鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

富士講の富士登山道を歩く その9

2011-08-19 06:24:59 | Weblog
 いったん舗装道路に出て、「→富士山山頂6.4km396分」の案内標示にぶつかったのが14:27。山道に入ってからふたたび舗装道路に出ますが、その舗装道路の先へはゲートがあって一般車は入れないようになっています。そこにも「←富士山山頂6.1km387分」の案内標示。

 しばらく進むと、「五合目 標高2,305m」と記された標柱と、「吉田口頂上→佐藤小屋スグ上 SATOGOYA」と記された看板がありました。

 その「佐藤小屋」の前を通り過ぎたのは14:36。ここには工事関係者のものと思われる車が何台か停まっており、吉田口登山道を利用する登山者が宿泊する山小屋というよりも、工事関係の人たちが泊まっているところのように見受けられました。

 横壁には「天地界中央 佐藤小屋」という看板が掛かっています。

 「富士スバルライン五合目P→」と記された案内標示のそばに、「小御岳道(こみたけみち)」と記された案内板が立っていました。

 それによると、中宮役場を過ぎてここに至ると、道は二手に分かれ、左へ登る道は山頂への登山道であり、まっすぐ西へ進む道は小御岳社への参道で、「小御岳道」「横吹(よこぶき)」と呼ばれ、かつてここには鳥居が建っており、小御岳社までの間に六基の鳥居があったという。

 小御岳社の建つ小御岳山は、現在富士スバルラインの終点となっているところ。

 かつてここは「木山」と「焼山」の境であり、遥拝所があって、頂上まで登山のできない者は、このあたりで富士山の頂上を拝んだとされている、といったことも記されています。

 私は、というと、富士スバルラインの駐車場の方へは向かわずに、左へ折れて登山道へと入っていきました(14:42)。

 ここで、登山道へと入っていく二人の男性に出会いました。一人は五十代と思われる中年の男性で、一人は三十代初め頃の青年。仕事上の上司と部下のようにも見受けられました。佐藤小屋を出発して、これから吉田口登山道に初めて取り掛かろうといった風情。ゆっくりと登山道を登っていきます。

 五合目の「富士スバルライン」駐車場からそれほど遠くはないようですが、こちらの登山道を利用する人たちはほとんどおらず、吉田口登山道を行くのは私と、先行する二人の男性だけ。

 吉田口六合目の「里見平・星観荘」の前を通過して、しばらくして現れたのが「五合五勺 経ヶ岳」の案内板。日蓮上人が富士登山をした時に、書写した「法華経」を埋納したところだという。日蓮上人も、吉田口登山道を利用して富士登山をしたということだろうか。

 途中、朽ち果てて屋根のつぶれた山小屋がありましたが、かつては五合目と六合目の間にも山小屋があったものと思われる。

 富士スバルライン五合目からの登山道と、吉田口登山道が合流する地点が、「富士山安全指導センター」のあるところであり、そこからの登山道は、コンクリートの擁壁で守られた幅広の整備された登山道となり、一気に登山者の姿が増えました。ほとんどが富士スバルラインを利用してやってきた登山者たちになる。

 ここへ出るまでに、休憩をとる二人連れと話を交わす機会がありましたが、私が今日は八合目あたりまで登って山小屋に泊まり、明朝、登頂するつもりだと言うと、五十代の男性が、「上吉田から登って八合目まで行くと、へばってしまって明日は登れなくなるから、七合目あたりの山小屋に泊まるのが無難だ」と助言をしてくれました。

 「泊まるところは予定しているのか」

 と聞かれたので、

 「いや、これから探すつもり」

 と答えると、

 「うちのばあさんが、上で山小屋をやっているから、よかったら泊まっていかないか」

 と、意外な成り行きになりました。

 「うちのばあさん、というのは奥様のことですか」

 と聞くと、

 「いや、俺のおふくろだ」

 とのこと。

 「もう80になる」

 80になって、今でも山小屋をやっているということになり、これは驚きでした。

 聞くと、3年ぶりでおふくろに会いに行くのだとのこと。行くとの連絡はしていないらしい。連れの若い男性は、富士登山は初めてで、これから七合目の山小屋まで登るという。若い男性の初めての富士登山の指導かたがた、七合目の山小屋へ3年ぶりで母親に会うべく登ろうとしている、ということになる。

 幼い頃から登山道はよく知っており、目をつぶっててでも登れるほど、登山道については熟知しているようです。

 お言葉に甘えて、「では、泊まらせてもらいます」と即答しました。

 3年ぶりに山小屋を経営する母親に会いに行く息子と、その連れ合いで初めて富士山に登るという青年との、まったく予期していなかった出会いで、しかもその山小屋に泊めてもらうことになり、それ以後安心して七合目まで登っていくことになりました。


 続く


○参考文献
・『富士山吉田口御師の住まいと暮らし─外川家住宅学術調査報告書─』(富士吉田市教育委員会)
・『富士浅間信仰』平野榮次編(雄山閣出版)「江戸富士講の房総への進出」沖本博


最新の画像もっと見る

コメントを投稿