鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.冬の取材旅行 「外川・松岸・波崎・高田・犬吠埼」 その2

2012-01-17 05:23:44 | Weblog
 利根川河口部に架かる「銚子大橋」を渡って右折。川沿いの道に出て車を走らせ、川岸に公園のようなところがあったので、その近くに車を停め、銚子方向を眺めてみました。

 対岸やや左手に飯沼観音の建物がやや高台に見えるから、崋山が「常陸波崎ヨリ銚子ヲ見ル」図を描いたのは、このあたりからだと思われました。

 しかし、やや左手上空からの朝日がまぶしく、あとでまた訪れることにして、次は松岸へと向かいました。

 松岸の川岸に出たのは9:05。川岸は災害復旧工事が行われているところであり、鉄板が敷かれたり、大きなコンクリートブロックが整然と置かれたりしていました。

 このあたりの川船上から、崋山は「松岸より銚子を見る図」を描いています。

 松岸からの絵も、また波崎からの絵も、パノラマ写真のように左右に視界が広がった奥行きのあるものであり、銚子の町並みを中心とする景観を全体的に捉えようとしたもので、銚子の町並みや岸辺のようすを細かく描いており、崋山の銚子の町に対する強い関心が示されています。

 現在、松岸から銚子を眺めた場合、途中に利根川に架かる「銚子大橋」があり、崋山の絵のようには銚子の町は見えません。

 銚子の町は、崋山滞在当時の文政年間においても、下総第一の人口を持つ町であり、関東地方においても、江戸・水戸に次ぐ人口を有していました。

 明治20年頃までは、千葉県第一の都市は銚子であったのです。

 明治7年(1874年)の人口は、飯沼・新生・興野(かつての荒野─鮎川)・今宮の4ヶ村で17,688名であり、これは関東地方では、東京・横浜・水戸に次ぐものでした。

 幕末には、本城村から松本村・今宮村・荒野村・新生村・飯沼村の飯貝根(いがいね)まで町屋が一里半(6km)ほど連続しており、崋山にとって、利根川河口部にこれだけの「大都市」が存在して、目の前に広がっているのは驚きであったに違いない。
 
 しかも川岸には、おびただしい数の漁船や荷船、そして帆を立てた大型の高瀬船が繋留されているのです。

 実際の銚子を望む景観は、2枚の絵のようには近接していません。

 崋山は、デジカメのズーム機能を働かせたように、かなり眺めた景観をクローズアップして描いています。

 どちらの絵にも「利根川高瀬船」の船溜りや飯沼観音本堂の巨大な屋根が描かれ、大体の描いた場所(位置)を推定することができます。

 特に利根川を舟で下って、松岸の手前から銚子の町並みが見えてきた時、それが川沿いに長々と左右に連なっている(湾曲して河口部の台地下にまで続いている)ことに、崋山は感嘆の声を発したかも知れない。

 そしてその左手のさらに左手には、「坂東太郎」の利根川が注ぎ込む大海原(太平洋)が広がっているはずなのです。

 大地震による液状化で損傷したことによる護岸工事が行われているその松岸から、何枚かの写真を撮影した後、銚子市高田というところへ向かいました。

 この高田というところは、かつて高田村と言い、ここに潮来の宮本茶村(尚一郎)と関係の深い宮内清右衛門家があり、その菩提寺にはそのいわれが記された石碑があるということを、越川さんから聞いていました。

 「千葉県東部図書館」(旭市)で閲覧した『銚子の歴史と伝説』(銚子市郷土史談会)によれば、最盛期には、銚子・芦崎・高田・野尻には計400隻も高瀬船(利根川高瀬船)があったといい、この高田村には「高田河岸」があって、利根川水運で栄えていたところだという。

 宮内清右衛門家は、高田村の名主でもあって、特に「十世」(10代目)の「宮内清右衛門正寿」は、村の発展に尽力した人であったらしい。

 この「高田」は、利根川堤防を松岸めざして歩いて行った時、そこから旧道(銚子道)へと入っていった際に通過した記憶があります。

 車を松岸からさらに西へと進ませ、駐車場所を見つけてそこに車を停め、そこから街道沿いに歩いていくと、左手に白い石鳥居があって神社がありました。公園のような社域にある「社殿」には「神明宮」と墨書された額が掛かっていました。

 そこからさらに少し歩くと、やはり左手に、「真言宗智山派」「延命山地蔵院」という門柱のあるお寺が現れました。

 この「地蔵院」が、宮内清右衛門家の菩提寺であり、もともとは宮内清右衛門の敷地であったところに宮内清右衛門家が造ったものであることは、前掲書で知っていました。

 門柱から続く石畳の参道の奥に、「地蔵院」と白く記された額が掛かる小ぶりのお堂が建っていました。


 続く



○参考文献
・「港町銚子の機能とその変容」舩杉力修・渡辺康代
・『定本渡辺崋山 第Ⅱ巻』(郷土出版社)
・『銚子の歴史と伝説』銚子市郷土史談会(秀英社)


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