鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

笛吹川流域の道祖神祭り その10

2018-02-16 07:41:25 | Weblog

 

 地元消防団の「第三分団第四部」の倉庫の脇を出発して窪平方面向かう途中、県道からそれて旧道に入ってみると進行方向右手に御山飾りが見えて来ました。

 カラフルな枝が何本も通りの方へ張り出して垂れ下がっています。

 車から下りて近寄ってみると、背後には白漆喰壁の立派な土蔵があり、その向こうには「越し屋根」のある民家がありました。

 垂れ下がる枝を支えるのはリングではなく一本の竹竿であるようであり、枝の根元は何重にも縄で支柱に固定されています。

 枝の数は7本ではなく10本以上もあります。

 竹竿で支えられているため、枝は通りの方へ幅細の暖簾(のれん)のように垂れて下がっているのです。

 お飾りの付いた上部の笹竹からも一本の枝が垂れています。

 その笹竹と枝を支える横棒(竹竿)との間に竹で作った飾りがありました。

 細竹2本を両端で縛って間を膨らませたものを交叉させたもの。

 X状になっている飾り。

 北原区のリサイクルセンターの広場にあった御山飾りの場合は赤い円盤でしたが、ここの場合はX状の竹の飾り。

 その御山飾りの通り隔てた向かい側に道祖神御仮屋がありました。

 御仮屋は杉葉で作られ、その上部から藁で作られ細縄で固く巻かれた「陽根」が突き出ています。

 先端にはみかんが付けてあって幣紙が垂れています。

 根元か藁が八の字に垂れ下がっています。

 杉葉の御仮屋の正面真ん中ではなく下に穴が開いていて、その穴の中に白い幣紙が見えます。

 「陽根」を横からみると根元は細く先になるにつれて太くなっています。

 御仮屋のバリエーションの豊かさをあらためて知りました。

 御仮屋の左側には馬頭観世音のような石造物、双体道祖神のようなものが入った石祠、二十三夜塔、六地蔵などの石造物が並んでいました。

 これらはもともとはそれぞれ別のところにあったものを、いつの頃かここにまとめたものであるでしょう。

 御仮屋の前には石段があり、その両側の石垣の上には石灯籠が立っています。

 この石垣上の空間の中心にあるのは御仮屋(道祖神)であり、この「御神燈」は本来は道祖神のために設けられたものであるでしょう。

 背後の石垣の向こう右手には土壁で茅葺屋根のような人家が見えました。

 車に戻って場所をカーナビで確認すると、右手に「中野」とあり左手に「横道」とある。

 先で県道に合流しており、この道が旧道であったのかも知れないと思われました。

 車に乗って再び窪平方面へと向かうと、道の途中でまたまた左手に道祖神御仮屋を見掛けました。

 県道沿いではなく県道から左へそれて集落へと上がって行く坂道の途中にその御仮屋はありました。

 ということでその坂道を上がって御仮屋に近寄ってみると、ここの御仮屋の場合は、笹葉が突き出ていて道祖神も笹葉で覆われており、背後に竹の柱で作った骨組みが見えました。

 御仮屋の前に2本の細い柱が立っていて、それに「道祖神」と墨書された枠紙が付けられており、柱と柱に注連縄が渡されています。

 注連縄には紙製のお飾りもぶら下げられています。

 その前左右にはなんと門松が立てられていました。

 御仮屋の前に門松が立てられているというのは、ここで初めて見るもの。

 通りかかった女性と長い会話を交わしましたが、この注連縄にかけられているお飾りは友人の女性が作ったものであるとのこと。

 門松もお飾りもていねいな造りのものでした。

 坂を戻ると「山梨市営バス 法喩庵 牧丘町内線」と記されたバス停があり、このあたりが「法喩庵」(ほうゆあん)という変わった地名であることを知りました。

 この法喩庵の御仮屋が、この日最後に目にした道祖神御仮屋でした。

 

 続く

 



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