鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-神島から佐久島まで-その1

2015-04-24 05:59:26 | Weblog

 崋山がよじ登って日の出を眺めたと思われる、波打ち際の白い巨岩を確認した後、定期船の待合室へと戻って鳥羽へと向かう船を待ちました。

 11:35に船は出港し、12:30前に鳥羽佐田浜の鳥羽マリンターミナルに入港。

 鳥羽駅の駅ビルではちょうど三島由紀夫の『潮騒』展をやっており、会場には多数のパネルが掲示されていました。

 その1枚に漁船を写した写真パネルがあり、その船は神島の「第八 通一丸」といい、沖縄の運天(うんてん)港で、昭和27年の秋、一等航海士寺田和弥さんによって浮標に繋船された船であるとのこと。

 この場面は、『潮騒』の中に、新治が浮標に繋船するという形で登場しており、実際にあった話を三島が小説中に盛り込んだものと言われている、という。

 寺田和弥さんは、三島が神島滞在中に下宿していた寺田家の長男であり、初江のモデルといわれる寺田こまつさんの夫。

 三島は滞在中にこの話を聞いて、小説のラストに使ったと言われているとありました。

 この「第八 通一丸」は185トン。

 昭和15年(1940年)に長崎港において前田太三郎他数名によって建造されたもので、写真は進水式の模様を撮影したもの。

 第2次世界大戦で輸送船として徴用され、奇跡的に帰還。昭和27年当時の乗組員は以下の通りであったという。

 船主      小久保健蔵

 船長      小久保茂二

 機関長     国分 利男

 一等航海士  寺田和弥(24歳)

 炊(飯炊き)  小久保佚生(16歳)

 他船員     若干名

 「船主」が「小久保」であり、「船長」も「小久保」。

 この「小久保」家は、かつて崋山が神島を訪ねた時、崋山一行を泊めあたたかくもてなした「島長」「小久保又左衛門」の一族ないし縁者である可能性が高い。

 昭和になっても、「小久保」家は「船主」であり続けたわけですが、造船を長崎で行っているというのが面白い。

 また神島から沖縄「運天港」に出掛けているというのも、興味深く思われました。

 「鳥羽駅西駐車場」に停めてある車へと戻り、それから鳥羽市立図書館へと向かって調べ物をした後、その夜は、「三河一色」の「さかな広場」(これに隣接して佐久島行の船乗り場がある)に向かう途中で一泊しました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)

 



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