鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-神島から佐久島まで-その2

2015-04-26 06:05:38 | Weblog

 「一色さかな広場」の広い駐車場に到着したのが7:00少し前。

 早速、隣接するまだ新しい「佐久島行船乗場」に足を向け、「一色港」発の「佐久島行き」連絡船の時刻を確認しました。

 始発は「6:30」で出たばかり。」

 次が「7:40」で、これに乗ることにしましたが、あと40分以上もあるので、往復の乗船切符(1640円)を自動販売機で購入してから「さかな広場」を見学することにしました。

 また乗船場には「佐久島体験マップ」というパンフレット(観光マップも兼ねており、大変見やすいもの)が置いてあり、それをもらって携行することにしました。

 「一色さかな広場」では、ちょうど朝市が開かれている時間帯で、魚貝類を中心に野菜や果物までさまざまなものが売られており、車でやってきた近辺の人たちで早朝だというのにたいへん賑わっていました。

 売られている魚貝類を見ていくと、大あさり(佐久島産・幡豆産)・白ミル・水ミル貝・赤貝・サザエ・ウンネなど貝類が多く、このあたりではあさりを中心とする貝類が豊富に採れることがわかります。

 もちろん海老や魚も多種多様なものが並べられています。

 貝類も海老類も容器に、一盛り「2500円」とか「2000円」、「500円」などといった具合に売られています。

 「佐久島産 大 2500」と表示されている容器にはざっと50個ほどの「大あさり」が入っていて、一個あたり50円ほどという勘定になり、これはかなり安いのでしょう。

 「島アサリ」(佐久島産のアサリ)は3月~5月がシーズンであるといい、今がまさにシーズン真っ盛り。

 「さかな市場」のある倉庫のような建物の側面には、「三河一色 さかな村 一色直販所小売組合」と大きく記されていました。

 連絡船「第三さちかぜ」が一色港を出港したのは定刻の7:40。

 一色港を出た後は、かなりのスピードでまっしぐらに、波静かな三河湾を佐久島へと向かって進んで行きました。

 佐久島の西港に到着したのは8:00少し前。一色港からは15分ちょっと。佐久島は神島とは異なって島全体は平坦であり、神島の灯明山(とうめやま)のような高い山はありません。

 西港渡船場に上陸すると「佐久島お散歩案内図」があって、現在地と島全体の地理を確認。

 現在地のやや東に集落があり、「崇運寺」や「弁天サロン」があります。

 そこから茶色く塗られたルートをたどっていくと、「大浦」に面した「小・中学校」や「派出所」、「大浦海水浴場」などがあり、さらに東へ進むとふたたび集落があり、「東港渡船場」や「船頭重吉の碑」、「八剣神社・阿弥陀寺」やなんと「富士山」というのがあります。

 茶色の、西港と東港を結ぶメインルート(ハイキングコース)以外に、島を一周する水色や緑色のハイキングコースもあって、水色のコースは島北側の「外浦」に沿って走っていることもわかります。

 南側(伊勢湾側)の内部へと入り込んだ入り江が「大浦」であり、その「大浦」を中にして島は「西」と「東」に分かれていることがわかります。

 「一色渡船場」でもらった「佐久島体験マップ」は、この「佐久島お散歩案内図」よりもっと細かく記されており、アート作品や民宿・旅館、食事処・喫茶なども、色や番号で分かるようになっています。

 そのパンフレットによると、佐久島は愛知県に三つある有人島の中で最大の島であり、面積は181ヘクタール(東京ディズニーランドの約三倍)で、海岸線の総延長は約11Kmであるとのこと。

 海岸線の総延長は神島の約3倍ということになります。

 また佐久島の人々は、古くから島の東西ふたつの集落に分かれて暮らしており、島で「西」と言えば「西集落」のことを指すとのこと。

 直線距離にして1km足らずしか離れていない東西集落ですが、東は「筒井姓」、西には「高橋、藤井姓」が圧倒的に多いなど、異なる特徴があるという。

 天保4年(1833年)の4月(陰暦)にこの佐久島を訪れた渡辺崋山一行は、この島のどこに立ち寄ったのか、そしてどういう情報を集めたのか。

 『参海雑志』のスケッチをコピーしたものを、クリアファイルに入れて携えてきたので、そのスケッチが佐久島のどこで描かれたものかを探るべく、島全体を歩いてみることにしました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)

・「佐久島体験マップ」



最新の画像もっと見る

コメントを投稿