鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.11月「根岸~能見台」取材旅行 その6

2008-11-26 05:45:43 | Weblog
 冨岡八幡公園で昼食を摂った後、冨岡八幡宮に向かいました。

 入口の赤い鳥居の左横に、「横浜市指定天然記念物 冨岡八幡宮の社叢林」のガイドパネル。

 先に「根岸八幡神社の社叢林」を見ましたが、あれは神奈川県指定天然記念物でしたが、これは横浜市指定の天然記念物。

 ガイドパネルによると、この社叢林のスダジイ林の高木層は高さ18mに達するという。斜面の下部にはタブ(タブノキ)林が生育。海岸側は、高木層にはクロマツが生育したマサキ-トベラ群集が見られるとのこと。そして次のように記されていました。

 「関東地方のかつての海岸沿いで、土壌条件の豊かな斜面を被(おお)っていたスダジイ林は、今ではその生育地が極めて限られている。」

 根岸八幡神社の社叢林も、斜面上部にはスダジイが群集していましたが、この冨岡八幡宮の社叢林も同様で、現在ではその生育地が極めて限られているからこそ、県や市の天然記念物に指定されているわけです。

 ベアトが本牧や根岸の海岸付近の写真を撮った頃(今から140年ほど前)には、海岸沿いの斜面にはスダジイを始めとして、タブノキ、シロダモ、ケヤキ、カクレミノ、ヤブツバキ、モチノキなどの常緑広葉樹林が豊かに繁茂していたのです。それが埋立や開発などにより、どんどん失われていったということになります。

 ゆるやかなコンクリート製の白い石段を上がりきると、「祇園舟」という、横浜市の無形民俗文化財に指定されている特殊神事の案内板がありました。境内には、杉田八幡宮と同様に、七五三の着物を着た子どもたちとその両親や祖父母たちの姿が見られました。

 石段を下り、「八幡公園前」バス停に出て(12:59)、バス通りを少し北に向かって進みました。右手に冨岡東中があり、左手は丘陵になっています。このあたりが「東浜」と呼ばれ、長昌寺の東側のかつては入り江であったところで、古くから冨岡の漁港として栄えたところ。

 この「東浜」の南隣の海岸が「宮の前海岸」で、その南に長く伸びる海岸が「長浜海岸」(小柴崎までおよそ2km)。

 この冨岡東中のところからバス通りを戻って、左手に冨岡八幡宮がある丘陵を見ながら進んでいくと、行く手に渚(なぎさ)のある広い池のようなものが見えてきました。この池に沿った遊歩道を歩いていくと、その池に面した施設があり、その施設の池に沿ったところを進んでいって渚に下りて振り返ると、冨岡八幡宮のある丘陵が、渚の向こうに見えました。

 この渚は人工的なものであるのでしょうが、冨岡八幡宮のある丘陵(この丘陵の海に突出したところが「八幡鼻」と呼ばれたところであるに違いない)の右下が海であったことを考えると、この渚はかつての「長浜海岸」とほぼ重なっている可能性が高い。

 実は、またまたここでベアトの写真が登場するのです。

 『F.ベアト写真集2』のP11に、ベアトが撮った「冨岡海岸」の写真が載っています。説明には、「明治6年(1873年)設立の横浜カヌー・クラブの面々であろう。富岡は横浜に近い保養地として、外国人に親しまれた」とある。

 この写真には、砂浜上の13人の外国人の男性と、13隻のカヌーが写っています。背後には丘陵があり、その崖下に白い一枚帆を揚げた和船が1隻写っています。さらに右側の沖合いには、カヌーらしき船が1隻浮かんでいます。彼ら外国人は、それぞれがそれぞれのカヌーに乗って、横浜港からこの冨岡海岸までやってきて、ここで休息しているのですが、ベアトはそのカヌーに乗って来た連中を、記念写真として一枚の写真におさめたのです。

 さて、この砂浜は、冨岡海岸のどこなのか。

 この背後の丘陵の形が手掛かりとなるはずですが、現在のそれとはとうぜんにかなり様子は異なっていると思われます。

 しかし、この冨岡並木地区センター(池に沿った施設は「地区センター」でした)横の池のほとりから見た丘陵の形は、この写真に見る丘陵の形とかなり似通っています。

 もし同じであったとするならば、この丘陵の海に面した突端は「八幡鼻」であり、この丘陵の向こうに冨岡八幡宮が鎮座していることになる。そしてこの外国人たちがカヌーで乗りつけたところは、「八幡鼻」から南に向かって小柴崎まで長々と伸びる「長浜海岸」であるということになります。丘陵からの距離を考えると、現在の冨岡並木地区センターのあるあたりが、彼らが休息し、またその彼らを写したベアトの撮影地点であるということになるのですが、これはあくまでも私の推測で、ほんとうにそうであるかどうかはわかりません。

 それほどに、このあたりの風景は変貌してしまっているのです。

 この冨岡並木地区センターには、図書コーナーがあるということなので、入って見ることにしました。

 多くの利用客がいます。

 図書コーナーの一角に、わずかに郷土資料の置いてあるスペースがありました。

 その中から、『かねざわの歴史辞典 INDEX金沢』(金沢区生涯学習“わ”の会)と『金沢今昔地図』、『私の語る金沢─町の古老に聞く─』を取り出して、目を通しました。


 続く


○参考文献
・『鎌倉英人殺害一件』岡田章雄(有隣新書/有隣堂)
・『史料でたどる明治維新期の横浜英仏駐屯軍』(横浜開港資料館)
・『金沢今昔地図』
・『かねざわの歴史辞典』(金沢区生涯学習“わ”の会)
・『F.ベアト写真集 外国人カメラマンが撮った幕末日本』横浜開港資料館編(明石書店)


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