鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「函館 その1」

2008-08-29 05:50:05 | Weblog
 私は国内旅行では飛行機を利用したことがなく、今回の東京~函館が初めての、しかも久しぶりの利用でした。JAL1161便は離陸後一気に高度を上げ、すぐに高度9400m、零下36℃の世界に達しました。本州(東北地方)のほぼ背骨部分の上空を飛行し、津軽海峡上空(高度1000m)で着陸態勢に入りました。函館山上空から右旋回し、函館市内の家々や通りを走る車などを眼下に見ながら、海沿いの函館空港に着陸しました。

 函館空港から函館市内行きのバスに乗車。湯の川温泉で下り、そこから函館市営電車(路面電車)に乗ります。兆民が生きていた時代、まだ路面電車は走っていませんでしたが、これにはぜひ乗ってみたかった。東京を走っていた路面電車の追体験をしてみたかったのです。私の生まれた福井市内にも路面電車が走っていました(福武線の一部)が、ちょっと雰囲気が違うし、今の東京を走る都電(三ノ輪橋~早稲田)とも雰囲気はかなり違うはず。東京を走っていた市電(路面電車)に近い雰囲気を持っているのは函館のそれだと思っていました(長崎・広島・豊橋などは原爆と空襲で町のほとんどが破壊され、焼失してしまいました)。

しかも、1日乗車券というものがある。値段はなんと600円!これはいたって町歩きに便利。今回は函館がメインではないので、あちこち歩き回るわけではありませんが、これを利用しない手はない。

 ということで、潮の香りが漂う「湯の川温泉」から、沿線の風景や乗り降りする人々の姿を見ながら「大町」(おおまち)まで。

 湯の川温泉街もそうでしたが、函館市内も、さすがに北国で、東京とは違って肌寒い。持参した薄手のウィンドブレーカーを着用しました。

 下車した「大町」は、函館山の方へ登る弥生坂の近く。ここから「十字街」「末広町」方面へ歩き出しました(10:10)。

 函館駅から札幌駅行きの特急に乗るのが16:43。函館市内探索は、およそ6時間半の勝負です。

 中江兆民は、明治24年(1891年)7月24日午後4時過ぎ頃、宮城県牡鹿半島の萩の浜から、日本郵船会社の「相模丸」に乗船。船中で夜を明かし、翌日25日の夕刻、函館に入港しています。そのまま函館の港近くの旅館「キト旅店」に宿泊し、翌26日の朝、波止場より艀(はしけ)に乗って、午前8時、沖合いに浮かぶやはり日本郵船会社の汽船「遠江丸」に乗り込んで、濃霧の中、函館の港を小樽に向けて出港しています。

 ということは、この時の兆民にとって、函館は宿泊するだけの通過点であって、いろいろと町中を散策した形跡は見られない。

 しかし私は、石川啄木の関係もあって、明治期の函館の町の様子を伺うべく、函館市内を歩いてみることにしたのです。

 函館は、長崎や横浜と並んで日本最初の開港地。来年2009年に開港150周年を迎える都市です。歩いてみると、さすがにその開港地としての年輪を、いたるところで感じ取ることが出来ました。


 続く


○参考文献
・『中江兆民全集⑬』「東京より北海道に至るの記」(岩波書店)
・『中江兆民評伝』松永昌三(岩波書店)
・『日本全国近代歴史遺産を歩く』阿曽村孝雄(講談社+α文庫)


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