鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

ウォーキングの効用  1年間を振り返ってみて

2007-05-12 17:36:58 | Weblog
 運動不足を補うためにウォーキングをするようになったのは、ずいぶん前のことです。通勤途上に相模川があり、天気のよい日は、その川べりをまわりの景色を楽しみながら歩くようになったのは、今から8年ほど前。時には、車の荷室に積んだマウンテン・バイクでサイクリングをしたことも。しかし、時間はせいぜい30分ほどで、時間に迫られたものでしたし、週に数回という程度のものでした。

 2002年の5月に、大きく体調を崩し、入院生活や療養生活を経験することに。しかも右足のアキレス腱を切断するという思いがけぬ事故も。幸いに職場に復帰することが出来ましたが、泊を伴う勤務は出来ない健康状態が続きました。アルコールはダメ、カフェイン系の飲み物(緑茶・紅茶・コーヒー・ウーロン茶など)もダメ。

 さらに運動不足により体重が86キロを超え、内臓脂肪と皮下脂肪が増えてメタボリック症候群に。

 そこで、これはなんとかしなければ、と思い立って、再びウォーキングを始めたわけです。時間は仕事を終えてから。帰宅途中にある「荻野運動公園」の競技場の周囲や、付属する「野草園」の近くの散歩道を歩き出したのです。

 しかし、帰宅途中ということもあり、また仕事の疲れも出て、それほど長くは歩けない。走っている人に刺激をうけて、ジョギングをしたこともありますが、一周600メートルほど走ると、もうゼイゼイの状態で、体力・脚力が弱っていることを痛感する始末。また「野草園」に至る坂道を、頑張って駆け上がると、たちまち膝が痛くなりました。

 以前、このブログで触れたことがありますが、昨年3月の「露研」(露天風呂をこよなく愛する仲間たちの研究会)の恒例の忘年度旅行に出かける際、小田急町田駅の小田急百貨店の久美堂でたまたま手にしたのが、医師である泉嗣彦(つぐひと)さんの『医師がすすめるウオーキング』(集英社新書)。「歩くとなぜ病気が治るのか」「今日から始める〈ライフスタイル・ウオーキング〉」「〈ライフスタイル・ウオーキング〉で変わる生活」などの目次を見て、さっそく購入。それを持って、仲間と落ち合い、宿泊先である熱海に向かったのです。ウオーキングを本格的に始めよう、という気持ちが、その時の私にあったということでしょう。

 宿泊地に着いて、「露研」のメンバーの1人であるT・Aさん(もう18年以上の付き合いになります)から、勤務先から橋本駅まで、50分ほどのウオーキングを継続しているよ、との話がありました。始めたきっかけは、医者から、「Aさん、このままいくと、こうなっちゃうよ」と、目の前で、手首をヒラヒラと振るような仕種を見せられたこと、にあります。つまり、脳梗塞か脳溢血が原因で、半身不随ないし身体の一部がマヒするよ、と宣告されたのです。

 これはAさんにとって、相当に効いたようです。タバコとアルコールをやめ、通勤帰りのウオーキングを始めることになったのです。帰りに電車に乗ることをやめ、橋本駅までの道筋を歩くことにしたのです。そして、土・日の天気のよい日には、近くの多摩川の土手道を、奥様といっしょにサイクリングをするようになったのです。

 「べえちゃん(私のこと)、いいよー」

 その一言が、ウオーキングを本格的に始めようと思っていた私の背中をぐいと押しました。

 「露研」の旅から帰ってきて、新年度が始まってから、朝のウォーキングが始まりました。相模川の橋を渡って、川べりの小さな駐車場に車を停め、そこから散策路を、相模川や丹沢山系を眺めながら歩くのです。最初は30分ほどだったと思います。土手に咲く桜や芝桜が美しく、川向こうに広がる景色とともに爽快感を覚えました。

 相模川に架かる橋を渡るのに、渋滞のために時間がかかるので、家を早く出ればすーっと橋を渡れて、ウォーキングの時間も長くとれるはず、と思い至って、妻に相談し、早朝に家を出ることにしました。子どもが小さい時は、朝、いっしょに朝食をとっていましたが、上の子が高校に通うようになると、いっしょに食べるということもなくなり、今までの食事時間にこだわらなくてもよいことに気付いたのです。

 ということで、朝は、6:00起きになりました。

 準備をして、朝飯を済ませて、6:30過ぎには家を出ます。相模川の橋をストレスなくスィーと渡って、駐車場に到着するのが7:10。それから、早朝のウォーキングを開始。歩行時間は、50分程度になりました。

 その歩行時間を、80分に延長したのがゴールデンウィーク明けの5月9日(だったと思う)。ちょうどその1年後に、泊を伴う勤務が控えていて、それに参加することが目的でした(当時、医者の診断により、泊を伴う勤務が制限されていたため)。

 80という数字に特に意味はないのですが、8=八 は末広がりであり、縁起を担ぎました。

 80分歩くためには、朝6:00起きでは間に合わない。起床時間を30分早めて5:30にしました。6:00過ぎに家を出て、相模川の駐車場に着くのが6:35。そこから並木の茂る散策路を片道40分歩いて、戻る。7:55に駐車場で車に乗り、そこから勤務先近くの駐車場へ。

 この早朝80分のウォーキングは、それから丸1年経った現在も、変わりはありません。家を出る時間が、現在は5:55頃になり、ウォーキングを終えて駐車場を出発するのが7:50と少し早くなったのが違ったところでしょうか。

 散策路は、四季折々の変化があり、歩くのにはもってこいのところ。昨年の6月に新しい携帯電話に変えたところカメラ機能がついていて(その機能のない方が珍しいと言われました)、そのカメラで、川べりの景色や、丹沢山系の姿、道筋に咲いている草花、軒先に咲いている手入れがなされた花々を撮る楽しみを覚えました。写真を撮る、ということにより、周囲の美しいものへの関心が生まれ、季節の変化を感じ取るようになりました。

 今までウォーキングをしていても見えていなかったものが見えてくるようになりました。関心がなければ、見ているようで見ていないのです。見ようとすれば、見えてくる。車に関心がなければ、車はみんな同じように見え、名前も覚えない(覚えようとも思わない)のといっしょです。

 散策路で撮った写真の数は、おそらく500枚ほどになっているのでは。道筋に咲いている草花だけでも覚えようと思ったことがありますが、なかなか整理をして調べるという時間が持てず、ハードディスクに放り込んでそのままになっています。

 ウォーキング時間(時間帯)は変わりませんが、起床時間は大きく変化しました。現在の起床時間は3:00過ぎ。それに合わせて就寝時間は遅くとも10:00(時々、過ぎてしまうこともありますが)。9:00過ぎには蒲団に入って、寝そべって本を読みます。

 睡眠時間は少なくとも5時間はとるようにしています。

 さて、ウォーキングの効用です。

 昨年5月9日に、本格的にウォーキング(早朝80分)を始めて、最初1ヶ月ほどは体重がほとんど減りませんでした。しかし1ヶ月を過ぎた頃から体重がどんどん減り始め(夕食は宅配のカロリー制限食を摂りました)、7月の下旬にはすでに6キロ減量。健康診断(精密検査)の結果は、すべて前回を上回る(つまりいい結果が出る)という劇的な変化がありました。この結果が、ウォーキングにはずみをつけました。

 夏は、汗が噴き出ました。秋から冬にかけて、体重はなかなか減らなくなりました。あと目標まで3キロ(目標は10キロ減)というところでなかなか減らない。

 ある時、試みにちょっと後ろ向きで歩いていたところ、通りかかった中年の女性が、「後ろ向きで歩くといいよ」と声をかけてくれました。何がいいのか、聞き忘れてしまったのですが、「何がいいのかたしかめてみよう」と、翌日から、ウォーキングに後ろ向き歩きを積極的に取り入れてみました。

 すると、

 汗が出るのです。熱い夏と残暑が終わって、それまで汗があまり出なかったのですが、後ろ向きで歩くと、なぜか汗が噴き出てくる。

 違う筋肉を動かすのがいいのだと、勝手に判断して、ならば、横向きに歩くのもいいはずだと考え、前向きの普通のウォーキングに、後ろ向きと横向きのウォーキングを織り交ぜるようにしました。

 しかし、しばらくそれを継続すると、また汗が出なくなってしまったのです。筋肉が新しい変化に慣れてしまったのでしょうか。

 ということで、今度はジョギングを取り入れることにすると、テレテレと200歩走って200歩歩き、また走って、歩き、という繰り返しながらも、汗が噴き出てくるようになり、ふたたび体重が減り始めました。

 そしてテレテレ走りを継続していくと、途中で歩かずに、その距離がどんどん伸びていき、最近は2キロほど、多いときは4キロ近く走れるようになりました。

 去年、荻野運動公園では、一周600メートル走るだけでゼイゼイ言っていたのが、ゼイゼイ言わなくなったのです。ウォーキングを続けることによって、知らず知らず心肺能力が高まり、足腰の筋肉がついていたのです。

 昨年の12月の暮れ、愛知県の田原市に取材旅行に出かけた時に、伊良湖岬の恋路ヶ浜で、水平線上に昇るご来光を見て感激し、それが正月元旦の宮ヶ瀬湖畔園地での「初日の出」観賞につながりました。年末、宮ヶ瀬の「水の郷」を歩いていると、ある年配のおじさんから、「富士山には、62歳の時から12回登っているよ」との話を聞いて発奮。正月元旦の朝、テレビで、「ご来光」を見るためにライトを点して富士山を登っていく人たちの姿を見て、「生きているうちに、一度は富士山に登って、ご来光を眺めてみたい」という気持ちが湧き起こってきて、それを今年の目標の一つにしました。

 富士山に登るためには、水平方向のウォーキングだけではなく、縦方向(高低差のある)ウォーキングをする必要があると考え、散策路にある107段ある階段の昇り降りを加えるようになり、また、土・日の天気のよい日には、自宅近辺の山を歩くようになりました。

 同じ山を、期間をおいて登ると、最初は頂上への途中でゼイゼイ言っていたのが、しばらくたって登ると、ゼイゼイ言わないですっと登れる。これは、テレテレ走りで最長4キロ走れることになったこととともに、大きな自信につながりました。

 今年のゴールデンウィークに、丹沢三ツ峰縦走を達成できたのは、その結果だったのです。

 ウォーキングの効用は、そういった身体的なものにとどまらない。

 ウォーキング中に頭の中に湧き起こってくる想念の中に、未来につながるヒラメキがあるのです。私の場合、このブログを始めたのは、そのヒラメキによりました。ブログの記事の中に、中江兆民のことばかりか、取材旅行の報告も組み込みたいと思ったのも、歩いていて頭に浮かんだことでした。取材旅行も、年2回の泊を伴うものと、月1回の日帰りのものにしよう、と計画。書きたい歴史小説の構想もどんどん広がりました。取材旅行や図書館通いを継続していく中で、歴史小説を書くこと、以外の構想も生まれました。

 死ぬまでの大まかな人生設計も、歩いていく中で組みあがりました。

 仕事においてメモを取るという習慣も定着しました。

 今まで必ずしも噛みあっていなかった歯車が、きっちりと噛み合って動き始めたという感じです。

 早朝、朝陽を浴び、川と山の景色を眺めながら、そして行き交う人と朝の挨拶をかわしながらの80分のウォーキングは、一日一日をリセットする効果を持ち、「日々に新たなり」の人生を送っていく基本となるものだと、私は考えています。

 先日5月9日より2泊3日で、泊を伴う勤務に参加することが出来、1年間頑張ってきた成果だと、職場から帰って来る車中で、ベートーベンの「バイオリンと管弦楽のためのロマンス」を聴きながら、充実した思いを味わいました。

 そして今日も、朝3:00に起床し、5:00から8:00過ぎまで、近くの仏果山と高取山に登ってきました。この1年間を無事故・無違反・無病息災で過ごせたことを感謝しながら。

 ウォーキングを本格的にやろうと思っていた私の背中を、前に押してくれたにT・Aさんの一言は、私の人生(生活習慣・将来設計)を大きく変える力を持っていたことになります。



☆ 以下、『医師がすすめるウオーキング』から抜粋。


・ウオーキングはやはり、生活習慣病予防の切り札になる運動といってよさそうです。

・活発に歩く(=動く)ようになると生活そのものが活性化するのです。こうした変化を私は「日常のウオーキング化」と呼ぶことにしました。

・動けば気分も晴れる、気分がいいと活発に動ける

・今では日常がウオーキング化するまで習慣化すれば、身体も心も健康になっていく、ということもわかってきました。大切なのは、身体を動かさない生活を少しでも変えること、そしてより多く歩くようになったら、それを続けることです。

・より多く歩き続けるために、歩くことを何か自分の好きなことと結び付ける工夫をすることも、それ自体生活を変える効果があります。

・身体と心の活性化は、歩くことで双方が影響し合いながら進んでいきます。

・〈ライフスタイル・ウオーキング〉を継続すると、歩くことが楽しみになり、日常の行動そのものも活発になって、行動範囲も広がるのです。その結果、人間ドック受診者の多くが生活習慣病を予防・改善することができました。身構えず、がんばらず、ちょっとした細切れの時間や余裕ができたときに、ぜひウオーキングを楽しんでください。…大切なのは継続する、ということです。


○参考文献

・『医師がすすめるウオーキング』泉嗣彦(集英社新書)


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