山寺さんが強調されるのは、道祖神祭礼が青年層によって始められ主体的に担われた娯楽(レクリエーション)の場であったということです。
「もともと、道祖神祭礼は、信仰よりもお祭り、即ち娯楽であった。」
「道祖神祭礼の行事や飾りは、青年層の人々の考案である。」
「道祖神は甲斐国に於ては…青年層が中心となって企画し運営するレクリエーションを主体とする祭であり、その祭の祭神として作り出された神である。」
そして道祖神祭礼の基本は「新婚家庭を祝う行事」であるということです。
このことは元禄元年の甲府城代による道祖神祭礼の禁令にうかがわれます、
それには道祖神祭礼の内容として、「おかたうち」や「水あびせ」が出てきます。
「おかたうち」とは何か。
『富士吉田市史 民俗編』によると、上吉田では道祖神祭の晩、神々に扮した子供らが家々を回って御祝儀をもらい歩くが、それを「オカタブチ」とか「オカタブチコミ」と言ったという。
「オオカタぶてや オオカタぶてや オオカタ出せや ガンガラガンのガン」
「ダーシャレ ダーシャレ オカタぶてや オカタオカタずろう」
と道祖神らに扮した子供らがはやしたてる。
この「オオカタ」「オカタ」とは「新婦」のことであり、「オオカタ出せや」とは「新婦を出せ」ということであり、「オオカタぶて」とは「新婦をたたく」ということ。
「おかたうち」は「オカタブチ」と同義であり、「新婦をたたく」ということになります。
ではどこを叩くかというと、『富士吉田市史』に「以前は丈夫な子を生むようにとオカタ(新妻)の尻を藁ツトでたたいた」とあり、新婦(新妻)のお尻を叩いたようです。
その際に新婚夫婦の家は「御祝儀」を出すのですが、その額が少なければ道祖神様に伺いをした上で(「道祖神様はお気に召しませぬとのことですからもっとあげてもらいたい」)「お直しなんしょ」と言ってより多くの額を要求し、その額に道祖神様が満足すれば「ご馳走(っそ)さんよ~」と言ってその家を立ち去るのだという。
上吉田では、1月14日に新婚夫婦の家を回り、15日には厄年の人のいる家を回り、16日は「オケイコイワイ(御蚕祝)」と言って養蚕の豊作や絹織物の繁盛を祈って各家を回ったという。
まずは新婚家庭を回り、丈夫な子を新婦が産むようにと新婦の尻を叩いたのです。
それが「おかたうち」であり「オカタブチ」であったのです。
御祝儀の額が少なければ無理難題を言い、「水かけ」と言って水をかけることもあったし、家の中のものをこわしたりすることもあったようです。
『伊勢原市の民俗─成瀬地区─』によれば、ダンゴヤキの日、子供たちが新婚の家へおしかけて若夫婦の尻を叩くという行事があり、それを「ヨメノシリタタキ」と言ったという。
「ツリダイ」に男女の性器を木でかたどったもの一対を載せ、若夫婦を座敷に座らせて二人の前に「ツリダイ」を置き、「ここから一生ださねえよ」と口々にはやしたてながら藁で作った棒で若夫婦の尻を3回ずつ叩いたとのこと。
伊勢原は相模国(神奈川県)ですが、ここでも「おかたうち」「オカタブチ」と同様なことが行われていたことがわかります。
ここでは「ツリダイ」に男女の性器を木でかたどったものを載せて、その「ツリダイ」を若夫婦の前に置いたり、尻を叩くのは新婦だけでなく新夫の方も叩いていることが注目されます。
元禄元年の甲府城代による道祖神祭礼禁令で問題になったのは、道祖神祭礼における強引な「御祝儀」集めにありました。
「御祝儀」の額が少なければ「水かけ」などの乱暴を振る舞う。
乱暴されてはたまらないから「御祝儀」が弾む。
場合によっては「御祝儀」が多額なものに跳ね上がって行く。
「道祖神様はお気にめしませぬ」と言われれば、なかなか断ることもできない。
では、そのようにして道祖神祭礼において新婚家庭や厄年の人のある家々、農業や商売を営む各家々を回って集めた多額の「御祝儀」は、何に使われたのでしょうか。
続く
※写真は山梨市差出磯近くの丸石型(単体)道祖神
〇参考文献
・『甲斐の道祖神考』山寺勉
・『甲斐の石造物探訪』山寺勉
・『富士吉田市史 民俗編 第2巻』(富士吉田市)
・『伊勢原の民俗─成瀬地区─』(伊勢原市)
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