Sightsong

自縄自縛日記

ジョン・ヒューストン『王になろうとした男』、『勝利への脱出』

2009-12-20 23:26:36 | アート・映画

エディ・ハリスが主題曲を吹いていたなと思って、録画しておいた『勝利への脱出』(1980年)を観る。ジョン・ヒューストン監督、シルベスター・スタローン主演の作品であり、スタローンにとっては『ロッキー』と『ランボー』の間にあたる。観終わってから調べると、エディ・ハリスのサックスは『栄光への脱出』だった(笑)。

ナチスドイツの収容所で、元サッカー選手の捕虜たちがチームを結成、ナチス支配下のパリでドイツチームとサッカーの試合を行うという話。ペレが特別出演し、ドリブルやオーバーヘッドキックを見せている。

ヒューストンの演出は大袈裟なところがなく極めて上品、好感を持ってしまう。脱獄したスタローンがレジスタンスの女性と関係を持つ描写なんて、いまの映画にはほとんどないに違いない。チームのメンバーたちが逃げ出して終わるのでなく、サッカーの観衆たちが試合に歓喜しながら自由を求めてグラウンドに雪崩れ込むラストシーンも良い。

勘違いついでに、ヒューストンの前作、『王になろうとした男』(1975年)も続けて観る。ここにもマイケル・ケインが出演していて、ショーン・コネリーとともに、インドからアフガニスタンを越えて伝説の国へ入り、神として君臨する。彼らの持つフリーメーソンの印と、アレクサンダー大王が残した財宝に付された印とがそっくりだという設定は秀逸。一つ目の神像も奇妙奇天烈で愉しい。

ジョン・ブアマン『未来惑星ザルドス』やジャン・ジャック・アノー『薔薇の名前』と同様、むんむんと男臭が漂うコネリーが出ると怪作度が増すという不思議である。

ジョン・ヒューストンの作品は、『マルタの鷹』、『黄金』、『キー・ラーゴ』、『アフリカの女王』など40年代、50年代のものが評価が高い。60年代のどうかしている『天地創造』は置いておいても、70年代以降にも秀逸な作品があるのだということ。


『パブリック・エネミーズ』、『パンドラの匣』

2009-12-20 22:11:22 | アート・映画

羽田-北京便が就航して便利になったのはいいが、ますます飛行時間が短くなり、特に帰り便では2時間の映画を最後まで観ることができるかどうかわからない。そんなわけで、行きには長め、帰りには短めの映画を選ぶことが必要となる。映画の愉しみがなければ、飛行機なんて揺れるし、怖いし、耳が痛くなるしと碌なことはない。

行きには、『パブリック・エネミーズ』(マイケル・マン、2009年)を観る。1930年代のマフィア物であり、悪名高いジョン・デリンジャーをジョニー・デップが演じている。ところが、全然面白くない(笑)。よく考えたらマイケル・マンの優れた映画なんて思い出せない。ジョニー・デップは、『シザーハンズ』(ティム・バートン)や『デッドマン』(ジム・ジャームッシュ)などエキセントリックな役なら嫌いでもないが(これも作家の力だろう)、このようにストレートに没入している役には何も感じない。

粉川哲夫『シネマノート』に細かな解説(>> リンク)があるが、そこでも大きく取り上げられているように、デリンジャーが死ぬ間際に恋人に残したメッセージは「バイバイ、ブラックバード」だった。しかし、それが何を意味するのか判然としない。恐らく観客のほとんどはモヤモヤしたまま帰るのだ。

もちろん、有名なジャズ・スタンダードとなっている曲名であり、例えば『ジャズ詩大全 2』(村尾陸男、中央アート出版社)によると、「自分の現在置かれている悲惨な状況から抜け出して、幸せが待っている彼女がいるところへと向かい、ブラックバードよさよなら、と歌うわけである。」とある(ブラックバードは悪い存在の象徴)。しかし、デリンジャーが向かう先には、生き残った恋人は居ないのである。もっとも、ブラックバードは黒人芸人を指すスラングだったとも言うし、この世でのパフォーマンスはお仕舞さとでもいった感覚かもしれないのだが、それでは自分勝手すぎるぞ。まあそのうち誰かが答えをくれるかもしれないので放っておくことにする。

ところで、本作が米国公開された直後の『ビッグイシュー日本版』(2009.8.1)ではジョニー・デップを特集している。デップの出演作には、今後、テリー・ギリアム『パルナッサス博士の想像力』ティム・バートン『不思議の国のアリス』などエキセントリックに違いないものがあるようで、ちょっと期待できるかもしれない。

帰りには、『パンドラの匣』(冨永昌敬、2009年)を観る。じらされることの快感、やはりハリウッドの大作などよりもこんな奇妙な小品のほうが嬉しい。