鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

フェリーチェ・ベアトと五雲亭貞秀 その1

2008-08-20 06:29:33 | Weblog
 フェリーチェ・ベアトと五雲亭貞秀については、このブログでも何度か触れてきましたが、ベアトについては『F・ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館)の写真群、貞秀については、『絵とき横浜ものがたり』と『横浜浮世絵と近代日本』に掲載されている浮世絵を中心に触れてきました。

 実際に現地を歩いてみると、ベアトも貞秀も、現地にしっかりと足を運んでいることがよくわかります(ベアトはカメラマンだから当たり前ですが)。2人に共通するのは、上からのパノラマを写し、また描いていることと、そしてさらに細部(人間も含めて)を写し、また描いていること。「鳥の目」にもなり、また観察力豊かな「人の目」にもなっているということです。「森を見る」「木を見る」という言葉がありますが、高いところから森全体を見るとともに、森の中に分け入って、一本一本の木を丁寧に見る、という点において共通したものを私は感じます。

 「鳥の目」となり「人の目」となり、そして「人の目」からまた「鳥の目」となる。これはなかなか大変なことですが、特に、貞秀は、浮世絵師としては抜群にその才能に恵まれていたように思われます。

 貞秀は、ベアトと同様に、野毛の山や山手の丘に登り、横浜の町を俯瞰(ふかん)したに違いない。さらに貞秀は、横浜の町のありとあらゆるところを、可能な限り歩き回ったに違いない。その上で、彼は横浜の全体を見下ろす鳥瞰(ちょうかん)図を幾枚も描いたのです。

 ベアトには出来なかった、さらにはるか上空からの(つまり鳥の目になって)、横浜の町を描き出したのです。「空とぶ絵師」たる所以ですが、なんとおそるべき才能の持ち主だったことでしょうか。

 なぜ、貞秀は、このような鳥瞰図を描けたのか、描くきっかけは何だったのか…、といったことを、横田洋一さんの解説論文「横浜浮世絵と空とぶ絵師五雲亭貞秀」から知ることが出来たのですが、それが、実に興味深いことであったのです。

 『F・ベアト写真集2』については、それが出ていることは知っていましたが、今まで買うことはありませんでした。『F・ベアト幕末日本写真集』で十分に用が足りていたからですが、F・ベアトについて関心が深まってきたこともあって、その〔解説編〕の「横浜写真小史再論」という斎藤多喜夫さんの論文に是非目を通してみたく、それで購入を決めたのです。斎藤さんは、『F・ベアト幕末日本写真集』においても〔解説編〕を書かれていますが、それから約20年が経過して、さまざまな新事実が明らかになってきたことによって、その記述に「随所に誤りがあることも明らかになった」というのです。その「新事実を交えながら、横浜の写真史の全体像を描き直し、その過程で誤りを訂正」していくという論文でした。

 読んでみると、たしかに20年の歳月の中で、研究が深化されたことがよくわかります。

 ベアトについても、またベアトの写真についても、私が新たに知ることか多々あって、たいへん読んで有意義な論文でした。私が今まで書いたブログの記事においても、訂正する必要がある箇所があることを知りました。

 ということで、次回は、そのベアトのことと、貞秀のことについて、興味深かったところを簡潔にまとめてみようと思います。


 続く


○参考文献
・『F・ベアト写真集2』横浜開港資料館編(明石書店)
・『横浜浮世絵と空とぶ絵師五雲亭貞秀』(神奈川県立歴史博物館)


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