展子(のぶこ)さんは、藤沢周平の一人娘。先妻の悦子さん(同じ郷里の出身)との間に生まれました。実は、悦子さんとの間に、生まれるはずの子どもがいたのですが、死産(男の子でした)。その子が生まれる前に、藤沢さんは、「男なら展夫、女の子なら展子という名前」をつけようと思っていました。2人目が展子さん。悦子さんは、まもなくガンのため死去。 藤沢さんは、東京で働きながら、母と展子さんと3人暮しをしばらく続けますが、やがて和子さんと出会い結婚。生活が落ち着いたところで、本格的に小説(時代小説)を書き始めます。
和子さんと結婚するまでの、仕事と子育てを両立させる苦労は、相当のものであったことが、展子さんの文章から伺えます。
「お前のようにのほほんと生きてきたものには小説は書けない」とは、「将来は小説家になりたい」と言った展子さんに対する藤沢さんの言ですが、肺病(結核)のため教員生活を断念し、東京に出て長い入院生活を送った末、手術によって片肺除去。悦子さんと結婚するものの、最初の子どもは死産。2人目の展子さんが生まれるものの、まもなく悦子さんは死去(ガンのため)。最初の子どもの死産と悦子さんの病死は、藤沢さんにとって、言葉にあらわせぬ悲しみでした。
藤沢さんの一連の小説は、故郷鶴岡での幼・青年時代、サナトリウムでの闘病生活、最初の子と妻を失った悲しみの上に、紡(つむ)ぎ出されたものであることを知りました。
「のほほん」とした生活を送っている娘に、「のほほんと生きてきたものには小説は書けない」という藤沢さんは、「のほほん」という「普通」こそ「一番」の幸せであることを痛切に感じ取った過去を持つ人でした。
藤沢さんが、時代小説を書き始めたのは、先妻悦子さんと暮らしていた時でしたが、悦子さんがなくなり、展子さんの子育てと仕事に追われて、小説を書く時間もままならなくなっていたところが、和子さんと出会って「この人なら」と再婚し、再び筆をとることになったとのことです。
それまで暗かった生活が、和子さんとの結婚により、明るいものに変わっていくことは、和子さんとの結婚とともに、家に運ばれてきたたくさんの「嫁入り道具」を見る、幼い日の展子さんの目を通して秀逸に描かれています。
読み通して思うことは、作家「藤沢周平」は、和子さんとの結婚なくしては生まれなかったということです。藤沢さんが、「遺書」で、和子さんに「ただただ感謝するばかり」と書かれたのも、むべなるかな、と思われました。
「父の言葉、父の遺志」を読んだ時は、紹介されている「遺書」の一部が紹介されていますが、そこには和子さんや展子さんに対する藤沢さんの深い真情があふれていて、涙がとまりませんでした。
読んでいて浮かんだのは、小津安二郎監督の映画の世界でした。口数は多くないけれども、父の娘に寄せる思いがしみじみと伝わってくる、あの端正な作品世界。小津さんは、結婚をされず、したがって子どももいなかったわけですが、子(娘)を持つ父親の思いを丁寧に描き出しました(どうして、それが小津さんに可能だったのか、今もって私にはよくわからないのですが)。笠智衆さんの姿が、展子さんの描く藤沢さんの姿に重なりました。
「高名な」父親の思い出を語る作品としては、黒澤明監督の娘である和子さんが書かれた『回想 黒澤明』(中公新書)を思い出しますが、藤沢さんも黒澤さんも、家族旅行をゆっくりのんびり楽しむといったことはほとんどなかったようです。
小説を書き、映画を作ることに、日々、孜孜(しし)として取り組んでいます。土日もない。年季の入った職人のように、真摯に、「こだわり」(黒澤さんはこの言葉を嫌っていますが)をもって取り組んでいる。
しかし、展子さんも和子さんも、そんな父の姿から大きな影響を受けています。「高名な」父親の娘として、窮屈な思いをし、反発することもあったのでしょうが。
2階の六畳の仕事部屋に入れば、妻にも娘にもわからぬ執筆の世界。一つの作品を仕上げると3キロは体重が減ったという、執筆への集中と没頭。夏のステテコ姿での執筆。囲碁や散歩などの趣味。家での会話。病気のこと……、などなど、娘の眼に映った藤沢さんのありのままの姿、そして父に寄せる娘の想いが、読み手にストレートに伝わって来ました。
また折に触れて、繰り返し読んでみたい本でした。
私が読み終えた後は、やはり藤沢さんの小説が好きで、私以上に藤沢さんの作品を読みこんでいる妻(ほかのいろいろな作家の時代小説についても)が読みました。
妻の言。
「奥さまの和子さんがいなかったら、小説家の藤沢さんはなかったわね」
私も、まったく同感です。
追記
昨日(金曜日)の朝、NHKで、「渥美清の肖像 知られざる役者人生」(再放送)をやっていました。「欠食児童」であった戦争時代。上野の闇市での「テキヤ」とのつきあい。浅草のストリップ劇場での下積み時代。藤沢周平と同じく結核での長い病院生活。そして片肺の除去。山田洋次に「男はつらいよ」の企画を持ち込んだのは渥美清自身であったこと。脚本家早坂暁との出会いと深い交友。役者人生に命を賭けた姿。
遠藤展子さんが描いた、父 藤沢周平の素顔とともに、強く印象に残りました。
和子さんと結婚するまでの、仕事と子育てを両立させる苦労は、相当のものであったことが、展子さんの文章から伺えます。
「お前のようにのほほんと生きてきたものには小説は書けない」とは、「将来は小説家になりたい」と言った展子さんに対する藤沢さんの言ですが、肺病(結核)のため教員生活を断念し、東京に出て長い入院生活を送った末、手術によって片肺除去。悦子さんと結婚するものの、最初の子どもは死産。2人目の展子さんが生まれるものの、まもなく悦子さんは死去(ガンのため)。最初の子どもの死産と悦子さんの病死は、藤沢さんにとって、言葉にあらわせぬ悲しみでした。
藤沢さんの一連の小説は、故郷鶴岡での幼・青年時代、サナトリウムでの闘病生活、最初の子と妻を失った悲しみの上に、紡(つむ)ぎ出されたものであることを知りました。
「のほほん」とした生活を送っている娘に、「のほほんと生きてきたものには小説は書けない」という藤沢さんは、「のほほん」という「普通」こそ「一番」の幸せであることを痛切に感じ取った過去を持つ人でした。
藤沢さんが、時代小説を書き始めたのは、先妻悦子さんと暮らしていた時でしたが、悦子さんがなくなり、展子さんの子育てと仕事に追われて、小説を書く時間もままならなくなっていたところが、和子さんと出会って「この人なら」と再婚し、再び筆をとることになったとのことです。
それまで暗かった生活が、和子さんとの結婚により、明るいものに変わっていくことは、和子さんとの結婚とともに、家に運ばれてきたたくさんの「嫁入り道具」を見る、幼い日の展子さんの目を通して秀逸に描かれています。
読み通して思うことは、作家「藤沢周平」は、和子さんとの結婚なくしては生まれなかったということです。藤沢さんが、「遺書」で、和子さんに「ただただ感謝するばかり」と書かれたのも、むべなるかな、と思われました。
「父の言葉、父の遺志」を読んだ時は、紹介されている「遺書」の一部が紹介されていますが、そこには和子さんや展子さんに対する藤沢さんの深い真情があふれていて、涙がとまりませんでした。
読んでいて浮かんだのは、小津安二郎監督の映画の世界でした。口数は多くないけれども、父の娘に寄せる思いがしみじみと伝わってくる、あの端正な作品世界。小津さんは、結婚をされず、したがって子どももいなかったわけですが、子(娘)を持つ父親の思いを丁寧に描き出しました(どうして、それが小津さんに可能だったのか、今もって私にはよくわからないのですが)。笠智衆さんの姿が、展子さんの描く藤沢さんの姿に重なりました。
「高名な」父親の思い出を語る作品としては、黒澤明監督の娘である和子さんが書かれた『回想 黒澤明』(中公新書)を思い出しますが、藤沢さんも黒澤さんも、家族旅行をゆっくりのんびり楽しむといったことはほとんどなかったようです。
小説を書き、映画を作ることに、日々、孜孜(しし)として取り組んでいます。土日もない。年季の入った職人のように、真摯に、「こだわり」(黒澤さんはこの言葉を嫌っていますが)をもって取り組んでいる。
しかし、展子さんも和子さんも、そんな父の姿から大きな影響を受けています。「高名な」父親の娘として、窮屈な思いをし、反発することもあったのでしょうが。
2階の六畳の仕事部屋に入れば、妻にも娘にもわからぬ執筆の世界。一つの作品を仕上げると3キロは体重が減ったという、執筆への集中と没頭。夏のステテコ姿での執筆。囲碁や散歩などの趣味。家での会話。病気のこと……、などなど、娘の眼に映った藤沢さんのありのままの姿、そして父に寄せる娘の想いが、読み手にストレートに伝わって来ました。
また折に触れて、繰り返し読んでみたい本でした。
私が読み終えた後は、やはり藤沢さんの小説が好きで、私以上に藤沢さんの作品を読みこんでいる妻(ほかのいろいろな作家の時代小説についても)が読みました。
妻の言。
「奥さまの和子さんがいなかったら、小説家の藤沢さんはなかったわね」
私も、まったく同感です。
追記
昨日(金曜日)の朝、NHKで、「渥美清の肖像 知られざる役者人生」(再放送)をやっていました。「欠食児童」であった戦争時代。上野の闇市での「テキヤ」とのつきあい。浅草のストリップ劇場での下積み時代。藤沢周平と同じく結核での長い病院生活。そして片肺の除去。山田洋次に「男はつらいよ」の企画を持ち込んだのは渥美清自身であったこと。脚本家早坂暁との出会いと深い交友。役者人生に命を賭けた姿。
遠藤展子さんが描いた、父 藤沢周平の素顔とともに、強く印象に残りました。
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