13:13に中宮八幡堂跡を出発して、趣きのある登山道を戻り、大淵林道に出ました。その林道を突っ切って、古道を下っていきます。ここからは初めて通る道で、このまましっかりと道をたどっていけば、10:00頃に道に迷った(ルートを外した)地点まで下りていけるに違いない。
ここからのルートについては、『富士山・村山古道を歩く』のP180のルート図が参考になりました。古いヒノキの植林地を抜け、日沢を横切って、「富士山麓山の村」の緑陰広場を突っ切って、観鳥小屋らしき立派なバンガロー風の建物を左に見て進むと、やがて吊り橋と汚水管にぶつかります。その吊り橋と汚水管を、体を折り曲げて潜り、しばらくすると吉原林道に出ました(13:53)。この林道を出たところで、その林道を突っ切ればあるはずの登山道が見えなくなりました。進退窮まったところで、ふたたび、畠堀さんの本の該当箇所を読んでみました。
そして、その地点から右手10mほどのところに、本に記されてある通り、「林班界標 210班/171班 静岡森林管理署」の標示を見つけました。その下に、下へと続く踏み跡がある。これが村山古道でした。前の道とややずれているから、昔のままの登山道ではないのかも知れません。そこを下ること20分ほど、トラックなどが疾走する広い舗装道路に出ました。そしてその出た地点から、道の向こう側左手方向に天照教の施設の駐車場らしきものが見え、また、その地点の右側からは、天照教の奥院へと続く雑草の繁った参道が上に向かって伸びています。
その地点から舗装道路を渡って、そこから続いているはずの登山道を探してみるものの、それらしきものは見当たらない。藪の中に入ってみましたが、針のついた鉄線が張ってあって、そこから先へは入れないようになっています。つまり、天照教の管理地(私有地)であるらしい。
ということで、仕方なく、その林道を西方向に進んでいったところ、すぐに「富士周遊道路へ三キロメートル」と書かれた、あの古い標柱にぶつかりました(14:26)。
この地点は、10:25に、西の方からやって来て、ぶつかったところ。ここから私は戻ってしまったのですが、戻らずにもう少しこの林道(富士山麓腺)を歩いていれば、村山古道の入り口を左手に見出したはずなのです。大きな判断の誤りでした。
ということは、10:25の時点までで、私はコースを大きく西寄りにそれてしまったことになる。しかし、天照教の入り口付近からこの地点まで、左手方向に入っていく登山道は見出せませんでした。
そこでしばらく進んで、左手に現れた林道に入り、さらにしばらくして左折(14:37)。比較的新しいキャタビラの轍(わだち)のある舗装されていないその林道を進みました。方向的には正しいはずで、この道を進んでいけば、登山道と交差するだろうと思いました。
突き当たって二股となったところを、右折(下へ行く道を選択)。しかし古い登山道らしきものは見当たらない。そこでかまわず道なりに林道を進むと、右手方向に古道らしきものがあったので、そこへ入りましたが、実はそこからまたまた迷走(歩?)してしまいました。迷走して林道を行きつ戻りつし、送電線の下を潜ったのが15:46。およそ1時間ほどの迷走でした。
この送電線は見覚えがある。ここで時刻を見て、村山古道には戻らず、そのまま林道を下っていくことにしました。そして国道469に出たのが、16:25。国道に出れば、道沿いに村山の集落はあるわけで、安心して、そこを左折しました。というのも、方角的に、村山よりかなり西へ来ているはずだと思ったからです。
しかし、その判断は、またしても大きな誤りで、実は村山とは反対方向へと進んでしまったのです。
気付いたのは30分ほど歩いてから。土地の人に出会って、「村山はどちらの方ですか」と聞いたら、私が歩いてきた方を指したのです。
「車だったらすぐだけどね」
「歩いたらどれぐらいですか」
「2、30分ほどかね」
「じゃ、歩いてみます」
ということで、少し雨模様で薄暗くなった道を戻りました。
この国道469は、富士宮と御殿場を結ぶ道路であるらしく、トラックや乗用車、またバイクなどがひっきりなしに、しかも猛スピードで走っていきます。歩いている人などは、一人もいない。
小雨の中を歩いていると、右手の森の中で、ガサゴソと音がする。フッと視線を向けると、なんと、一頭の鹿が私の方を見ていました。そして視線が合うと、飛ぶようにして左手から右手方向に走り去っていきました。富士山の山中で、私が初めて出会った大型動物でした。
17:27、富士市域から富士宮市域に入り、まもなく左手に村山の集落や村山浅間神社の杜(大スギの林立するところ)を見て、17:50に、停めてあった車にたどりつきました。
続く
○参考文献
・『富士山・村山古道を歩く』畠堀操八(風濤社)
ここからのルートについては、『富士山・村山古道を歩く』のP180のルート図が参考になりました。古いヒノキの植林地を抜け、日沢を横切って、「富士山麓山の村」の緑陰広場を突っ切って、観鳥小屋らしき立派なバンガロー風の建物を左に見て進むと、やがて吊り橋と汚水管にぶつかります。その吊り橋と汚水管を、体を折り曲げて潜り、しばらくすると吉原林道に出ました(13:53)。この林道を出たところで、その林道を突っ切ればあるはずの登山道が見えなくなりました。進退窮まったところで、ふたたび、畠堀さんの本の該当箇所を読んでみました。
そして、その地点から右手10mほどのところに、本に記されてある通り、「林班界標 210班/171班 静岡森林管理署」の標示を見つけました。その下に、下へと続く踏み跡がある。これが村山古道でした。前の道とややずれているから、昔のままの登山道ではないのかも知れません。そこを下ること20分ほど、トラックなどが疾走する広い舗装道路に出ました。そしてその出た地点から、道の向こう側左手方向に天照教の施設の駐車場らしきものが見え、また、その地点の右側からは、天照教の奥院へと続く雑草の繁った参道が上に向かって伸びています。
その地点から舗装道路を渡って、そこから続いているはずの登山道を探してみるものの、それらしきものは見当たらない。藪の中に入ってみましたが、針のついた鉄線が張ってあって、そこから先へは入れないようになっています。つまり、天照教の管理地(私有地)であるらしい。
ということで、仕方なく、その林道を西方向に進んでいったところ、すぐに「富士周遊道路へ三キロメートル」と書かれた、あの古い標柱にぶつかりました(14:26)。
この地点は、10:25に、西の方からやって来て、ぶつかったところ。ここから私は戻ってしまったのですが、戻らずにもう少しこの林道(富士山麓腺)を歩いていれば、村山古道の入り口を左手に見出したはずなのです。大きな判断の誤りでした。
ということは、10:25の時点までで、私はコースを大きく西寄りにそれてしまったことになる。しかし、天照教の入り口付近からこの地点まで、左手方向に入っていく登山道は見出せませんでした。
そこでしばらく進んで、左手に現れた林道に入り、さらにしばらくして左折(14:37)。比較的新しいキャタビラの轍(わだち)のある舗装されていないその林道を進みました。方向的には正しいはずで、この道を進んでいけば、登山道と交差するだろうと思いました。
突き当たって二股となったところを、右折(下へ行く道を選択)。しかし古い登山道らしきものは見当たらない。そこでかまわず道なりに林道を進むと、右手方向に古道らしきものがあったので、そこへ入りましたが、実はそこからまたまた迷走(歩?)してしまいました。迷走して林道を行きつ戻りつし、送電線の下を潜ったのが15:46。およそ1時間ほどの迷走でした。
この送電線は見覚えがある。ここで時刻を見て、村山古道には戻らず、そのまま林道を下っていくことにしました。そして国道469に出たのが、16:25。国道に出れば、道沿いに村山の集落はあるわけで、安心して、そこを左折しました。というのも、方角的に、村山よりかなり西へ来ているはずだと思ったからです。
しかし、その判断は、またしても大きな誤りで、実は村山とは反対方向へと進んでしまったのです。
気付いたのは30分ほど歩いてから。土地の人に出会って、「村山はどちらの方ですか」と聞いたら、私が歩いてきた方を指したのです。
「車だったらすぐだけどね」
「歩いたらどれぐらいですか」
「2、30分ほどかね」
「じゃ、歩いてみます」
ということで、少し雨模様で薄暗くなった道を戻りました。
この国道469は、富士宮と御殿場を結ぶ道路であるらしく、トラックや乗用車、またバイクなどがひっきりなしに、しかも猛スピードで走っていきます。歩いている人などは、一人もいない。
小雨の中を歩いていると、右手の森の中で、ガサゴソと音がする。フッと視線を向けると、なんと、一頭の鹿が私の方を見ていました。そして視線が合うと、飛ぶようにして左手から右手方向に走り去っていきました。富士山の山中で、私が初めて出会った大型動物でした。
17:27、富士市域から富士宮市域に入り、まもなく左手に村山の集落や村山浅間神社の杜(大スギの林立するところ)を見て、17:50に、停めてあった車にたどりつきました。
続く
○参考文献
・『富士山・村山古道を歩く』畠堀操八(風濤社)
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