鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山の銚子への旅 その1

2012-01-26 06:11:32 | Weblog
 崋山とその従者、そして小林蓮堂の三人は、日本橋小網町の行徳河岸から「行徳船」一隻を借り切って下総の行徳河岸へと向かいました。

 これは、江戸から「東国三社」および「銚子磯巡り」の旅に出掛ける際には、もっとも一般的なコースでした。

 下総の行徳から少し歩いて木下(きおろし)街道に入り、そこから下総台地の上を歩いて利根川筋の木下(きおろし)河岸に出れば、そこから「東国三社巡り」および銚子遊覧のための「木下茶船(きおろしちゃぶね)」が出ていたからです。

 歩くのは行徳から木下(きおろし)までで、あとは舟に乗れば、香取神宮にも、息栖神社にも、鹿島神宮にも、その「一の鳥居」(川岸の参道入口)まで行くことができ、また銚子の湊にもそのまま直接入ることができたからであり、「遊山客」にとっては労力の少ないもっとも簡便なコースであったのです。

 崋山は旅の途次、出会った人々からいろいろな情報を仕入れています。それは旅籠(はたご)の主人であったり、旅人や村人であったり、舟の船頭であったり、地元の名士であったりします。

 若い頃から、どこへ行っても懐に入れた雁皮紙(がんぴし)の小冊子を取り出してスケッチをしていたという崋山は、この旅においても興趣を覚えた風景を興趣を感ずるままにスケッチし『四州真景図』という味わい深い作品群を残しました。

 彼は、生涯において十数回の旅をしていますが、この『四州真景』の旅は、「ほぼ唯一の私的な旅行」であり、それゆえか、「四州真景図」は、旅情に溢れており、随所に人物が描き込まれているなど、人の息遣いが伝わってくるような作品群となっています。

 彼自身は、この『四州真景図』を『游総図』と読んでいたらしい。

 ずっと黒白の素描であったものを、三州田原に幽閉されてから、それに色を付けたものであるらしく、晩年になっても崋山にとって愛着のある作品群であったものと思われます。

 崋山のこの「四州真景」の旅は、『渡辺崋山集 第1巻』の解説では、「津宮村(佐原市〔現在は香取市─鮎川〕)の名主久保木清淵訪問が主目的だったのではないか」とありますが、私はそう思わない。

 おそらく「久保木清淵」という人物の存在は旅の途次において知ったのであり、その訪問が旅に出る前からの主目的であったとは思われない。

 崋山のこの旅の主目的は、銚子において太平洋を眺めることであり、その銚子には、友人小林蓮堂の知り合いであり(おそらく)、かつて小林一茶をもてなしたこともあるたいへんな豪商(「御穀宿」)で文化人(俳諧を嗜み、俳号も有する)でもある行方屋大里庄次郎(桂麿)という人物がいるということを蓮堂から聞き、その大里家訪問を決めたのです。

 これも私の推測ですが、おそらく小林蓮堂がその旅の一切を取り仕切り、いついつまでに銚子に到着するという連絡も、銚子の大里庄次郎(桂麿)にしていたのではないか。

 津宮の久保木清淵から、「潮来五丁目」に居住する宮本茶村を紹介されて、その茶村を潮来に訪ねた崋山は、鹿島神宮や息栖神社の参拝を割愛し、その日取りに合わせるべく、常陸利根川から利根川本流へと入り、銚子へと急いだのです。

 もし到着予定日を大里庄次郎に前もって知らせておかなければ、鹿島神宮近辺にもう一泊して、鹿島神宮や息栖神社をゆっくりと参拝し、当時江戸市民に爆発的に流行していたという「東国三社巡り」を完遂していたはずです。

 当時33歳で、前年に父の死という悲しみに遭遇し、また同じく前年に起きた「大津浜事件」に衝撃を受けた崋山は、この時の私的な旅の目的地として、太平洋の大海原を眺めることができる房総半島の付け根、利根川河口部にある銚子を選んだのです。

 その銚子の荒野村には、友人の小林蓮堂の知り合いである豪商の大里庄次郎(桂麿)が住んでおり、その大里家に滞在することにした(結局は半月ばかり滞在することになる)のだと、私は考えています。


続く


○参考文献
・『渡辺崋山集 第1巻』(日本図書センター)
・『渡辺崋山 秘められた海防思想』日比野秀男(ぺりかん社)


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2 コメント

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崋山銚子研究 (銚子検定)
2012-08-23 20:52:27
素晴らしい研究です。
崋山は銚子で 外国船を見たかどうか研究している銚子のものです。

銚子には、崋山の遺作絶筆 ろせいかんたんむりの図 が あります。個人蔵
あと文化会館に女性の七福人があります。
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「銚子検定」さんへ (鮎川俊介)
2012-08-25 06:15:34
 私のブログに目を留めて頂きありがとうございます。

 銚子にあるという崋山の遺作絶筆、また文化会館にあるという女性の七福人、まだ見ていません。

 銚子にはまた機会がありましたら、訪ねてみたいと思っています。

 今後ともよろしくお願いします。

     鮎川俊介
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