Sightsong

自縄自縛日記

江戸川乱歩『十字路』と井上梅次『死の十字路』

2009-12-08 00:43:01 | 思想・文学

たまに江戸川乱歩を読むと、あまりのキッチュな感覚と、夕焼けの懐かしさと、活劇性と、それから隠しようもない変態性とにたじろいでしまう。光文社文庫の『江戸川乱歩全集』第19巻、『十字路』におさめられた作品についてみても、『防空壕』はどう見てもエログロ小説であるし、『魔法博士』、『黄金豹』、『天空の魔人』は、幼少時にポプラ社の少年向けシリーズで読んだままの、まがまがしく、ケレン味たっぷりの活劇小説である。

ただ、表題作の『十字路』はちょっと性質を異にしている。私の記憶が確かならば、ポプラ社の小説では、巻頭に、「これはもともと大人向けの小説です」などと、ものものしく謳ってあった。その「オトナ版」である。

1回の不可避の殺人を犯してしまった男が、その死体を隠そうとするために、まったく関係のない死体をも遺棄する破目となり、男の犯罪を追及する探偵さえも殺してしまう。追いつめられた人間の心理と偶然とを組み合わせた面白いプロットではあるが、上のような乱歩の魅力には欠ける。

それというのも、このトリックやストーリーは渡辺剣次という作家が考え、乱歩が小説として仕立て上げたものだからだ。ハードスケジュールゆえ、出版社の要請に応えるために仕方ないことであったという。

ついでに、録画しておいた映画『死の十字路』(井上梅次、1956年)を観る。小説発表の翌年の映画化である。主演は三國連太郎と新珠美千代。細かな心理描写ができないのは仕方がないとしても、三國の顔の力がそれをカバーしている。舞台セットのような雰囲気で、ちょっとヒッチコックを思わせる。ラストシーンが小説と違って救いがないが、映画の出来もかなり良いのではないか。

それでも、乱歩の魅力はキッチュ性と活劇性と夕暮れの懐かしさと変態性である。明智小五郎と怪人二十面相との対決には年がいなくドキドキする。

「老人は「アッ」と叫んで、ふせごうとしましたが、もうまにあいません。かつらと、つけひげの下からあらわれたのは、若々しい男の顔でした。
 「やっぱり、そうだ。きみはいくつ顔をもっているかしらないが、この顔にも見おぼえがある。きみのような変装の名人、きみのような空中曲芸の達人、そして黄金豹という思いきった手段を考えだすやつ。そんなやつは、日本にひとりしかいない。ウフフフ、おい、二十面相! しばらくだったなあ」
 ああ、二十面相! この奇怪な犯罪は、あの怪人二十面相のたくらんだものだったのです。
 「小林君、呼ぶこだッ」」
 (『黄金豹』)