鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.5月「吉原宿・三四軒屋浜」取材旅行 その3

2008-05-12 05:52:40 | Weblog
 バス(富士急静岡バス)を「ジャトコ社宅前」で下りると、雨が降っていました。天気予報では、東京・神奈川は午前中は雨。しかし静岡は午前6:00頃から晴れマークだったはずです。曇り空から雨が落ちている。取材する日(だいたいは土曜日)に限ってみても、天気予報は外れたり、または、ずれたりすることが多いような気がする。

 車に乗り、ワイパーを動かしながら先ほど歩いた東海道をたどる。吉原本町の両側に立派なアーケードのあるまっすぐな商店街を過ぎ、吉原中央駅の手前を左折。県道22の西仲町を過ぎ、県道139に入り錦町交差点を右折。潤井川を渡り、蓼原(たではら)・新富士駅付近を通過して、宮島東交差点を直進。「しらす」のお店がある通りを進んで右折すると、「入道樋門(ひもん)公園」というところにたどりついたので、そこの駐車場に車を停めました。 

 このあたりはもう松林になっていて、案内板には「潮害防備保安林」とある。松林を海岸方向に進むと、すぐに巨大な防波堤が現れました。防波堤のコンクリートの石段は34段。松林側の基部からおよそ7mの高さになる。上に上がると、そこは遊歩道になっており、左右にずっと延びている。つまり防波堤はずっと海岸に添って長々と延びているのです。その防波堤の上から、駿河湾とその手前にテトラポットが並ぶ荒涼とした海岸が広がっています。右手前方には三保の松原あたりが見え、前方には大瀬崎方面が見える。左手には田子の浦の海岸が延び、駿河湾は沼津方面に向かって入り江のように深く入り込んでいる。

 この海岸の沖合いで、ディアナ号は座礁し、そして多数の漁船に曳航され、そして元綱が切られてもとの位置近くに流され、そして沖合い300メートル付近でついに沈没したのです。ディアナ号の乗組員の上陸した場所はどこか。この海岸の右手か、それとも左手か。

 防波堤から下りて公園のところに戻る途中、右側(東側)に小さな社(やしろ)があったので、その前面にまわってみると、金毘羅(こんぴら)神社でした。かなり古い社で、弘化3年(1846年)9月には、この社のある新浜村の人々が五穀豊穣や祈雨のための神事を行なっているらしい。本社殿(現在のものではない)は文政12年(1829年)に創建されたとも。海難(防止)祈願の神さまである「備前さ」も祀られていますが、それはかつて遭難死した備前の御用船の乗組員14名を祀るもの(「備前拾四柱大人命霊神」)。かつて、難破した備前の御用船の乗組員14名の無惨な溺死体が、この新浜村の海岸に打ち揚げらたことがあるのでしょう。

 金毘羅神社の前の石段を下り、新浜の家並みの間の細い道を入っていき、右手の家の畑で働いているおじいさんに声を掛けました。

 「三四軒屋というのは、どちらの方になりますか」

 「もうちょっと西の方だよ」

 「そこの公園の向こうですか」

 「そうだよ」

 ということで、三四軒屋浜はここより西側であることがわかりました。神社の裏手の松林を通って駐車場に戻り、車で潮害防備保安林の中を西へ。

 龍王神社という神社が見えてきたので、その付近に車を停めました。

 この龍王神社の所在地は、富士市宮島1391番地。創建は慶応3年(1867年)。ということはディアナ号沈没の時は、ここには龍王神社はなかったことになる。案内板によると、この辺りの村落は、かつては三軒屋と四軒屋の二区に分かれ、漁業を中心とした生活が営まれ、したがって先祖代々、海の守護神である「龍王神」を崇(あが)めたのだという。この辺りの海抜は9.3m。海からも背後の田んぼからも少し高くなっているのです。

 金毘羅神社のお参りの帰りのおばあさんと話をしました。「しらす」のお店のことを聞くと、現在、「しらす漁」を行っているのは2軒ばかりだとのこと。かつては漁業がなりわいの中心であったものの、現在はほとんどこの浜では漁は行なわれてはいないようです。かつては巨大防波堤はもちろんなく、おそらく松林には漁をするための小さな舟が並んでいたのでしょう。漁に出かける時、あるいは海が荒れた時、村民はこの「龍王神」を崇めたのです。

 村落の左手に伸びる道を西に向かって歩き、途中で左折。巨大防波堤の上に上がると、堤上にはジョギングやウォーキングをしている人たちの姿がありました。

 防波堤から浜辺に下りて、さらに西に進みました。左手のテトラポットが尽きたあたりで釣りをしている親子連れがいました。

 「何か釣れるんですか」

 「キスだよ」

 「キス以外は何が釣れますか」

 「小さなフグがいるけど、すぐに針がとられてしまうよ」

 「ほかには」

 「スズキやイナダもたまにとれるらしいよ」

 「釣れますか」

 「今日はとれない。ゴールデンウイークだというのに、思ったより人出も少ないね」

 見渡してみると、釣り人は8人ほど。車が4台停まっている。波打ち際は砂利浜。浜は防波堤に向かって長く広がっていますが、途中、高波のためか浜はえぐれている。砂地の草の生えた浜を歩き、そのえぐれたところを登り、ふたたび防波堤に上がりました。北東には晴れていれば富士山の勇姿が間近に見えるはずですが、今日は雲がかかってほとんど見えない。その右側の愛鷹山(あしたかやま)は頂上部をのぞいてよく見える。

 おそらくここから下に見える浜辺が、「三四軒屋浜」に違いない。この海岸に、ディアナ号の乗組員たちは、多数の村人たちの献身的な救援のもとに上陸してきたのです。

 防波堤の上をさらに西進すると、富士川の河口部に出ました。その河口部を左手に見て、すぐに堤防を下り、右手下に見えた「富士市クリーンセンターききょう」の前(北側)の通りに出ました。この通りは、県道341で、「水神田子の浦港線」という。この道をまっすぐ東に向かって歩きました。


 続く


○参考文献
・『ヘダ号の建造』(戸田村教育委員会)


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
最悪最低 (ジヤスコ)
2008-06-10 21:14:41
ある桜えびが取れる近所のジャトコ 頭でっかちの事業所主 なにをちまよったか 国会議員と丸でかわらぬ方針 拷問 また 首吊りの 自殺が起こる こんな事を仕向けるジャトコの間接役職 怒りが止まらない マイナス 私行
返信する

コメントを投稿