鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

笛吹川流域の道祖神祭り その9

2018-02-15 07:08:16 | Weblog

 

 塩平(しおだいら)から戻る途中、左手に御山飾りを見掛けました。

 右隣に地元消防団(第三分団第四部)の倉庫(小型動力ポンプ搭載車の保管倉庫)がありました。

 ここの御山飾りはリング状のものが上下に二つ取り付けられていて、それぞれから色紙が結わえ付けられた枝が四方に伸びています。

 リングが二つあるのは初めて目にするもの。

 御山飾りの基本的な形は共通していますが、それぞれの地区においてそれぞれの微妙なバリエーションがあるのです。

 リングは竹の枝を曲げて縄で縛って作ったもので、十字状の支えがあって、その十字の真ん中が支柱に結わえ付けられています。

 上のリングは小さく、下のリングはやや大きい。

 ここも四方に伸びる枝の数は7本。

 「7」に意味があるのでしょうか。

 先端の笹葉にも一本の枝が取り付けられています。これも共通するもの。

 その御山飾りの背後には石垣があって、左から右へとゆるやかな上り坂になっています。

 その坂道にトタン屋根の小屋があって、その左横にみかんのオレンジ色がアクセントになった藁束製の御仮屋が鎮座していました。

 近寄ってみると全て藁束で作られているところは牧平の神明神社横の御仮屋と共通しています。

 藁で作られた太い「陽根」が突き出ているのも共通しているし、先っちょにみかんが付けられているのも同じ。

 藁束の積み重ね方は神明神社横のそれに比べるとややラフな感じ。

 屋根のように上からかぶせたものを2段の細竹と1段の縄紐で平行に囲っています。

 御仮屋にも地区ごとにそれぞれバリエーションがあるのです。

 その御仮屋左側の石垣には10体ほどの石造物(庚申塔や石仏など)がずらりと並んでいました。

 これらはもともとここにあったものではなく、散らばってあったものをある時期に石垣の基壇を造ってそこにまとめて移設したものであるようです。

 もしかしたら右端の基壇(一段低くなっている)にある道祖神もそうかも知れないと思われました。

 藁束で作られた「御仮屋」やいろいろな色紙で飾られた華やかな「御山飾り」を見ると、かつての村人たちが信仰していたいろいろな「民間信仰」の中で、道祖神信仰だけがまるで地下水脈のように細々としたものではあるけれども命脈を保っており、それが小正月の道祖神祭礼の時になるといきなり外界に湧き出しているように思われました。

 

 続く



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