鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-田原から伊良湖岬まで-その9

2015-02-04 05:39:10 | Weblog

 「道の駅あかばねロコステーション」の駐車場に車を停め、赤羽根港を左手に見て国道42号へと向かいました。

 赤羽港の向こう(西方向)に見える山は「大山」。

 池尻川の河口付近には大きな水門が見えます。

 この水門のある池尻川について、崋山は次のように記しています。

 「池尻川とてゴヲヅ、比留和、和地の諸流此池に流れ入て海にそゝぐ。抑(そもそも)此地ハ海左右にありて山深からず、おのづから水気薄きを、たゞに此川に流しすてんもいとおしの事やと、ひとりごちつゝ打わたる。」

 崋山は当然のことながらこの池尻川を河口付近で渡っているのです。

 「ゴヲヅ」とは、後注によれば、渥美郡渥美町芦村郷津のこと。

 池尻川には、郷津川、日留輪川、和地川の諸流が流れ入って海へと注いでいるが、諸流を灌漑用水として利用すればこの土地の有効利用が出来るはず。それをしていないのはもったいないことだ、と崋山は言っているのです。

 諸流を利用して用水路を整備すれば、田んぼを広げることが出来るはずだと崋山は考えたのでしょう。

 確かにこのあたりは山が海に接近しておらず、北側に平坦な土地が広がっています。

 左手に「メロン狩り イチゴ狩り」「マルカのメロン 農協検査品販売所」という文字の見える大きな販売所を見て、「池尻」のバス停を通過したのが9:16。

 まもなく右手に現れたお寺が曹洞宗普蔵院。

 本堂前の庭園に白石が敷き詰められた簡素なお寺でした。

 同じく右手にあった神社が「八幡社」。

 通りに面した石鳥居からの参道両側に、石積の上に設けられた立派な瓦葺の塀が延びており、一風変わった参道でした。

 この地域のかつての経済力を感じさせるもの。

 そこからしばらく歩いて現れたバス停は「東若見」。

 「赤羽根村」を通過した崋山たちは、この「若見村」へと入っていきました。

 「若見の郷にいる。」

 右手に現れた郵便局(POST OFFICE」)が、まるで小さな喫茶店のように、かわいくレトロな建物でした。

 「若見」の交差点を過ぎ、「若戸」バス停のところで右手にあったのが「若戸小学校」。この小学校の運動場は「避難場所」に指定されていて、まだ設置して間もないような新しい緑色の標示が立っていました。

 もちろん津波対策であるでしょう。

 歩を進めるにつれ、遠くに見えた「大山」がだんだん近づいてきました。

 「東越戸」バス停を通過したのが9:43。

 左手のビニールハウスの屋根越しに、太平洋の海原と水平線が見えてきました。海は国道42号に接近してきています。

 崖下にはサイクリングロードがあるようで、道の傍ら(左手)に、「注意 この先、下り階段が続きます。危険ですので自転車を降りて通行してください。」と記された看板が立てられていました。

 このサイクリングロードは「渥美豊橋サイクリングロード」というもので、国が昭和48年度から整備を始めている大規模自転車道の一つで、千葉県銚子市から和歌山県和歌山市までの延長1,200kmが計画されているとのこと。

 この渥美豊橋サイクリングロードは、愛知県が国の補助を受けて、伊良湖岬から静岡県境までの約55kmの整備を進めているもの。

 ここからビニールハウスの横を通って海岸へと近付いてみると、突き当りは崖の上になっており、両側の樹木の間から銀色に輝く太平洋の海原が見えました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)



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