鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013年・夏の取材旅行「水沢~気仙沼~宮古」  その13

2013-09-22 05:47:59 | Weblog

 陸前高田市の市立図書館跡近くを出発したのが7:55頃。

 そこから通岡(かよおか)峠へと入り、途中で「三陸自動車道」に入ってしまったために大船渡市街へは下りることなしに「道の駅 さんりく」まで進んでしまいました。

 「道の駅 さんりく」に到着したのが8:43。

 そこでしばらく休憩した後、海岸へと走って行ったところ、左手にワインレッドの壁色をした役場のような鉄筋コンクリート3階建ての立派な建物がありましたが、1、2階とも窓ガラスも窓枠も無くなっていました。3階部分に辛うじて窓ガラスが見えます。

 玄関口も黒いがらんどうになっています。

 車を停めて近寄ってみると、そこには「三陸町中央公民館」と刻まれた石碑がありました。

 広い駐車場には車は1台も停まっておらず、それに沿った道路へと出てみると、そこには「岩手県交通」のバス停があり、「三陸支所前」と記されていました。

 つまりこの建物は大船渡市役所の三陸支所であり、中央公民館の建物でもあったのです。

 道路の向こう側には人家はなく、「NPO法人 リグリーン ひつじ牧場出入口」と記された看板と、「寄ってがっせん 越喜来へ 皆のふるさと」と記された看板が立っており、その向こうに海(湾)が見えました。

 「越喜来」は「おきらい」と読む。

 もう一度、三陸支所の建物に近寄って、中を覗いてみると、がらんどうになった1階の向こう側に垣根が見え、その垣根の向こうにベージュ色の奥の建物が見えました。

 そして天井板はなくなっていて、そこから配線や鉄骨や照明灯などが剥き出しになっています。

 玄関口から見える、かつては美しかったであろう広いロビーも、正面やや上に掲げられた大きな絵が、ところどころが剥げ落ちながら残っているばかりです。

 玄関口に、放置された車椅子が1台その後ろ姿を見せ、また青銅像が2体、転がっています。

 ロビーの天井も、配線や配管が剥き出しになっている状態。

 半ば開いている壁の配電盤の左側の時計は、15時23分で停まっていました。

 つまり、この大船渡市越喜来(おきらい)に巨大津波が襲来したのは15時23分であり、その大津波は海岸にある人家を押し流し、三陸支所の建物の1階ばかりか2階部分にまで達する高さで、支所の建物を突き抜けていったことになります。

 建物の前には、「銀河連邦サンリク共和国建国記念 タイムカプセル 50年後の未来に捧ぐ 1987 10・31」と刻まれた石碑が、表面を空に向けた状態で設置されていました。

 その三陸支所近くを9:00過ぎに出発した後、しばらく半島を海岸沿いに走ってから道を引き返して国道45号線に入り、羅生峠や鍬台峠のトンネルを抜けて、三陸鉄道南リアス線の唐丹(とうに)駅の復旧工事現場横に差し掛かったのが9:39でした。

 

 続く

 

〇参考文献

・『毎日新聞 2013年9月22日〔日〕 朝刊』

・『三陸海岸大津波』吉村昭(文春文庫/文藝春秋)



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