鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.5月「吉原宿・三四軒屋浜」取材旅行 その1

2008-05-06 04:17:10 | Weblog
 自宅前を未明に出発し、東名の渋滞に足柄SAあたりから巻きこまれ、予定を変更して沼津ICで下り、国道1号線(まったく空いている)を経由して「ジャトコ社宅前」バス停近くの工場脇の空き地に到着したのは7:00少し前。

 そこから旧東海道に出て、吉原本町に向かって歩き始めました。7:08に「ジャトコ社宅前」を通過。前回はここから沼津駅行きのバスに乗り、帰途に就いたのです。

 しばらく進むと、右手に「平家越の碑」というのがありました。碑文によると、治承4年(1180年)10月20日(旧暦)、あの有名な「富士川の合戦」が行なわれたのが、この辺りであったという。水鳥がいっせいに羽ばたいたのに驚いて、平家軍が遁走したという場面です。幅の狭い川に「平家越橋」(富士市吉原一丁目)が架かっていますが、当時はこの付近は富士川の葦(よし)などの繁る広大な川原であったのでしょう。富士川の川筋は、現在のそれとは大きく異なっていたことになります。

 右手に依田原四丁目公民館を見てしばらく行くと、同じく右手に「東木戸跡」の案内板がありました。これが東見付(江戸見付)で、吉原宿の東側の出入り口になる。ここから西が吉原宿。左手に岳南鉄道の「吉原本町駅」があり、その駅の左手を入ると岳南商店街があり、「吉原宿 身代わり地蔵さん」という案内板がありました。この案内板を読むと、江戸時代、吉原宿東入口付近、すなわち東見付付近には、飢饉に備えての米蔵があったらしい。地蔵のあるお寺は、陽徳寺。右手に鐘楼がありました。

 岳南鉄道は、「赤がえるの岳南鉄道」として親しまれているらしい。赤い色の小さな1両編成の車両の顔が、かえるに似ているからでしょうか。

 その岳南鉄道の踏み切りを越えた左側、東京電力のビルの下に「見よう歩こう富士市の東海道」という案内マップがありました。これを見ると、東海道は吉原中央駅の手前で左折しています。「吉原宿と東海道のうつりかわり」についても説明があり、また吉原宿の本陣・脇本陣・問屋場などの位置が記された地図もありました。それぞれが現在のどこにあったのかが、これによってよくわかる。たとえば下本陣は、長谷川八郎兵衛で現在の近藤薬局のところにあった、というふうに。加宿問屋場を過ぎると「道標」(東海道大宮街道分岐点)があったことも。「大宮」というのは、現在の富士宮のこと。大宮の富士山本宮浅間(せんげん)神社(現在の富士山本宮浅間大社)へ行く道への分岐点ということになる。これは江戸時代、富士登山を目指す人々(「道者」〔どうじゃ〕と呼んだ)が、大宮の浅間神社を参詣した後、富士山の登山口である村山へ向かった道でもある。

 こういうマップはとてもありがたい。

 「吉原二丁目」バス停を過ぎると、左手に「明治天皇御休所」の碑。ここは吉原高砂館跡であり、明治11年(1878年)11月6日に、明治天皇がここ「高砂館」で休息したらしい。

 「吉原本町」バス停の左手に、「創業参百年 御旅館鯛屋與三郎」という看板が掛かった旅館(ビジネス旅館)があり、玄関先に「次郎長 鉄舟の常宿」と立て札がある。「次郎長」とは「清水の次郎長」であり、「鉄舟」とは「山岡鉄舟」のことであるのだろう。「創業参百年」というのがすごい。

 やや進んだ左手の「静岡銀行吉原支店」前には、東海道400年記念ということで再建さた「東海道・吉原宿」の案内板がありました。それによれば、吉原宿(「中吉原宿」)は、延宝8年(1680年)8月に大津波による大きな被害を受けたため、天和2年(1682年)に「所替え」をして現在の場所に新しい吉原宿が生まれました。

 東の木戸は、旧日産自動車の西門の辺り、西の木戸は小潤井川の四間橋。

 宿場の長さは約11町(約1200m)。奥行きは平均30間(約54.6m)。人家は290軒。再建のための材木は、富士山の風損木を利用したという。本陣が2軒、脇本陣は4軒、旅籠は100軒を超えました。

 大宮(富士宮)までは、ここから三里(約12キロ)。

 「吉原中央駅」というバスのターミナル駅に着いたのが7:59。この手前を左折するのが旧東海道。この駅の前(北側)を、右手に斜めに西へ進んでいく道が大宮(富士宮)に至る道(「大宮街道」)。

 このターミナル駅の4番乗り場が、沼津方面へのバスが出るところ。時刻表を見ると、8:20に東田子浦駅行きがある。前回、「ジャトコ社宅前」から沼津駅行きのバスに乗りましたが、そのバスの出発点はここだったのです。

 8:20にターミナル駅を出発したバスは、「ジャトコ社宅前」に8:25に停車。バスから降りると、なんと雨が降っていました。


 続く


○参考文献
・『ヘダ号の建造』(戸田村教育委員会)


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