鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-田原から伊良湖岬まで-その7

2015-01-29 05:54:30 | Weblog

 「赤羽根港」バス停から港へと下り、右手に密集する白い小型漁船や岸壁を見ながら進み、突き当りで右折して「道の駅」へと向かう途中、左手の丘陵の麓に神社の入口があるのを見掛けました。

 神社の名前は「若宮八幡宮」。

 石段下にあった「由緒碑」によると、創建は天正元年(1573年)ということで、古い社です。

 神社前から港を見渡してみると、この赤羽根港は人工的に造成されたものであるようであり、池尻川の河口部の低湿地を掘削して造ったものではないかと思われました。

 おそらく低湿地の中を池尻川が流れ、海(太平洋)へと注ぎ込んでいたのではないか。

 池尻川がかつてどのように流れ込んでいたのかはわかりませんが、現在は港の出入り口のところに両側から防波堤が突き出ています。

 「道の駅 あかばね ロコステーション」は、港東側の突き出した突堤の根元にあり、オレンジ色の建物の2階の展望台に上がると、港の出入り口やその向こうに広がる青い海原を見渡すことができました。

 崋山が立ち寄りスケッチした、「赤羽根遠見番所」や田原藩の海防施設関係の案内板やマップ等がないかと捜してみましたが、残念ながら見当たりませんでした。

 赤羽根海岸のどのあたりに遠見番所や大砲台はあったのか。

 『参海雑志』に描かれた「赤羽根遠見番所」は、海岸に面した断崖の上にあり、その東方向には突き出た岬のようなものが見えます。

 断崖の下には樹木が小さく見えるから、断崖の高さは20m前後はあるでしょう。

 この「道の駅」は、「中村」交差点(標高約25m)からゆるやかな坂を下って来て左折した海岸べりにあるから、「遠見番所」はこの「道の駅」付近にあったのではなく、もっと「中村」寄りの海岸べり(断崖上)にあったはずです。

 スケッチに見える東方向の岬のようなものは、おそらく「高松一色」バス停あたりの南側の突端に違いない。

 「一色神社」の上から見えた出っ張りです。

 となると、現在の「太平洋ロングビーチ」のあるあたりの断崖の上あたり(赤羽根小学校や赤羽根中学校の南側あたり)に「赤羽根遠見番所」があり、そこを下った浜辺(太平洋ロングビーチ)のあたりに大砲台があったもの(「大炮台ハ浜辺にありて…」)と推測することができます。

 それらの史跡のだいたいの位置について示された案内マップのようなものが、「道の駅」にあればいいと思いました。

 国道を戻って、左手に「池尻川」の流れを見て、「赤羽根港」バス停に至り、そこからまもなくやってきた「田原駅」行きのバスに乗り込んで、田原へと向かいました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)



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