鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

甲州街道を歩く-小仏から藤野まで その4

2017-05-03 06:20:01 | Weblog

 

 小仏峠の広場に「神奈川県立陣馬相模湖自然公園案内図」があり、「現在地」である小仏峠の周辺の地理がよくわかります。

 小仏峠から北に向かえば景信山。それから尾根伝いに堂所山→底沢峠→明王峠→奈良子峠→陣馬山→和田峠→醍醐峠→醍醐丸→生藤(しょうとう)山→三国山。

 小仏峠を相模湖方面へ下って行けば、底沢を経て相模湖の湖面に出ます。

 小仏峠以外にも底沢峠、明王峠、奈良子峠、和田峠、醍醐峠と、この尾根道には峠が多く、かつての村人の相模国と武蔵国を結ぶ生活道であったことをうかがわせます。

 このあたりで最大の市がある八王子と、機を織る周辺地域の農家を結ぶ生活道であったものと思われます。

 その案内図を見ていると、旧甲州街道をちょうど登って来た女性がいて挨拶を交わしました。

 下の集落から上がってきてこれから高尾山の方向へ向かう様子。

 お医者さんから糖尿病の気があると言われて、発奮して山歩きを初め、体重を10キロ落としたものの油断をしたらまた体重が増えて、山歩きを再開したとのこと。

 高尾山からケーブルカーで下山してバスで大垂水峠を越えて戻ったり、尾根伝いに大垂水峠を越えて千木良(ちぎら)に下ったり、この周辺のいろいろなコースの山歩きを楽しんでいる様子です。

 私が、前に美女谷温泉の近くからここまで来たことがあるという話をすると、

 「その道は大変な道だったでしょう」

 とのこと。また、美女谷温泉は最近廃業したとのこと。

 私がかつて登った道は甲州街道ではなかったらしいことに気付きました。

 高尾山のケーブルカーやバス、電車を利用して、日帰りの無理のない山歩きを楽しんでいるようでした。

 手にしていた新聞紙の包みには道筋ど採った「ぜんまい」が入っていて、

 「家にはたくさんあるから、持って行って」

 ということで、思いがけず「ぜんまい」を頂いてしまいました。

 甲州道中に入る地点には、「甲州道中 相模原市」と記された比較的新しい道標が立っていました。

 その下り道に入ったのが10:29。

 杉林の下を茶色く柔らかい感触の細道が続いていきます。道筋両側には山吹が黄色い花を咲かせ、新緑の中に彩(いろどり)を添えています。

 「東海自然歩道 底沢バス停2.9km」の標示が現れたのが10:37。

 街道には枯葉が多くなり、歩むごとに靴底で枯葉を踏む音がします。山吹はあちこちに点在して咲き、道行く人を迎えるよう。

 やがて枯葉がなくなり、石混じりの道になってきますが、これがかつて石が敷いてあった(敷き詰めるというほどではない)甲州街道の名残ではないかと思われました。もちろん道の表面が雨でぬかるみ人馬が通ることでえぐれないようにするためです。 

 道筋に竹林が展開するようになったのはそれから10分ほど下ってからでしたが、まもなく再び杉林に。

 そこにまるで異物のように現れたのが幹が途中で3本ほどに分かれ、それぞれにこぶのようなものが出来た老木で、枝分かれした幹がその上でさらに多くの枝に分岐しています。

 明らかにまわりの杉の木とは樹齢が圧倒的に異なる老木で、まわりが杉林になるずっと前からここに存在して、通過する旅人を見続けてきた樹木であろうと思われました。

 樹齢は数百年はありそうです。

 ほかにももう一本同じ種類の木があり、それには「甲州古道 中峠」と書かれた古い標柱が立て掛けられていました。

 そこからすぐのところに「東海自然歩道 底沢バス停2.3km」の標示があって、さらに少し下ると高圧電線の鉄塔があり、そこでしばらく休憩。

 右手の斜面に山吹を見ながら下って行くと、やがて車の走行音が聞こえ始め、右手の若葉の奥に中央自動車の高架が見えて来ました。

 山道を下って舗装道路に出たのが11:05で、そこには「甲州道中 相模原市」の道標、「小仏峠1.8km 底沢バス停1.7km 相模湖駅3.7km 東海自然歩道」の道標、そして「東海自然歩道」の道筋が詳細に記された案内板がありました。

 ここが「小仏峠登山口」であり、そこからの旧街道はそこからやや下ったところで左ではなく右へと曲がります。

 その地点には「小仏方面 千木良方面 明王峠相模湖駅方面」と記された案内標示があり、左に行けば千木良方面、右に行けば相模湖駅方面で、この右へ行く道が旧甲州街道。

 さらにそばの案内マップを見てみると、その旧街道は美女谷温泉の手前で左手に大きくカーブして沢に沿って南下していきます。

 つまり沢の上流で旧街道は沢を渡り、沢を左手に見ながら旧街道は下って行くことになります。

 かつて美女谷温泉の脇から小仏峠へと登って行った道はその案内マップにはなく、おそらく村人たちの生活道であったのでしょう。

 この案内マップの点線表示があることにより、かつての旧街道の道筋を知ることができました。

 こういう案内マップは、道歩きをする者にとってはありがたいものです。

 歩き出した道は舗装道路ですが、もちろんかつては先ほど歩いたような山道が、沢(底沢)に沿って続いていたはずです。

 中央自動車の底沢をまたぐ高架橋を見上げて潜ったのが11:16。

 道端に「照手姫ものがたり」の案内板と例のバス停までの距離を示す標示、それと「甲州古道 底沢 美女谷」と記され、赤い矢印で小仏峠登山口への分岐点(現在地)を示す真新しい看板が現れたのが11:19。

 やはり旧甲州街道小仏峠への入口へのルートは分かりにくいものであったのです。

 

 続く

 

 



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