Sightsong

自縄自縛日記

杉山正明『クビライの挑戦』

2010-09-19 00:14:50 | 北アジア・中央アジア

中国に数日間行ってきた。往復の機内で読んだのは、杉山正明『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』(講談社学術文庫、2010年、原著1995年)。つまり、当時世界最大の都市であった杭州に、意識せずして本書を持ちこんだというわけ。世界史全般の通史では、モンゴルの世界席巻についていまひとつ不可解であり、知りたかったところでもあった。

ここに書かれているのは、世界システムの姿を変えたモンゴル、帝国の姿を変えたモンゴルである。世界システム論を提唱した人物にイマニュエル・ウォーラーステインがいるが(私は舛添要一の授業でその名前を知った)、著者は、彼についてヨーロッパ偏重であり「モンゴルを知らない」とばっさりと批判する。それだけでなく、歴史というものが特定のイメージに支配され、偏向と限界とを孕んでいることを、歴史家として自ら吐露する。この覚悟には読みながら気圧される。

「・・・歴史家というものは、既存のイメージや文献の表面にまどわされることなく、なにがはたして「本当の事実」なのか、ぎりぎりまでつっこんで真相を見きわめようとすると、じつはたいてい無力である。」(!!)

モンゴルについての既存のイメージは、野蛮、残酷、草のにおいのする戦闘集団、チンギスとクビライ、元寇、マルコ・ポーロ、タタールのくびき、といったところ、本書はそれらのひとつひとつを(歴史学の限界を提示しながら)再検証している。そこから浮かび上がってくるモンゴル帝国の新奇性、斬新さには夢中になってしまう。

○モンゴルがロシアに破壊と殺戮を加えたという「タタールのくびき」は、根拠に乏しい。実態は、ロシア側がモンゴルの権力を利用する形で支配を受け、モンゴルの世界システムに取りこまれるものだった。
○権力の多重構造がモンゴル帝国の特徴のひとつであり、多極化は内部抗争とは似て非なるものだった。すなわち、現代の国家観を歴史の実態にあうようにとらえなおす必要がある。
○モンゴル帝国、イコール、中華王朝(元朝)ではない。これは文献の偏りに起因する既存イメージのひとつである。
草原の軍事力、中華の経済力、ムスリムの商業力がモンゴル帝国の柱であった。自由な商業がグローバルな交流を生むこととなった。福岡をその交流圏の東端として捉えることもできる。これが華僑の東南アジアへの拡がりインドネシアのムスリム化の要因ともなった。
○東アジア全域での道路システムの整備は、史上はじめてのことであった。それを草原とオアシスの世界を横断する駅伝ルートと連結して、ユーラシア全域をひとつの陸上交通体系でつなげたのは、人類史上はじめてのことだった(あるいはこのときだけ)。そして、モンゴル帝国は、中国からイラン・アラブ方面にいたる海域をも掌握した上海はこのとき歴史上に姿を現した。
○南宋への攻撃において採用した、都市化による包囲は、「不殺の思想」であり、「戦争の産業化」であった。
元寇、とくに第一回の文永の役は、南宋攻撃の一環として位置づけられる。「元寇」だけをクローズアップするのは、「巨大な外圧」というイメージが好まれた結果である。しかし、第三回がなされていたならば(モンゴル内部の政治情勢変動により実行されなかった)、日本はあやうかった。
○銀を共通の価値とする「銀世界」は、ユーラシア全体に拡がった。銀と、それにぶらさがる紙幣、自由な物流とそれによる国家収入、通商帝国というにふさわしいシステムであった。
○日中交流史上、近現代をのぞくと、もっともさかんであったのはモンゴル時代である。
○モンゴル帝国を揺るがしたのは、14世紀の「地球規模の災厄」であった。これをヨーロッパだけに限定して考えてはならない。
○モンゴルを否定し、漢族主義・中華主義を標榜した明朝は、明らかに、巨大敵国の方式をモンゴルから受け継いでいた。そのパターンを取りこんだ「巨大な中華」は、明、清、民国を経て現在に生き続けている。
が独裁専制の「内向き」帝国になり下がらなければ、「大航海時代」は、少なくともアジア・アフリカ方面に関しては、ヨーロッパ人のものであったかどうかわからない。(!!) 「モンゴル・システム」が生き続けていれば、東からの「大航海時代」がなかったとはいいきれない。少なくとも14世紀までは、技術力、産業力、それから海洋の利用において、「東方」が「西方」を凌駕していた。

歴史の「たら、れば」はともかく、「モンゴルの時代」の面白さについて、これでもかと示してくれる本である。


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2 コメント

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Unknown (Bemsha)
2010-09-20 11:36:16
私も今ちょうど岡田英弘の『世界史の誕生』と『モンゴル帝国の興亡』を読んでいたのですが,「モンゴルの時代」の歴史は本当にスケールが大きくダイナミックで面白いですね。

モンゴルの視点あるいは交易・商業の視点から歴史を眺めると,従来の「中国史」「ヨーロッパ史」あるいは「日本史」といった枠組みがいかに窮屈なものであるかを痛感します。

こういうスケールの大きな本を読むと,私自身の関心も柄谷行人からジャレド・ダイアモンド,網野善彦等々までどんどん広がって行くのもまた楽しいです。

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Unknown (Sightsong)
2010-09-20 11:43:44
Bemshaさん
いやまったく。「三国志」愛読者の中国史マニアとか、司馬愛読者の幕末マニアとか、戦国時代マニアとかいますが、ドラマ的であり、話が広がらないつらさがあります。

> 岡田英弘の『世界史の誕生』
気になってはいたのですが未読です。そのうちに・・・。
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