長線上にある。チョムスキーは、それらの罪について、実証的に語っていく。

米国における地球温暖化への懐疑論は興味深い。米国の保守政治家や産業界のロビー集団は、たとえば、化石燃料を使用させ続けたい者たちの利権のために行動している(エクソンモービルが、かつて、かなりの予算を投じて温暖化懐疑論キャンペーンを張ったことはよく知られている)。それらの利権集団に対し、チョムスキーは、執拗に批判を加える。もちろん、チョムスキーは、地球規模の気候変動に対して大きな危機感を覚えているのである。

ところで、一方、日本においては、原子力利権や、オカネを使う金融業界のために、温暖化という物語を捏造したと言わんばかりの、くだらぬ陰謀論がのさばっている。

もちろん、科学的根拠が確立されているわけではない。現在の政策は、それを認めたうえで、「No Regret」の方針のもと、予防原則によって動いているということができる。しかし、懐疑論は短期的な利益だけを狙い、かたや、陰謀論は議論以前の知的怠惰に過ぎない。

●参照
米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』
ダニエル・ヤーギン『探求』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
自著
『カーボン・ラッシュ』
『カーター大統領の“ソーラーパネル”を追って』 30年以上前の「選ばれなかった道」
粟屋かよ子『破局 人類は生き残れるか』