鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

北前船を追う-松前と江差 続編その14

2017-07-03 06:38:15 | Weblog

 

 先ほど上った露出した岩盤の階段を下り、「かもめ遊歩道」の橋に入る手前、左手(江差町側)に延びるコンクリートの突堤を歩いて鷗島を眺めてみました。

 ここから北前船の碇泊地を確かめてから「かもめ遊歩道」に戻り、そこで「北前船の係船跡」の案内板を見ました。

 それによれば、近代的な港が整備されるまで鷗島が江差の港であり、江差にやって来た北前船は鷗島の周囲に立てた木杭に綱を渡し船を係船したとあり、鷗島は海側からの風を防ぐ自然の防波壁であったとも記してありました。

 このような巨大な「自然の防波壁」は松前にはなかったもの。

 その案内板には古写真が掲載されており、鷗島の砂浜に一人の男が立ち、その背後に瓶子岩(へいしいわ)、その瓶子岩の右奥の海上に帆柱を立てた北前船が密集しています。左端に見えるのは鷗島の北端部と人を数人乗せた小船の一部。

 岩浜に突き出ている棒杭を撮影した後、瓶子岩を眺めながら「かもめ島遊歩道」の橋を渡りきって砂浜に出て、先ほどの古写真がどのあたりから撮影されたのか、その位置を確認して写真を撮りました。

 鷗島の案内マップがあるところに戻ると、年輩のご夫婦から声を掛けられました。

 鷗島の遊歩道について聞かれたので説明したところ、函館に今朝、フェリーからキャンピングカーで上陸して江差に到着したところだとのこと。

 九州からキャンピングカーで北海道までやって来たということなので、「九州のどちらですか」とお聞きすると「熊本」だとのこと。

 熊本には中江兆民の関係で訪れたことがあるので、「熊本のどちらから」とお聞きすると私が訪れた熊本県玉名市のみかん農家の方でした。

 夏目漱石の「草枕交流館」のあるあたりであり、みかん畑と有明海を隔てて雲仙普賢岳の威容が目の前に広がる風景を思い出しました。

 キャンピングカーでご夫婦で寝泊まりしながらフェリーで本州から函館に上陸し、まず江差へと来られたというわけです。悠々自適のご夫婦によるキャンピングカー旅行。

 私はそこから車に乗り、江差町を離れて木古内駅へと向かい、9:00前に木古内駅に到着してレンタカーを返却しました。

 

 続く(次回がようやく最終回)

 

〇参考文献

・『北前船 寄港地と交易の物語』(無明舎出版)

 



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